発声障害と心の関係を読み解くカウンセリング
ごあいさつ
TCBTカウンセリングオフィスの新明一星です。当ブログをご覧くださり、誠にありがとうございます。これまで、神経内科で身体の病気の治療をされている方のカウンセリングを多数行ってきた経験があり、2017年より新宿ボイスクリニックの渡嘉敷先生とも連携をさせていただくようになりました。痙攣性発声障害、機能性発声障害、心因性発声障害で治療をされている方のカウンセリングをさせていただいています。病気の発祥の経緯は必ずしも心理的な事柄に由来しません。しかしながら、以前から続いている人間関係や生き方を見直すと、情緒的に安定するようになり、その情緒の安定が症状に好影響であった症例を多数見てきました。同じように、発声障害の発症要因は、心因が関与しないものもありますが、声の健康を失うという重大なライフイベントに対する心の反応は誰もが少なからずお感じになると思います。この心の反応が大きくなりすぎると、症状が改善しにくくなったり、治療の効果を感じにくくさせることにつながります。心の反応を理解するには、自分の性格や考え方を知ることが第一歩となります。やはり自分らしさを理解し、自分を大切にすることができないと、どこかで無理が生じてしまうものです。
こんなことはありませんか?
不安が強い:声を使う場面で、緊張、動悸、発汗などが生じて辛い。
他者評価への敏感さ:今の自分では人に受け入れてもらえない、愛されるに値しないという考えが強く、人が拒絶している証拠探しをしてしまう。評価されることが優先事項になり、犠牲的に人に尽くしたりする。
自己評価の低下:症状がある自分が許せない、大嫌い。
完璧主義:完璧を目指すほど、不完全さが目につく。きっちりやりたいと考えすぎるので、不安が強まったり、疲弊したりする。
思考と現実の混同:自分が自分を嫌いなのだから、人も自分を嫌いなのだろうと、自分の考えを他人に投影したり、自分を過信する。
聞きにくい声で話すのは迷惑:なるべく声を使わずに過ごすようにする。ただ、絶えず不機嫌であったり、何も語らない人だという誤解を受けてしまうこともある。
カミングアウトの問題:病気のない人に打ち明けることにためらいがある。話してもどうにもならないが、隠しているのも辛い。症状のことを聞かれるのが苦痛。
声のことを常に考えている:どうやったら治るか、何が原因なのか、いつ治るのかという考えが常に頭にあり、リラックスできない。
発声障害と心の関係
声は、日常生活の中で使う頻度が高く、症状を意識するタイミングや、社会生活に影響を来たしやすい器官のひとつです。社会生活で声を使わずに過ごすことは極めて難しいことから、症状を早く治したい、症状を持つ自分が受け入れられないと考えることは自然なことかもしれません。ところが、この思いが強くなりすぎると、症状を自覚するたびに気が滅入る、声を使うタイミングで不安が極度に高まるという別の問題が生じます。つまり、病気に対する心の反応は、症状を誘発させ、治療を難しくする可能性があるということです。このような心の反応は、性格によっても異なります。生まれつき不安を感じやすい方もいれば、あまり感じない方もいます。いずれにしても、このような心の反応を理解し、上手にコントロールしていくことが必要です。
自分を批判していませんか?
不安を感じやすい方の中には、敏感で想像力の豊かな方がいます。もともと、人の立場や感じ方を想像するタイプの方は、不安が強まると、「この声で話すのは迷惑だ、恥ずかしいことだ」と考えることで自信を喪失してしまう場合があります。だからこそ治療への意欲は高まりますが、過度に良い声で話そうと考えると逆に声は出にくくなってしまいます。
自分を酷使していませんか?
