実質的に3日間しかいなかったマルタ共和国観光も、内容盛りだくさんで全10回となりました。
最後はフィナーレにふさわしい超豪華な教会見学です。
写真で見ればわかるように外見は地味なのですが、中は超豪華。
これでもか!というくらいに中はキンキラキン(死語)に飾られています。
以前の記事にも書いたように、1565年にオスマン帝国の猛攻を耐え抜いた聖ヨハネ騎士団は、
その時に軍を率いた団長のヴァレットの名を冠した新しい都市を建設しました。
その勝利の7年後にマルタの守護聖人に捧げた聖ヨハネ大聖堂の建設が始まりました。
ヴァレットさん本人は教会の完成を見届けることはできませんでしたが、
その遺体は教会に埋葬されています。
他にも功績を残した騎士団員が教会の床下に埋葬され、一人一人に墓碑が張られています。
傷を防止するためにハイヒールでの入場が禁止されていることも納得。
教会は騎士団長の出身国別に8つの礼拝堂も兼ね備えられています。
各モニュメントは時代によって差が大きいようです。
ちなみに、聖ヨハネ騎士団は十字軍時代のホスピタル騎士団に遡ることができ、
イスラム帝国がエルサレムを奪回するとロードス島に根拠地を移し、
ロードス島がオスマン帝国に墜とされた際にシチリア島へ、後にマルタ島へと移ります。
マルタ攻囲戦後に特にマルタ騎士団と呼ばれるようになりましたが、
現在は軍事的な組合ではなく、NPO団体として存続しています。
そして、騎士団は基本的に貴族の次男坊・三男坊が実家を追い出されて構成されていたので、
要は「実家が太い」こともあって、こんな豪華な教会ができたというわけです。
礼拝堂の中にはガラヴァッジオが描いた「聖ヨハネの斬首」「聖ヒエロニムス」が所蔵。
ローマで人殺しをしでかしたガラヴァッジオが、逃亡先のマルタで描きましたが、
ここでも騎士団相手に色々やらかして投獄されるものの脱獄に成功して・・・
という波乱万丈な人生を送ったルネサンス終盤期の画家なので必ず現物を見ておきましょう。
街並散策も続けたいとは思いましたが、ここでタイムアップ。
教会を出て空港へと向かいます。
建物を出ると、落ちゆく太陽がちょうど出口に注ぐ瞬間に立ち会えました。
帰り道では、ナポレオンがマルタに滞在した時の建物を外観だけ見学しました。
こうして初日以外は特に混乱もなく無事に旅は終わったのでした。
最近は旅行先ではなく、安く語学留学(英語)できる国としても注目されているそうで、
それに特化した本も出版されていますのでご参考としてください。
確かにイギリス・アメリカ・カナダよりは治安もいいし、車も日本と同じ左側通行だし、
歴史も古いし、日本人からすれば良い印象しかない国でした。
それにしたって最近の円安のせいで旅行費用が思った以上にかかったのが痛かった。
次は安めに抑えた海外旅行ができればよいと思った次第です。
(最近読んだ本)