先ずはダイジェスト(紙芝居)をご覧ください

2020年冬の会献立

 

昔、江戸の町ではどんな野菜を食べていたのでしょうか?またその野菜、現在のものと名前は同じでも中身的に同じものなのか?それと違うとしたらどこで変わってしまったのか?など江戸期から江戸やその周辺で作られた野菜(『※江戸・東京野菜』についても私は『江戸蕎麦』同様、興味があります。

 

※『江戸・東京野菜』とは江戸時代から昭和40年代頃まで、東京都内の産地で数世紀以上にわたって栽培されていた固定種(自家採種した種子からほぼ同じ形質のものが育つもの)の野菜を言います。(江戸東京野菜コンシェルジュ協会)

 

今回も秋に続き江戸東京野菜コンシェルジュ協会江戸ソバリエ協会が共同主催し、総本家更科堀井 麻布十番本店で行われた『四季(冬)の会』に参加し、更科蕎麦と江戸東京野菜の旬との共演を楽しみながら学ぶ機会を頂きました。因みにこの会は、毎回旬の江戸東京野菜から料理研究家 林幸子先生がレシピを考案され、そのレシピに基づき、その料理を更科堀井が用意する形式になっています。参加者は、その林先生が主宰する「アトリエ グー」、江戸ソバリエ協会、江戸東京野菜コンシェルジュ協会の各会員の方たちです。月~火曜日と2日間同じ内容で開催され、各20名定員となっています。

 

最寄り駅は麻布十番です

更科堀井本店入口付近

1階奥のお座敷席が会場です

今回供せられる江戸東京野菜

いつものように江戸ソバリエ協会ほしひかる理事長の司会で始まり、最初に江戸東京・伝統野菜研究会 大竹道茂 代表(写真左)より今回、食材として取り上げた江戸・東京野菜について品目別のお話があり、その後、前述の林先生より本日の献立についての説明がありました。

そして今回も薬味は毎回好評でお替わり自由の『千住一本ネギ』です。これはデザート以外の品目すべてにあいますし、またこれに醤油を垂らすだけで日本酒のつまみにもなります

 

『千住一本ネギ』『千住ネギ』(ヒガンバナ科ネギ亜科)とは

千住ネギは、江戸時代、砂村から、千住に伝わってきた根深ネギ。千住はねぎ産地であったことから、集積地になり千住ネギの産地が他に移った後でも、千住に入荷したネギ(「千寿ネギ」はF1の別品種)を千住ネギと呼ぶ傾向にありますが、いわゆる「千住ネギ」の品種が残っています。(12月初旬~3月下旬) JA東京中央HPより

 

さあ、冬の会の献立スタートです。先ずは野良坊菜から

『野良坊菜のお色直し』 生のままと水以外のある更科堀井店主推薦の液体を付与したものとを食べ比べます。どちらにしても癖がない食べやすい野菜です

 

野良坊菜(のらぼう菜 アブラナ科)がいつ頃から栽培され始めたのか、その来歴は不明とされています。のらぼう菜の原種は、闍婆(じゃば、現在のジャワ島)を経由してオランダの交易船が持ち込んだセイヨウアブラナ(洋種なばな)の1種「闍婆菜」(じゃばな)という品種という説があります。この闍婆菜は各地で栽培が広まり、江戸時代初期にはすでに西多摩地方でも栽培されていました。のらぼう菜を含むなばな類は、油を採る目的の他に食用として葉や蕾が用いられて、栽培地の気候や風土によってさまざまな特質が見られるようになりました。西多摩地方ではこの食用なばなを「のらぼう」または「のらぼう菜」と呼んでいました。「のらぼう」には「野良坊」という漢字表記がしばしば見られますが、この名で呼ばれるようになった経緯は定かではありません。(2月初~4月下旬) JA東京中央HPより

 

※『品川蕪(かぶ)のコンフィ蕎麦の実餡掛け』

 

※品川蕪(しながわかぶ、アブラナ科)とは

江戸から東京にかけて、主な副食が漬物であったころの蕪(かぶ)で、秋に収穫します。現在の北区滝野川付近で栽培されていたことから、「滝野川蕪」と言われていました。江戸時代の滝野川と品川は土地が非常に似ていて、品川で作られた物は「品川蕪」と名付けられました。築地市場で「江戸野菜の復活」の取り組みを知った北品川の八百屋経営者が平成16(2004)年に調査を始め、江戸時代に書かれた農書「成形図説」の中にある品川カブの絵を元に、東京都小平市で「東京大長カブ」という形が良く似たカブを栽培していることを見つけました。

 このカブを「品川蕪(かぶ)」として販売したいと思いしましたが、「成形図説」の絵が根拠となり、生産者、市場、江戸野菜の研究会から認められ、自社店舗での仕入れ販売をしています。(10月~2月下旬) JA東京中央HPより

 

『※練馬大根蕎麦の実フレーク揚げ』(アグー豚で巻く)

 