症状が改善しにくい方の中には、ストレスに強い、感情に惑わされないタイプの方も少なからずいらっしゃいます。一緒に人生を振り返っていくと、どこか無理をされていたり、自分自身に興味を持てなくなった過去を持つ方もいます。養育者が無関心であったり、あまりに厳格であると、感情を隠す方が生活しやすくなります(感情を表現すると余計に問題が悪化する、または反応がないので意味がない)。感情がない方が楽だと思われる方もいると思いますが、自分の感情に親しみがあまりない方の中には、気づかないうちにストレスを抱え込んでいる場合があります。
自分のことがわからないと感じませんか?
ストレスの多くは、対人関係からくるものです。習慣化した対人関係のパターンは、気づきにくく、変えにくいものです。無理が生じると、気分や身体にサインとなって出現することがあります。
人間は基本的に自分のことを自分だけで把握することはできません。誰かの反応を見て、自分の状態を知るのです。いつも暖かく接してくれる人といれば、自分は大丈夫な人間だと思いますし、いつも批判的な人といれば、自分は何か欠落した人間だと思いやすくなります。このような感じ方がどうやって決まるのかは、養育者との関係性、つまり愛着(つながり)によって決まるという心理学の考え方があります。
不安の強い親に育てられると、幼いながらも親の感情に敏感になり、親をなだめることで自分を守ってきた人がいます。あまりに親の感情が不安定で、しつけに一貫性がないと、常に相手の顔色を見て過ごすことにもなります。ある場面では、人の気持ちを推測できるので評価されたり、愛されることもありますが、人のことを意識しすぎて疲れてしまうことにつながるかもしれません。
逆に親が無関心だったり、完璧主義的で、子供として感情を表現できなかったり、受け止めてもらった経験が少ないという方もいます。すると、自分の中に湧き上がる感情に気づくと、違和感があったり動揺する方がいます。または、上手に意識を切り離すことに長けている方もいますが、本来は望まなかったり、得意でないことをやっている際に生じる感情からも切り離してしまうと、知らず知らずのうちに自分を酷使することにもつながります。
愛着障害の観点から
対人関係の基盤となるのは、愛着(繋がり、絆)です。主に幼少期に母親との間で形成されると考えられています。母親との関係を見直してみると活路が開ける場合があります。母親との関係を見直し、健全なものにしていくと、他の人間関係にも影響していきます。
支配的、完璧主義、情緒的交流がない母
- 子供は母親の動揺を恐れて、不安や恐れなどの感情を表現できない
- 愛着を学べないので、他人と繋がることが難しい
- 怒り、孤独感、絶望のコントロールが難しい
- 自分の感情をコントロールするための依存問題(酒、薬物など)
子供が感情的になると過剰反応する、恥を押し付ける母
- 自立できず、個性が育たない
- 親しさが煩わしくなる
- 他者の感情を許容できない
- 引きこもりがち
- 自分の感情をコントロールするための依存問題(酒、薬物など)
子供の主張を批判する、罪悪感で支配する母
- 無秩序に子の人生を整理するため、子のやり遂げる力が養われない
- 満足の先延ばし(気分が悪くても最後までやるなど)
- 子供は親しい関係を持つことを拒んだり、共依存的になる
- 人にNoを言えない
子供が問題を持つこと(理想から外れること)が耐えられない母
- 弱点や限界を許容できなくなる
- 等身大の自分がわからない、恥だと感じる
- 他人の怒りを避ける
- 自分の不完全さを見せることを避ける
自分の意見が通らないことに耐えられない母
- 服従する関係スタイルになる
- 自分の意見を持てない
- 失敗者のように感じる
- 放漫な態度に転じる
- 他人を支配する
- 規則や上下関係に抵抗する
- 誰かが自由を持つことを阻止する
子供が唯一の信頼できる人だというメッセージを送る母
- 母親の生活管理や、母親の望む夢やキャリアを追い続ける
