80年代を描くドラマ『不適切にもほどがある!』で考える「昭和」という括りについて | 後追い80's

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80年代カルチャー発掘備忘録

 

現在放送中のTVドラマ『不適切にもほどがある!』にハマっています。

 

80年代を描く内容という事もあって放送前から注目していたのですが、期待を遥かに上回る面白さで、現在8話まで終了しましたが、回を追うごとに声を出して爆笑する回数も増えてきてる感じがします。

 

さすが『あまちゃん』のクドカンさんだけあって、80年代というテーマの扱い方が上手いなと。

 

リアルタイムでこんなに面白いドラマは、2017年の『陸王』以来でしょうか。

 

 

このドラマについて語りだすとキリがなく、とても1回の記事では収まらないので、特定のテーマについてその都度書いていくような形でないと書ける気がしません。

 

事実、以前からずっとこのドラマについて書こう書こうと思いながらも、書きたい事があまりにも多すぎて全く整理がつかず、そうこうしているうちにもう8話まで来てしまったという有様なわけで…。

 

 

このドラマがYahooニュースでもたくさん記事になっていて、反響の大きさが感じられるのは良いのですが、記事やコメント欄で激論が交わされている「昭和vs令和」については凄くモヤモヤさせられます。

 

そもそも、まず「昭和」という括り自体からしておかしいと思うからです。

 

戦前も昭和なら、戦中も昭和、焼け野原になった戦後も昭和なら、高度経済成長に入った時期も昭和だし、バブル期だって昭和なんです。

 

これだけ劇的な変化をしてきた時代を一括りにする事自体に違和感を覚える人が少ないことの方が不思議でなりません。

 

大体、よく昭和が揶揄されるのはバブル期なんですが、あれって昭和の末期も末期、ほぼ平成ですからね。

 

そして、テレビでバブル期が取り上げられる際に必ずといって良いほど流されるお立ち台で扇子を振って踊るジュリアナなんて、既にバブルが弾けた後の90年代ですし。

 

その辺の捉え方があまりにも雑すぎる事に対する不満は、80年代を振り返る趣味を始めた10年ほど前から既に感じていました。

 

そもそも、私は年号で比較するという事自体に疑問を持っています。

 

「十年一昔」という言葉があるように、10年単位で括るのが最も理に適っているという考えなので。

 

ですから、このドラマで言うなら「80年代vs現代(もしくは令和か2020年代)」という比較であれば納得できるという話なのです。

 

 

あと、最近は馬鹿の一つ覚えのように悪い例えで昭和という言葉を持ち出す典型的な現代人が非常に多く目につきますが、当時を経験してきている人ならまだしも、経験してもいない人間が知ったようなことを言うなと思わずにはいられません。

 

とりあえず昭和と言っておけばいいだろというような浅はかさを感じてしまうといいましょうか。

 

どこをどう見渡しても今の時代の方が遥かにディストピアなのに何を言ってるんだ?としか思えないんですよね。

 

 

そろそろ話をドラマの方に戻しますが、ドラマ内で描かれる80年代は正直まったく80年代らしさが感じられません(笑)

 

まあ、あの空気感の再現なんて無理でしょうから、そこは気にしませんけど。

 

でも80年代ネタを扱ってくれるのは面白いですね。

 

しかも、私が最も好きな86年という時代設定にしてくれたところも最高です。

 

 

個人的には80年代の描写よりも、令和の気持ち悪さをこれでもかと描き出してくれている部分に共感を覚えてしまいます。

 

私は現代人が嫌いだと度々言ってきましたが、まさにその理由の数々がこのドラマで皮肉を込めて描かれているからでしょう。

 

ドラマの中で阿部サダヲさん演じる市郎が度々「気持ち悪っ」と口にしてしまいますが、あの瞬間、私も全く同じように感じていますから、市郎さんが気持ちをそのまま代弁してくれているかのような気がするんですよね。

 

むしろ気持ち悪いと感じる回数は、市郎さんが感じているよりもっと多いと思います。

 

だからこそ、このドラマについて語りだしたら1回では語り尽くせないんです。

 

 

第1話で象徴的だった市郎さんのセリフは・・・・・・

 

>「気持ち悪りい!なんだよ寄り添うって、ムツゴロウかよ!」

 

「寄り添う」という言葉に気持ち悪さを感じる理由は、今の時代の寄り添うは体面だけで全く心が通っていないからでしょう。要はポーズなんです。

 

その点では、80年代当時の方が親身になって寄り添ってくれる人はずっと多かった気がします。

 

昔の人の方が人情があったからではないかと思いますが。

 

そして「ムツゴロウかよ!」に爆笑しました。

 

 

>そんなんだから時給上がんねえし、景気悪いんじゃねーの? 

