アップデートしなきゃダメですか? | 後追い80's

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80年代カルチャー発掘備忘録

 

TVドラマ『不適切にもほどがある!』が終わってしまいました。

 

これでまた当分は現代のTVドラマを観る事もなくなりそうです。

 

しかし、幸いなことにBSがようやく分かってくれたのか、今週の水曜日からBS日テレで『あぶない刑事』、金曜日からはBS-TBSで『男女7人夏物語』の再放送が始まるので寂しさも感じなくて済みそうです。

 

以前から「無理して今のドラマを作るぐらいなら昔のドラマを再放送した方がずっと視聴率が取れる」という声がネット上でも凄く多いですし、私自身も「中国や韓国のドラマばかり放送してないでもっと80年代の国内ドラマを再放送して欲しい」と5年ぐらい前からブログに書いてきましたが、最近になってようやく少しずつ増えつつあるように感じられます。

 

他の局にも早く分かってほしいのですが。

 

 

『不適切にもほどがある!』に話を戻しますが、最終回のタイトルは「アップデートしなきゃダメですか?」でした。

 

奇遇にも、アップデートという言葉についてずっと前から記事を書きたいと思っていたので、これはちょうど良い機会だということで、今回は昨今盛んに言われている「アップデート」をテーマに言いたいことを率直に書いていこうと思います。

 

まず声を大にして言いたいのは、アップデートという言葉を人間に向けて言うのはやめてほしいという事です。

 

なんて言ったところでやめないでしょうから期待はしていませんが、とにかく私はアップデートという言葉を人間に対して使うことに不快感を持っています。

 

なぜ不快に感じてしまうのか、その理由を考えてみたところ・・・以前にもブログに書いた覚えがありますが、スマホ時代になってから加速度的に人間がどんどん機械化してきているように感じていて、それが凄く嫌だと常々思っていたからではないかと気付きました。

 

人間は機械ではありません。

 

機械に近づこうとしたところで、常に進化を続けるAIと比べたら不完全な存在で、創造性や情緒的な要素を除けば勝ち目はないだけに、これからはむしろ人間のアナログ的な部分を見直して大事にしていくべきなのではないかと思うのです。

 

だからこそ、アップデートという言葉を馬鹿の一つ覚えのように多用する現代人を目にすると不愉快になるのでしょう。

 

そんなに機械になりたいのであれば、どうぞご自由に。

 

こちらはこちらで好きに生きていきますので。

 

 

人間の価値観や思想は、その人が育ってきた環境や経験によって培われてきたものです。

 

それを「時代」という一言で変えろと強要する事がどれだけ乱暴で理不尽な事か、ちゃんと理解した上でアップデートという言葉を使っている人が果たしてどれぐらいいるでしょうか。

 

 

先日、『不適切にもほどがある!』のニュース記事で以下のようなコメントを目にしました。

 

>「考え方が古い!アップデートせよ」って時点で他者の価値観否定してるもんな。なんかもう分かんねえな。

 

やはり自分と同じような違和感を持っている人がいるんだなと思いました。

 

そもそも、アップデートの強要はハラスメントにならないのか?という疑問もあります。

 

何かとあらば多様性多様性と言ってる割には、他者の価値観に物凄く不寛容だという矛盾を感じずにはいられないのですが。

 

例えば、自分の立場を利用したパワハラやセクハラをやめない人に対して言うのは理解できますが、それにしてもアップデートという言葉を使う必要はないと思うのです。

 

せっかく日本語があるのですから、そういった場合は「改善」で良いのではないかと。

 

何度でも言いますが、人間は機械ではないわけですから。

 

 

それに、何でもかんでも横文字にすればいいってもんでもないと思うのです。

 

むしろ、やたら横文字を使う人間は信用できないということは、これまでもブログに書いてきました。

 

何でも横文字にしたがるのは、自分を大きく見せたい人間や大衆を煙に巻きたい政治家など、ろくでもない連中ばかりだからです。

 

 

だから、私はアップデートなんてするつもりはありません。

 

そんな事しなくても、常に自分の言動には疑いの目を持って客観視しようとしていますし、悪いところがあれば反省し改善する気持ちも持ち合わせているので、何も考えず時代に合わせてほいほいと自分の価値観を変える気など無いのです。

 

何が良くて何が悪いかは、その都度、自分で考えて答えを出すので、他者の価値観を強制される覚えはありません。

 

人間に対して使われるアップデートは、私が嫌いな「空気を読め」という言葉とも共通するものがあるように思えます。

 

それも嫌悪感を覚える理由の1つなんでしょう。

 

 

他人に対して過剰に迷惑をかけているような事でもなければアップデートなんて気にする必要はないと思いますし、むしろこれまでの人生で築き上げてきた各々の価値観を大事にしていくべきで、そういったものを尊重していける社会こそが本当の「多様性」なのだと思うのですが。

 

現状では「アップデート」も「多様性」も言葉が一人歩きしているだけにしか見えません。

 

あと、昨今は昭和の価値観が悪い例としてばかり取り上げられる風潮がありますが、それは昭和の古き良き風習や文化がことごとく消え去り、悪しき風習ばかりが根強く残っているせいではないかと考えます。

 

昭和…と言っても私は80年代しか知らないのですが、当時の魅力や良かったところには光を当てず、悪しき風習ばかり吊し上げて糾弾したところで不毛だと思うんですけどね。

 

それをするなら、同じように現代の闇も徹底して洗いざらい炙り出さなければフェアな議論にはならないと思うんですが、何故かそれはやろうとしないんですよね…ああいう人達って。

 

現代と80年代の比較は深いテーマなので、今後もやっていきたいと思っています。