最近、「国宝級イケメン」なるタレントをテレビで拝見したが、これがか?って思うほどたいした容姿をしていなかった。
決して、ひがみで言っているわけではないので、念のため(笑)。
本人も「いや~」とまんざらではなさそうだったので、余計、滑稽に見えた。
国宝も地に落ちたかと思うと同時に、安易に「国宝級」などという比喩を使うなと感じた。
ネットニュースでも、ある美人女子ゴルファーを「国宝級」と称賛する記事をみかけたが、そうやって、すぐ新しい「造語」や「比喩」に乗っかる風潮や軽薄な連中がいるから困る。
「神対応」などという言葉もある。
「神」という使い方も、実は個人的に違和感を持ってきたが、今では慣用表現になってしまっている。
「神を冒涜するな」というほど信心はないが、「神」だなんていうのはやはり大袈裟。
些細な事例であるにせよ、「国宝級」だとか「神」だとか、誰が使い始めたのかは知らないが、そんなものにテレビのアナウンサーまでが軽率に使用するという現代の風潮は、どこか日本の危さを物語っているような気がしてならない。
さて、今聴いているアルバムは、J.J.ケイルの『#8』(1983年)である。
文字通り、彼の8作目にあたるソロ・アルバムである。
珍しくギターを抱えた姿を使用したジャケットは、なかなかカッコいい。
そう思っている間にもプレイが始まると、あっという間にJ.J.ケイルのディープな世界に引き込まれる。
1曲目の途中から突然入ってくる女性ボーカルは、クリスティン・レイクランドという人で、「Money Talks」と2曲目の「Losers」は、このクリスティンとケイルとの共作である。
ちなみに、二人は、後に夫婦になったらしいが詳しくは知らない。
「Teardrops in My Tequila」は、ポール・クラフトという人の作で、リンダ・ロンシュタットやイーグルスも彼の曲を取り上げているらしい。
その他の曲はすべてケイル作で、どこを切ってもいい意味での「金太郎飴」である。
朴訥としたボーカル、乗りの良い自然なギターリフにいぶし銀のようなソロ、派手さはないが飽きがこない楽曲ばかりで、何度もリピートして聴いていられる。
しばらく、このタルサ・サウンドのグルーヴにゆったりと身を委ねていたい。