- 金銭、家事などをやってくれるので離れられない
- 母親以外の人と繋がれない
- 無力感、絶望感
- 情緒的、経済的に自立できない
このような自分の人間関係のパターンを知ってことも、感情のコントロールの助けになります。母親を批判することが解決策にはなりませんが、母親から得られなかったことを明らかにし、それを自分で満たしていく方法を身に着けると人生は変わっていきます。人間のストレスの多くは人間関係から生じるものですから、人間関係をマスターしてこそ人生が円滑になるとも言えるわけです。安定した愛着がある場合、またはそれを築き直すことができると、情緒的に安定します。
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カウンセリングの流れ
カウンセリングの中では、今の感じ方や行動パターンを把握するために、心理検査やこれまでの人生を振り返っていただく時間を持ちます。感情の感じやすさ、人間関係、困難の対処方法、生活習慣、信念などを丁寧にお聞きし、あなたにあった感情のコントロール方法を提案します。感情は抑えた方が良い場合と、表現した方が良い場合があります。自分が何を望んでいるか、好んでいるか、何で充実するのか、何が嫌いなのか、得意でないのかなどを、カウンセラーに語ることで自分の本心に気づいていけるようお手伝いします。必要に応じて、心理学的な情報や、これまでの治療のエピソードなどもご助言いたします。
カウンセリングの効果
回数はご相談に応じて決定いたしますが、発声障害のカウンセリングはお仕事をされている方も多いため、2週〜1ヶ月に一度のペースで行われている方が多いです。ご負担のない範囲で、6〜12回ほどは続けていただくことをお勧めしています。症状の改善につながるかは必ずしもお約束できないことではありますが、これまでの経験では、症状はあるけれど感情的に安定している、症状はあるけれど気にしない時も増えてきたという期間がしばらくあってから、軽減、または改善する方がいます。まずは、発声障害がっても、自分を許せる、満たされる時間がある、安心できる時間があるという期間を作ることが鍵です。
サービスの詳細
- 料金は50分で6000円です。
- 適応の可否は、主治医にお尋ねください。
- 予約は、お電話で新宿ボイスクリニック、または問い合わせフォームにお問い合わせください。
- 実施場所は、新宿ボイスクリニック(月曜)となります。
- 予約時に予約金(3000円)をお支払いください。お振込みも可能です。
- 当日キャンセルは、予約金のご返金ができませんのでご注意ください。
- 頻度は、ご相談に応じます(毎週、隔週、月1など)。
- 遠隔地にお住いの方は、skype、Line、messenger、Face timeでも実施可能です。
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HP:https://sites.google.com/view/tcbt/
強迫性障害をテーマにした座談会を7月13日に開催いたします!
強迫性障害の治療
強迫性障害(Obsessive Compulsive Disorder: OCD)とは、洗浄、確認、心の中のおまじないなどが過剰となり生活を送ることが困難となる病気です。
強迫の形は様々です。
手洗い、持ち物を洗う(拭き取る)、入浴、排便後の拭き取り、アルコール消毒、血液、分泌物、見えない汚れ(ばい菌、放射線などの汚染物質)を洗浄する、付着したものを避ける、戸締りを決まった回数行う、コンロが消えているか黙認、触る、電気を決して確認、頭の中で好きな数字と嫌いな数字を思い浮かべる、嫌いな人を思い出すきっかけを避ける、帰宅時に風呂場にすぐに行く、家族にも入浴させる
など、他にもたくさんあります。
強迫性障害の原因は、はっきりとはわかっていません。
近年の脳画像研究では、脳内の情報処理の問題であると指摘するものがあります。
