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(24/6/3)

横浜美術館 つづき

 

・志賀理江子。
 あいちトリエンナーレ(2013)で見た「螺旋海岸」はすごい展示だった。志賀の写真は好きなのだが今回は期待外れ。大きな写真を背景に、そこに普通のL判サイズの写真を貼っている。(美術館で見るには小さすぎ)。几帳面な文字で言葉が書いてあるが長くて見ていない。
 大きな写真は赤くて劇的だ。動物の心臓とか。

 

 


●「密林の火」

・インゴ・ニアマン、エリック・ニードリング Ingo Niermann , Erik Niedling
 マッチョなお兄さんが森の中で暮らし思索する、映像作品。
 つっこみどころの多いお兄さんで、予想外の面白ビデオだった。最初ドキュメンタリーと思ったが、フィクションだろう。

 木の杖を持って仁王立ち。でも弱そう。本を読み思索する。ヒトラーは失敗したが自分はより優秀だ。しまいには歌い始める。曰く「居場所のない人が」「木の上に住む」。彼は社会でうまくいかなくて森に逃げてきたのだ。

 人間だけが資源を使ってよいはずはない、とまともなことを言い、自然の中で暮らす。でも極端に右翼。社会不適合者なのにプライドは高い。社会で上手くいかなかったので、そんな世界はそもそもおかしいと否定したいのだろう。

 

 


・ジョシュ・クライン Josh Kline
 ジョシュ・クラインは作品を見たことがないのにwebで調べてブログに紹介記事を書いたくらい、気になっている美術家だ。しかし今回の展示は意外と面白くなかった。

 "Unemployment"(失業)シリーズの作品。
 
 中年の男性や女性がスーツを着て、うずくまったポーズで、粗大ごみのようにビニール袋に入れられて床に置かれている。
 ブルーカラーだけでなくホワイトカラーが大量に失業した、未来(2030年代)のアメリカを描くインスタレーション。
 自動化とAIにより今後数十年でホワイトカラー(弁護士、会計士、管理職、秘書、銀行家、ある種のジャーナリストなど)が仕事を失うと言われている。クラインはそれらの職種の失業者を募集し、彼らをスキャンして3Dプリントし、解雇された労働者のハイパーリアルな彫刻を作った。
 それぞれの作品には「野心的な差し押さえ(マシュー/住宅ローン担当者)」のように、以前の職業を表すタイトルがついている。

 今回は、右翼のデモ(難民排斥、ネオナチ)を撮るラファの映像とセットで展示されている。もっとリアルなものだと思ったのに、意外と人形感・マネキン感がある。

 


●「私の解放」

・富山妙子

 富山妙子(1921-2021)のミニ回顧展。美術のメインストリームにいる人ではないのだろう、美術館で見たことはない。今回の作品もすべて個人蔵だったと思う。2009年に妻有トリエンナーレで、廃校の建物を使ったミニ回顧展を見たことがある。

 1950年代には各地の炭鉱を訪れて描いた。70年代は木版画で韓国の民衆に共鳴。木版画の作品は素朴だが、ロボット軍隊はちょっと怖いイメージだった。

 時代は飛んで2000年代。いい絵を描くようになっている。「海底劇場 帝国の華麗な祝宴」。海の底、日本軍の思いが残っている。いっぱい勲章をつけた人たち、立派な服の狸。戦争は終わったのに亡霊たちが海の底でほこらしげに集まっている。

 震災直後、2011年の作品。「海からの黙示―津波」、津波の象徴として怒りの形相の仏像たちが海を進む、強烈なイメージ。
 風神は水色の風を出す。桜の花も見える。しかしタイトルは「フクシマ―春、セシウム137」。福島にセシウムをまき散らすのは風神。わずかに見える地面はがれきの街か。
 原発事故後の廃墟の街のイメージ。荒涼とした現在・未来の風景に行きついた。

 2016年の最新作、「始まりの風景」、満州の広い荒地を描く。竜が飛んでいるが派手な絵ではなく、荒涼とした大地の絵。富山は幼いころを満州で過ごし、日本による差別的な行いを見てきたという。95歳の時の作品だが、最後に幼少の思い出に戻ったのか。

 今回ははしょられているが、越後妻有で見た80年代・90年代の絵画も面白いものがある。80年代にあえて、日本の戦争の時代を描いている。日本人たちは狐の顔で表される。「桜花幻想」。桜の花が咲く道を出生を祝う行列がゆく。遠景には荒野を行進する兵士。「菊花幻想」。菊の周りに小さく描かれる狐たちは現代の日本人だ。レストランで食事したり、公園のベンチで語らったり。背景には現代の巨大ビル。。
 このころの富山は戦争、特に日本による加害、特にアジア人への加害、をテーマにしている。
 従軍慰安婦。軍人たちの後ろに裸の女性たちが並ぶ。怖い絵。前景で祈る老女たちは慰安婦の現在だろう。骸骨になった軍人たちもいる。


 

(上記2点は越後妻有で撮ったもの)

●「流れと岩」

・リタ・ジークフリート。
 事前に調べたときは、なんということもない風景画で、時代遅れな絵を描く人と思った。しかし実際見ると、何か普通でない雰囲気がある。
 細密描写の小さな絵画。
 岩の隙間から見える風景。ところどころ人の形のようにも見えてくる岩。日本か中国の昔の情景のような門が岩の穴から見える。湖に舟、鳥が飛び、山水画のようでもある。



 日本の料亭の庭のように見える。

 


 一つの絵の中で、室内と窓の外の風景がどこかアンバランスで、別々のものを組み合わせたみたいなように思える。外の景色が絵画みたい。

 はっきり何かおかしいところがあるわけではないが、どこか不自然。
 ハマースホイの室内画の雰囲気があるような気がするし、シュルレアリスムもちょっと入っているように思う。

 

 

つづき;

 

 

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