月に飛ばして 第41話「離れる」/SARAH VAUGHAN
小谷野は、猪原の「致命的」という言葉に一時ショックは覚えたものの、それなりに上達できればいいと猪原にもらった譜面や自分で作成したメニューで練習していた。 元レッスン仲間だった高石や長田からのセッションへの誘いには、気後れしていたので毎回口実を作っては断っていた。 バンドも辞めて数年経つ。新たにバンドを組むという機会もない。セッションにも出なくなっては何のために練習しているのかわからなくなる。 浅井のレッスンを5年、ドラムを始めてからは7年も経つ。それなのにこの程度しか叩けない現実。やはり、自分には向いていないのだろうか。今更のように落ち込んでしまう。 “無様な演奏”“初心者”“致命的” やろうとすることが上手くいかないとそんな言葉が浮かんでくる。 7年も無駄に過ごしてきてしまったのか。仮に別な人のレッスンを受けていたらどうなっていたのだろうか。 小塚のような“ど素人”とバンドなんか組まなければよかったのではないのか。 そう思った瞬間、自分も“ど素人”なのになと自嘲する。 “初心者”呼ばわりされたことも思い出すたびに今でも腹が立ってくる。 ドラムに対する熱意は徐々に冷めていった。始めた頃は、あれほど楽しかったというのに、ドラムに熱意がなくなったのはあいつのせいだ。 そうやって、誰かのせいにしないとやりきれない。 そんなときに小谷野は大病を患った。 手術を受け、回復はしたものの、一年近く会社を休んでしまった。幸い、首にはならなかったが久しぶりに出社すると小谷野の席はなかった。 総務部付けで役職はなく、いわゆる窓際で雑務を強いられる身分になっていた。病み上がりの身としては、むしろ身体は楽ではあったが心は傷ついた。 仕事のストレスが原因で病気になったのかもしれないと言うのに会社はあまりにも冷たい。就職してから身を粉にして会社に尽くしてきたのにと不満を口にしたいところだが首にされなかったことだけでも会社としての精一杯の報いなのかも知れない。 小谷野は、そう考えることで今にも折れそうな心を保とうとした。ただ、あと一年もすれば迎える定年まで果たして耐えられるかどうか自信がない。「充分働いてくれたんだから、もうこれ以上無理しないで」 内心、小谷野が鬱にならないか心配な妻が退職を勧めてくれた。 子どもたちは既に独立している。多少の蓄えもあるし、もう少しすれば年金も支給される。当面は、自分のパート代で二人だけの生活はまかなえるだろう。これ以上、夫に辛い思いをさせたくないという気持ちが日に日に高まっていたのだ。 小谷野は迷った挙句、長年勤めた会社を依願退職した。生真面目な小谷野にとっては、定年まで勤め上げられなかったことが悔やまれてならなかった。ффффф ффффф ффффф さて、本日取り上げるアルバムは、SARAH VAUGHANの『SONGS OF THE BEATLES』(1981年)である。 ジャズ・シンガーであるサラ・ボーンがビートルズ・ナンバーを取り上げた企画もの的なアルバムである。 サラが歌うのだから、ビートルズの楽曲をどのようにジャズ風に歌うのだろうかと興味深かったが、なんのことはない。それぞれ、アレンジはされているもののジャズではない。 そう思って聴けば、歌の上手いサラが歌うのだから悪いはずがない。 バックは、リー・リトナーやTOTOのメンバーが引き締まった演奏でフォローしている。Sarah Vaughan - Something (USA, 1981) - YouTubeSarah Vaughan - Eleanor Rigby (USA, 1981) - YouTube