 

全くおっしゃる通りだと思いました。

 

 

>「『そういう発言が今一番まずいの』ってヒステリックに叫んで話終わらせるのはいいの? 何ハラだかにはなんないの?」

 

これも本当にその通りとしか言いようがなく。

 

現代のこういうハラスメント事情って、軽く突くだけで矛盾だらけなんですよね。

 

いちいちツッコミ入れるのも馬鹿馬鹿しくなるレベルで。

 

例えば、第6話で「令和Z世代VS昭和オヤジ世代」というテレビ番組に出演した市郎が、若者からダサいとこき下ろされ笑い者にされた事に娘の純子がブチギレた場面がありましたが、あの場面で描かれた通り、現代ではおじさん相手だったら何をしても許されるという風潮があり、このドラマが始まる少し前にもネット上でその事について議論されているのを目にしたことがありました。

 

 

「老害」という、人間としての尊厳すら全否定するような暴力的な言葉が軽々しく使われる一方で、取るに足らないような事ばかりがハラスメントだ何だと騒ぎ立てられる世の中は、もはや悪趣味なコメディにしか見えないほど滑稽極まりないわけです。

 

これが差別でなければ何だと言うのでしょうか。

 

綺麗事を並べるのであれば、まずはこういった矛盾を取っ払った上でやっていただきたいのですが。

 

と言っても、権力を悪用した典型的なパワハラ・セクハラの類が完全アウトな事などは今更言うまでもないことであって、個人的にも断じて許すまじという姿勢ですので、その点だけは誤解のないよう付け加えておきます。

 

 

第3話では、山本耕史さん演じるテレビ局のプロデューサーがコンプライアンスを気にするあまり、出演者の言葉にダメ出ししまくって、しまいには自分でも何がセーフで何がアウトなんだか線引の基準が分からなくなり頭を抱えるというオチにして、昨今の過剰なコンプライアンス事情を盛大なギャグにして皮肉っていたのも凄く笑えました。

 

このドラマは単に80年代アゲ令和サゲではなく、それぞれの時代のヤバい部分を描いているとは思うのですが、フェアに見ても明らかに現代の方が問題点が多い上、複雑化していて闇も深いという事が改めて浮き彫りになったように感じられます。

 

例えば、80年代のヤバいところを挙げると……

 

>1話の冒頭から、市郎は自身の娘・純子(河合優実)を起こす際に「起きろブス! 盛りのついたメスゴリラ!」と叫ぶ姿を見せる。学校では、顧問を務める野球部の練習中に水を飲んでいる部員に「練習中、水飲んでんじゃねぇよ。バテるんだよ、水飲むと」と指導したり、「連帯責任だ」と言って部員たちを並べて“けつバット”したり、教室内で喫煙したりなど、現代では考えられない言動や行動をいくつも披露。

 

これらはほとんど身を持って経験してきていますが、生きていく上で困難だと感じるほどではなかったし、深刻な息苦しさを感じるほどでもなかったような気がします。

 

思い返してみると、80年代はともかく、90年代は常に何かと不満が鬱積していたような覚えはありますが、それは自分がまだ若く無知で未熟だった事によるものだとも考えられるので、全てが時代のせいだったかどうかまでは分かりません。

 

ただ、80年代から90年代辺りのヤバさは単純で分かりやすいから回避のしようもあるものの、現代のヤバさはどこにいて何をしてようと逃れられないだけに深刻だしタチが悪いと思ってしまうのです。

 

 

あと、純子ちゃんが言った「38年も経ってこんなもんなのかよ!」というセリフも、80年代を振り返るようになってから常々感じていたことなので深く共感しました。

 

かつて自分が夢見ていた未来像とは真逆のような世界になってしまっただけに。

 

 

最後に少しだけドラマの内容について。

 

昨日放送された第8話で、86年の喫茶店「スキャンダル」にキョンキョンが来店していた際、顔が映らなかったので、これは未来の方では本人が出てくるのではないかと予感していたら、本当に本人が出てきたのでテンションがアガりましたねえ。

 

その後、ムッチ先輩の未来の姿として彦摩呂さんが出てきたことでもネットが湧いていますが、私はほとんどテレビを観ない為、彦摩呂さんのことはネットで何度か目にしたぐらいでほとんど何も知らないので、面白いキャスティングだなと感じた程度でした。

 

「キョンキョンなのにキョンキョンじゃない」と本人を目の前にして言うムッチ先輩に対して、「失礼過ぎる」と少々ご立腹気味に言ったキョンキョンのセリフがとても微笑ましく可愛らしくて好きだったりします(笑)