明日からウィスキーが始まりますが(ウィスキー言うなwHPの大介先生が
あまりに印象強くて)簡単に月組感想をです。
久しぶりの宝塚。1度きりの観劇でしたが、すっと心に温かいものが残る
ポジティブな意味で引っかかりのないハッピーミュージカル。
なんせ現在リハビリ中なもので重かったり(悲劇とかではなく)
色んな意味で観ていて辛くなるものはダメージになってしまう。
そういう意味では、気軽に楽しい気分にさせてくれるこの作品は
リハビリに最適でした。おかげさまで次の星組を見る勇気がもらえた
(勿論紅さんの再始動の発表があったからでもあったんですが)
脚本について。超大作日本初演ということでつい身構えてしまいそうですが、
ウエストエンドのハートフルコメディのように誰もが気軽に楽しめる大衆向け。
(なんとなく作風がブロードウェイというよりウエストエンドって感じなのは同じ欧州だからか)
スマホとかSNSとか(つい「今ならインスタ、Tictok」という言葉がよぎってしまうw)
最新の語句は出てくるけれども、話の筋としては“故郷を捨てた女性が周りに言われるがまま
自分を偽り頂点を極めるが、故郷の人々と関わりルーツを見つめ本当の幸せを見つける”
という、ありふれた物語でもあります。(ジョージが主人公だけれどもエマの物語だよなと)
正直それ以上でもそれ以下でもないのですが、時折顔を見せる“ナショナリズム”というべきか。
事あるごとにジョージはわれらは同じオーストリア人なのだからと言い、叫び故郷への愛を叫ぶ。
それが丁度故郷に息苦しさを感じて捨てて行ったエマとの対比になっているのですが、
(まぁジョージの場合は自分の家族に息苦しさを感じて外に出たがってただけですが)
あのホームレスたちの中にも移民だっていたでしょう。そもそもオーストリア人とは?
オーストリアの範囲は?海に囲まれてきた日本人にはわかりにくい部分でもありますが、
絶えず文化や人々が他国と入り混じってきた歴史の中で、恐らく本家では皮肉交じりに
エッジを利かせつつ、“愛すべきこの地に住むすべての人々”に向けた作品だったのでしょう。
それが良い風に言えば“日本人にもわかりやすく”悪くいえば“ぼやけた”感じになって
メッセージ性が薄れてしまっているように感じたのは残念なところでもありますが。
多分そのままやってしまったら「オーストリアのローカルネタなんてわからないよ!」
ってなってしまうかもしれませんが(まぁウィーンμって案外ドギツイですからね
あの本家『エリザ』だってマスゲームとかかなり皮肉が効いていましたが、、、)
例えばエマの本名“アデーレ・ヴァルトフォーゲル”本家では笑いが取れる場所だとか。
一体その名前のどこに?と思ったりもしますが、アデーレというのはありふれていて、
あのオーストリアの帝王ヨハン・シュトラウス二世の『こうもり』(宝塚でもやりましたね)で
女優志望の小間使いだった女の子の名前。ヴァルドフォーゲルは説明の合った通り“森の鳥”
田舎風な苗字だそう。日本人で例えるなら“星小路紅子の本名が山田マヤだった”
ってな感じでしょうか(全国の山田さんすみませんでしたマヤは勿論某漫画から)
個人的には1度の観劇だけではエルフィーネタが拾い切れていなかったので
そのあたりをもう少しちゃんとわかってみてたらより面白かっただろうなと。
まぁその辺を上手い事宝塚版として潤色してあるなとも思いますが。
そもそもジュークボックス・ミュージカル。本家の時点でも粗がありますし、
潤色していく上でもどうしても粗が出てしまうのは仕方がない事か。
気になる点といえば、ジョージの慈善事業は別に隠さなくてもよかったじゃないかと思ったり、
(欧米では上流階級の慈善事業は当たり前のようにやっていますし)
1幕終わりが唐突すぎるかなとか(まぁ物語の展開自体がぶつ切り感がありますが)
従業員のコンプラ的に星5つだなんてありえるだろうかと思ったり。
一番は誰もが思った「落としたケーキを落とした状態のままフォークでがっつり食うんかい!」と
「下において味見したケーキを戻すんかーい、かーい、かーい」ですね
最初は、エマちゃんそんなにケーキガッツかなくてもって思っちゃいましたよ。
されどジュークボックス・ミュージカル。細かいところを目を瞑っていれば
素敵な楽曲に合わせてショーアップされた世界を堪能することが出来ます
なにより月組、多少の粗は技術面で力押ししてしまう(それが良いのか悪いのかでもありますが)
今の月組が送るハッピーミュージカル、東京ではこれからの季節にピッタリの題材ですね!
続く