※練馬大根(アブラナ科)とは

尾張大根と練馬の地大根との交配から選抜・改良されたもので、享保年間(1716〜1736)には練馬大根の名が定着していきました。大根の加工品として古くからあったのが、タクアンです。平安時代からあった「タクワエヅケ」がなまって、タクアンになったとの説や、江戸の北品川にある東海寺の沢庵禅師が1645年頃に始めたため、沢庵漬けとしてひろまったと伝えられているものです。五代将軍・徳川綱吉が江戸病(えどわずらい:ビタミン類の不足による脚気や鳥目)を患い、治療のために食したので栽培を命じたとされる話しが残っています。

日露戦争後は保存食としての沢庵の需要が高まり、練馬大根は大量生産されるようになりましたが、昭和に入り食生活の変化や連作による障害などにより生産量は激減していきました。

(11月~2月初旬) JA東京中央HPより

 

『※内藤唐辛子平打ち鴨ミートソース』

今回、更科そばではなく二八そばに大量の内藤唐辛子を練り込んだ平打ち麺(イタリアのタリアテッレのよう)、その上に唐辛子を使ったトマトソース(※アラビアータ)とそばつゆでまとめた鴨肉のミートソースが掛けられています。⇒イタリアのパスタ料理のようです。

 

蛇足ですがアラビアータを日本語に直訳すると「怒りんぼ風」。この由来はアラビアータを食べると、ソースの辛さで怒ったように顔が赤くなることからこの名前がついたと言われています。ちなみに、アラビアータのもうひとつの語源といわれている地名のアラビアとは関係がありません。

 

また内藤唐辛子とは(ナス科)

内藤家の菜園(後の御苑)から広がった野菜の一つ。品種は八房(やつぶさ)トウガラシ。「内藤新宿周辺から大久保にかけての畑は真っ赤に彩られて美しかったという。」(「新宿の今昔」より)。当時は成熟したものを漬物用や香辛料として使われていました。参勤交代のために江戸に屋敷を構えた各地の大名たちは、やがて下屋敷で故郷の野菜を栽培するようになり、現在の新宿御苑とその周辺に家康から受領した約20万坪以上もの屋敷を構えていた内藤家(後の高遠内藤家)では、内藤唐辛子や内藤南瓜をはじめとする野菜が作られました。
 とくに唐辛子に関しては、文化7年(1810)から文政8年(1825)にかけて幕府が編纂した「新編武蔵風土記稿」において、「世に内藤蕃椒(とうがらし)と呼べり」と紹介され、近隣の畑一面を真っ赤に染める光景は壮観だったといわれています。また江戸の食に欠かせない調味料として、七色唐辛子などで広く親しまれてきました。唐辛子売りの口上に、「入れますのは、江戸は内藤新宿八つ房が焼き唐辛子」ともうたわれていることでもその普及ぶりが想像されます。「内藤とうがらし」は 特定非営利法人おいしい水大使館 の地域団体商標です。

(10月下旬~12月下旬) JA東京中央HPより

 

『野良坊菜と鴨の※治部煮蕎麦屋仕立』

(野良坊菜と鴨肉と蕎麦掻が入った治部煮)

 

※治部煮とは

加賀藩の時代から親しまれている金沢の郷土料理です。小麦粉をまぶした野鳥や鶏の肉を季節の野菜や特産のすだれ麩と煮合わせ、小麦粉でとろみをつけるのが特徴。名前の由来は、じぶじぶと煮る、人名にちなむなど諸説があります。

 

『※江戸城濠大根打掛蕎麦』 

さっぱりと大根の辛味のあるおろしそばです。

 

※江戸城濠大根とは

栽培ダイコンとは別の変種として古い時代に日本に渡来し、一部地域では栽培化され、現在の栽培ダイコンの品種の成立にも関与し、現在も各地で生育しているものの一つ(ほかに鎌倉大根、出雲おろち大根などがある)、浜辺や海岸に自生する浜大根。

 

正統派の蕎麦湯(ソバの茹で汁)

最後に水菓子として『更科の※独活(うど)羊羹(ようかん)』ウドのジュースで羊羹を練り上げたもので固さは羊羹(ようかん)と水羊羹(みずようかん)の間のものです。上品な甘さに癒されます。〆の蕎麦をたぐった後のこの水菓子、参加者に好評でした。

 

※東京ウドとは

幕末に吉祥寺で始められたうど栽培は戦前・戦後を通し、多くの関係者が技術開発、改良に尽力した。その結果、北多摩一円は品質・生産量ともに日本一のうど産地に成長した。(11月中旬~9月下旬)JA東京中央HPより

 

今回食した内容をリマインドします

 

江戸時代からの伝統的な野菜についても江戸(東京)の蕎麦と同様に学びながら食する機会を定期的に得られる事に感謝しつつ、お土産に野良坊菜を頂き家路に着きました。

次回4月の『春の会』も楽しみにしたいと思います。

過去参加時のブログ 

2019年更科堀井春の会 2019年更科堀井夏の会

 
創業:寛政元(1789)年
住所:東京都港区元麻布3-11-4
電話:03ー3403-3401(代)
営業時間:11:30~20:30 ※土・日は11:00〜営業
定休日:毎週水曜日、1月1,2,3日、8月5日~8月8日
座席:70席 完全禁煙
アクセス:日比谷線六本木駅3番出口より徒歩10分、南北線麻布十番駅4番出口より徒歩7分/大江戸線麻布十番駅7番出口より徒歩5分