- 本来、危険ではない事柄を脳が危険であると誤認したり、過大評価してしまう
- 行動に関連する脳の抑制がうまく働かない(一度洗浄、確認を始めてしまうと止められない)
などに眼窩前頭皮質、線条体、視床が関与しているという仮説があります。
セロトニン、ドパミンなどの脳内物質の関与も示唆されていますが、はっきりとは解明されていません。
症状を悪化させる心理的要因はいくつか存在します。
他の精神疾患との重複(うつ病、PTSD)、喪失体験、過度なストレス、出産などは、症状を悪化させるだけでなく、治療意欲を低下させます。
家族と同居をさせている方は、衝突や生活を円滑化するために、家族が強迫行為をしやすく手伝ったり、生活パターンを合わせること(accomodation=巻き込まれ)が挙げられます。
治療意欲は極めて重要なことで、治療の予後を占うと言っても過言ではありません。
認知行動療法の治療成績は、他の精神疾患として高いものですが、相性の悪さ、治療理念の不理解などで脱落してしまうと、治療意欲を大きく低下させてしまうことになります。
認知行動療法、森田療法は優れた治療法ですが、もしもこれまでうまく行っていない場合、愛着障害や家族関係の問題などが背景にあることが多いように思います。
TCBT代表 臨床心理士・公認心理師・医科学博士
新明一星
TCBT OCD Programのページ
https://sites.google.com/view/tcbt-ocd-program/ホーム
治すための強迫性障害の治療を学びたい方へ
医療関係者(医師、看護師、精神保健福祉士、臨床心理士など)の方に、強迫性障害の認知行動療法、曝露反応妨害法の実施方法、治療が難渋する時の対応方法などをコンサルテーションいたします。
ご興味あります方は、DM、HP経由でお問い合わせください。
TCBT OCD Programのページ
完璧主義
完璧主義は良いことなのか、悪いことなのか?
完璧主義、かつ成功を収めている経営者やアスリートがいる。
適当にやっていれば人並み外れた成功を収めることは難しいので、完璧主義的になれる領域を持っている人は幸せなのかもしれない。
心理学の領域では、ネガティブな側面についてもよく話題にあがる。
抑うつ、不安との関係、強迫性障害、摂食障害との関係、ストレスの増悪、幸福感の減少など、過度に完璧にを求めると生きにくくなる側面もある。
自分自身の達成、ありように対する完璧さ、人に対して求める完璧さ、人から完璧を求められているのではないかというものがあると言われているが、適度であればモチベーションや成長につながるだろうし、過度になれば、自己批判や一人反省会で自分を打ちたたくことになってしまう。
先延ばしはADHDだと即決する風習もあるが、実は背景に完璧主義が潜んでいて、きちんとやらなければならない、そうでないと納得いかない、評価してもらえない、酷評されるなどの恐れがあったりもする。
実際に失敗を経験して叱責されたり、恥をかいたりすることが多いと、自信を喪失して、社会から求められる基準が異様に高くなってしまうこともある。
完璧を求められると、どうにも無力になったり、頭が真っ白になったりする人もいると思うのだが、気分的にしっくりくる、大丈夫だと思えるレベルなど、はっきりしない価値基準を自分に課していることもあるだろう。
完璧主義的にならざるを得なかったルーツを知ることも有用だし、身動きが取りやすい、パフォーマンスが高まる思考法や認知行動療法なども有効だろうが、完全でも、不完全でも排除されない人間関係も、やっぱり大切だと思う。
無気力との葛藤
仕事柄、様々な無気力の形を目の当たりにする。
- 理想通りにならないからやらない
- 批判されたら言い返せないからやらない
- 途中で力尽きたら悲しいからやらない
- 断ると相手を大切にできない罪悪感に苛まれるから人と会わない
- よりよいものが後から出てきたら困るからやらない
- もしかしたら今の方が良いかもしれないから、変化しない
- それでいいの?
- 満足なの?
