(ただひたすらに暗くつまらない話なのでスルー推奨です)
2週間ほど前だったか、叔母がぎっくり腰をしたらしく、部屋の中でも歩行が困難になっていたのを見た時は驚きました。
これまで日に日に歩くスピードも上がってきていて順調な流れだっただけに残念に思ったものの、ぎっくり腰なら健常者でも大変なんだから仕方ないなと思っていたのですが・・・そこからあっという間に容態が悪化していき、先週の木曜日に癌とは別件で歯のCT検査をしに県病院に連れて行った際、待ち時間に色々と話しました。
しかし、もう呂律が回っていないような喋り方になってきていて、頭の方もちょっと痴呆が入ってきてるような感じというか、少しだけ意識がぼんやりしているところがあるような違和感を覚えたので、翌日に病院に電話してみることを勧めました。
翌日、電話をしたら金土は診察が予約で埋まっていたので、電話口で問診してもらったら特に緊急性もないという結論だったそうなので、週末は様子見することになったのですが、その土日の2日間で急激に症状が悪化したらしく・・・夜中にトイレに行った際、転倒して頭部を打ったことで救急車を呼んだそうでして。
同じマンション内にいながら全く気づけませんでした。
もう手も震えが来ているような状態になっていて、電話を取ることもできないらしいので、付き添ってくれていた人から状況説明の電話をもらいました。
それから月曜日に即入院が決まりました。
叔母が電話をとれないので連絡することも出来なくなり、現在どのような状態なのかもほとんど把握できないので、心配で病院に面会に行ったのですが、悪い予感の通り急速に悪化しており、2日間食事をしていないらしく、点滴をして傾眠状態になっていて、私が声をかけても無反応だったので、手に触れて呼びかけるとようやく目を覚まし、少しだけ会話をしました。
しかし、叔母はもうはっきりと話せる状態ではなくなっており、意思の疎通も困難でした。
当日、面会に来た人が誰なのかを聞いても1人の名前しか挙げられず、あとは覚えていないと言いました。
先週の木曜日に会話した際も物覚えに違和感を持ちましたが、あれから5日間で更に悪化していました。
聞いた話では、脳に癌がたくさん転移しているそうです。
薄々そうではないかとは思っていましたが、そういう考えは持ちたくない自分がいたのかもしれません。
しかし、これで違和感に対する全ての辻褄が合いました。
そのうえ、肝臓の癌が倍ぐらいに肥大化しているらしく、肝臓が悪いと薬が効きにくくなるそうなので、それもあって症状の悪化が進行しているところもあるのでしょう。
今回、入院直前に電話で話した際に告げられた言葉は「入院してくるわ」のたった一言だけでしたが、あの時、ここに帰ってくることはもう無いんじゃないかと、何となくそんな気がしました。
そして、つい先日まで⋯ぎっくり腰をやる前までのあのはつらつとしたいつも通りの会話ができる叔母に戻れることはもう無いのだろうと思われます。
更に言えば、先週の木曜日に県病院に行ったのが、叔母との最後のドライブとなる可能性が高そうです。
病院の帰り、少し前から一度行ってみたいと思っていたエクレア屋さんの近くを通りかかったので、エクレアを食べたいか聞いたら食べたいと言うので、自分の分と叔母の分を買って帰ったのですが・・・あれが叔母との最後の買い物になるなんて、その時は夢にも思っていませんでした(店内に入ったのは私一人だけですが)。
叔母には小さい頃から休日の度に色んなところに連れて行ってもらいました。
小学、中学、高校・・・そこまでは普通としても、大人になってもしょっちゅう一緒に出かけていました。
私が運転免許を取ってからは私が運転することが多くなりましたが、20代の頃までは本当に色んなところに行ってましたね。
叔母が自分のお店(天ぷら屋)に飾る花を摘みに山の方に行くコースが好きでした。
道中で本屋さんに寄って私は趣味の本を買い(主にガンダム系が多かった気が)、叔母が買い物したり花を摘んでいるのを待っている間、車の中で買った本を読んでいるあの時間が好きだったなぁ。
高校時代は日曜日に社会人バスケのチームなどに連れて行ってもらったり、バスケの試合がある時に送り迎えしてもらったりもしました。
学生時代は外食にもしょっちゅう連れて行ってもらってましたね。
叔母には息子がおらず、私が息子のようなものだったので、たくさん可愛がってもらえました。
一般的な叔母と甥っ子の関係とは違っていましたね。
20代の頃辺りまでは、お互いに遠慮などの距離感は全くありませんでした。
人間的には本当に問題の多い人なのですが、それでも私にとってはたった一人の叔母です。
自分にとってはもう一人の母ともいえる存在で、色々と甘えてもきましたし、衝突もしました。
4年以上、口をきかなかった時期もあります。
しかし、叔母の辞書には謝るという文字が無いので、私の方から話すようになりました。
叔母ももう年だし、何かあった時に後悔したくない気持ちがあったのかもしれません。
私と関係を改善できた叔母はとても嬉しそうでした。
それが2020年頃の話だったと思います。
叔母はコロナ禍の時も、何度注意しても消毒や手洗いを怠る人でした。
それで私には隠していましたが、2回コロナにかかっていました。
あの時、命を落としていても全く不思議ではなかったのですが、持ち前の強運で難なく仕事復帰していました。
しかし、そんな叔母の強運も遂に尽きる時が来たようです。
これからどれぐらい生存できるのかは分からない状態らしく、良くて半年ほど。
しかし、以前のように会話することは恐らくもう叶わないでしょう。
まさか、先週の木曜日が叔母を車に乗せる最後の機会になるなんて⋯。
これまでのことを振り返ったり、普通の会話をしたのも、あれが最後になる可能性が高いなんて⋯。
叔母が癌患者だと分かっていながらも、そんなことは思いもしていませんでした。
気持ちも体も元気で、日に日に調子良さそうになっていただけに⋯。
がんの転移の恐ろしさが今更ながら身に沁みています。
「人間は儚いねえ」
県病院で会話した際、叔母がちらっと言ったその言葉がやたら残っています。
普段、そんな深いことや感傷的なことを言うタイプでは無いだけに。
私は未だに引っ越し先が決まらないし、なんか本当に不安定な状態がずーっと続いている感じです。
最近思うのは、年をとるというのは「当たり前が減っていく」事だなと。
今までいることが当たり前だと思っていた人がいなくなったり⋯
当たり前にできていたことが、様々な理由からできなくなったり⋯
当たり前にあったものが無くなったり⋯
そういうものがどんどん増えていくだけだなと感じています。
今年の春辺りは凄く感傷モードに入っていましたが、その後は気持ちを切り替えて涙を流すことも無くなり、もう大丈夫だろうと思っていたのに、また気持ちが沈みつつあります。
でも、暗くしていると貧乏神が取り憑くから明るくいろと母から言われたので、趣味に生きる私はこういう時こそ趣味が楽しめないじゃなくて、むしろ積極的に趣味を楽しんでいかなきゃいけないと思い直したのでした。
感傷的になってしまうことをきらって、春辺りを最後に浅香唯さんの曲は封印していたのですが、叔母の病院に向かう際、我慢できずに『MELODY FAIR』を聴いてしまいました。
こういう時、好きな音楽というのは本当に救いになりますね。
改めて『MELODY FAIR』・・・最高でした。
のちにこの時期を振り返った際、浅香唯さんの曲が真っ先に流れてくることになるだろうと思います。






