- こうしたらいいよ
- 僕も若い頃はね〜
強迫性障害:自宅が聖域になる
自宅が聖域となり、汚れの拡散を恐れて、清掃、洗浄が強迫行為となることをcross conatminationと呼んでいる。
外来での曝露療法は、自宅にいないために不安に向き合うことが難しい場合も少なくない。
基本的に、強迫性障害は儀式をしない時間を確保すること、儀式をせずに不安をコントロールできる経験が必要となる。
自宅やトイレなど密室や匿名性の高い場所は、儀式への歯止めがかけにく、その環境下に行くと、スイッチが入ったように強迫行為が開始されてしまう。
家族に入浴、着替え、清掃を迫る当事者も多く、家族との衝突も起こりやすくなる。
地道に儀式を削減しても、家族の評価が得られないことで、儀式が再燃することもある。
本人も、家族の動きを意識しながら、儀式を遂行することで、精神的、肉体的な疲弊が二次障害となって、症状のコントロールを一層難しくする。
恐らく、外来治療に来ることが難しくなりやすいのがcross contaminationだろう。
家を開けると、聖域を監視することができない、帰宅後の清掃があまりに負担などがその理由である。
一方で、cross contaminationから回復する人もいる。
一時的に環境を変え 儀式をしない時間を確保すると、少なくとも本人は疲弊から少しずつ解放される。
この時に、儀式のない生活を体験すると、少し回復した生活を意識しやすくなる。
入院をその機会として選ぶ人もいるが、病棟では症状が皆無であっても、自宅に戻ると症状は再燃するため、入院中から行動療法的な取り組みを開始しておくことが望ましいと思う。
私の知識が拙いのかもしれないが、入院で強迫性障害にしっかり向き合ってくれる施設は非常に少ないと感じる。
治療の土台を作るために、この症状から回復した方の証言も極めて大切で、協力を要請したいところでもある。
新明一星
許せない・許したくない
人が怒りを感じる理由は様々である。
- 自分が望むように人が動かない
- 尽くしても感謝がない
- 裏切り
- 過度な要求、搾取される
- 妬み
- 拒絶
- 暴力
- 得られなかった愛情
選択肢として
- 叱責
- 指導
- 忍耐
- 復讐
- 許し
などがあるわけだが、最後の許しが一番魅力がないのかもしれない。
許すことは誤解も多く、説明も難しいのだが
- 不適切な行動を許容するわけではない
- 不適切な行動を軽視することでもない
- 変化を期待することをやめることではある
- 償ってもらうこと、復讐をやめることでもある
- 怒り、悲しみに向き合うことになる
- 感情に向き合っていくと、徐々に上記のことができるようになる
- 仲直りは必須ではない
- 不適切なことをする人と距離を取る、決別するということもあり得る
これらのことも大変だけれど、変わることに期待と失望を繰り返し、同じ傷を負っていくことも大変なことだ。
「許し=手放すこと」なので、自由になれる手段でもある。
無力感と自分嫌悪
学生時代に、ストレス免疫訓練法をおつくりになったドナルド・マイケンバウム先生が、治療者の役割は、患者さんの能力とレジリエンスを見出すことなんだと言っているのを聞いた。
カウンセリングセッションの動画を見て、衝撃を受けたことを覚えている(それはまた別の機会に..)。
症状が改善しない、度重なる試みの末に思うようにいかない時、人は無力感に苛まれるものだ。
無力感は、行動力を奪い、行動していない自分に対する自責を駆り立てる。
自責はさらなる無力感を生み出し、さらに行動力を生むため、ますます身動きが取れなくなる。
無力感に対して共感を得ることが必要になるが、無力感に浸り続けることは辛いことでもある。
無力感を獲得してしまうと、無力である自分を凝視するようになってしまい、その人が持っているレジリエンスが見過ごされることになる。
典型的に、レジリエンス、回復力は自分に存在しないと疑わなくなる。
だが、レジリエンスがゼロであることは珍しいと思う。
今日まで、絶望感を抱えて生きながらえてきたこと自体が打たれ強さでもある。
自分を評価することに嫌悪感(無意識的にかもしれないが)を覚える人もいる。
自分を大切にして良い、自分を許しても良いと許可を出せることが鍵となる。
自分を許すためには、やはり受け入れられるという経験が必要になるし、本来の自分で人の前に行くという決断がいる。