水の中。 -20ページ目

水の中。

海外小説のレビューと、創作を。



fujidana


去年は旦那が忙しぶっていたせいで、私まで夏休みをとりそこねてしまったので、
今年こそは! 今年こそは計画的に休んで、
きちんと旅行へ行きましょう。



とか思っていたわけですが。



やはり二人で相談を始めてみると、さらりーまん二人家庭ではなかなか休暇の折り合いがつかず、
挙句に旦那が繊細ぶって

「そこは暑い」

「そんな寒いとこだめ」

「そんな砂漠ムリ」

とか言い出すので、行き先さえなかなか決まらず……



ようやく6月始めにゴールドコーストへ行くプランを立てて、申し込んでまいりましたが、
うわーびっくりした!
なにこのオイルサーチャージの高さ!!



現在1バレルいくらなのか知らずに、ただボンヤリ

「いま燃料高いからなー、ブリスベーンまでだと3万くらいかかるかなあ……」

くらいに思っていたのですが、甘い甘い、甘いですよ自分!



ひとり4万7千円かかります。うはー(あ、でも空港使用料も込みですが、それにしても高い……)。




私は飛行機が大大大好きで、乗っている間はほとんど起きて楽しんでいる(雲見たり本読んだり飽きないですね! ってバカだな……)くらいなので、次世代輸送システムをつくってくれとか、そーゆーことを言う気はないのですが。



ああ、なんかなー、水素とかで飛んでくれないかなー、飛行機……。





どうもこんばんは私です。


書庫の更新情報をのせているブログのほうで香りのことを書いたので、
こちらでもちょっとだけ香水のお話を。



ディオールさんは誕生月に小さなギフトをくれるのですが、
今年はコレ、ジャドールのミニボトルとポーチ(もらっておいてアレですが、携帯するならアトマイザーでいいわけで、正直使い道がない……)ですね。





ジャドールの香りをつかったバスラインが出来たそうなので、そのプロモーションなのでしょうか。
香りは……そうですね、うーん……。
ちょっと甘すぎるかなーと。



ところで、このフレグランスというもの。
濃度別に種類が分かれておりまして、濃いほうから



パルファン

オードパルファン

オードトワレ

オーデコロン



となります。濃いもののほうが、とうぜん香りも持続するわけですね~。



まあ、日本人などは人種的にも生活習慣から言っても(なにしろ毎日風呂に入るし!)体臭が薄いので、あくまで「香りを楽しむ」という使い方になるかと思われます。私などがよく使うのも、やはりトワレあたり。



「これが自分の香り」というものがある人はステキだなーと思いますが、私はおおまかに「寒い季節はコレ」「暑い季節はコレ」みたいな使い分けをしております。
今の季節はカルバン・クラインのユーフォリア・ブロッサム。

カルバンクライン ユーフォリア ブロッサム50ml EDT-SP
¥4,179



あまり強烈なアピールが無く、これという特徴の無いものがスキですね! (←つけなきゃいいのでは……?)




「わたし」はお堅いだけの臆病な人間だ。
それが何故、妻子のある男性との関係を始めてしまい、始めた途端に彼を失ってしまったのか――


ミランダの周囲に怪異が訪れる。
それはすべて「こうであったはずの未来」、彼女が知らずに奪い続けた、他人の宝物だった。



the marriage of sticks




うーむ。


先が読めない展開といい、いきなり起きる悲劇といい、そりゃ反則だろうという不可思議といい、
いつものキャロル節です。たいへん面白い。
しかしここへ至って、ようやくこの作家さんというものが分かったような気がするのですが、
要するに物語の筋自体に何らかの意味を持たせているわけではないのですね。


物語の結末によって、何かひとつのテーマを語りたいわけではなく、語りたい部分はあくまで細部なのではないでしょうか。


愛と恐怖と死と残酷さと希望と。
人生を順不同に訪れるこれらを、ひとつひとつ、綺麗な石のように磨き上げて語ってくれるのです。
この磨き上げたエピソードをどのように繋ぎ合わせるかについては、とても感覚的に処理されているというか、この作家さんにとっては「わりとどうでもいい」ことであるのでは。



だからこのように
「えー、なんだこの展開?」
みたいな経過で、
「つまりどういう意味ですか?」
みたいに終わってしまうわけですね。



本作の背表紙に書かれているような

「鬼才キャロルにのみ許された超絶技巧!」

というのは上手い言葉ですが、正確なところは

「鬼才だからできるズボラ運転!」

みたいなものではないでしょうか。



おっと、内容にまったくふれていませんが、
ミランダという古物の売買を職業とするお堅い(本人そう思っていてまわりもそう言ってるけど、やってることは全然おかたくないと思うのは私が日本人だからでしょうか……)離婚経験のある女性が、


1同窓会で昔の恋人の死を知り(このへんシリアス)
2恋人の知人であったという男性と不倫関係になり(このへん恋愛もの)
3不倫相手は奥さんと別れ(あれ? そうくるか?)
4二人で暮らし始めたとたん、彼が死亡(えっ、いきなり?)


こーこーかーらー、ミラクル怪奇現象が起きはじめる~



……という物語です。←わかんね



なんだかんだ言ってますが、とても面白い。
前作「蜂の巣にキス」に出てきた町と登場人物が再登場するのが意外ではあるのですが(作風全然ちがうのに)、この作品のほうが本来のキャロルらしさにあふれていて、私は好きですね。



最後になりますが、今回の訳者さんはいつも素晴しい名訳でキャロル作品を届けてくれていた浅羽莢子さんではなく、後任(て表現はサラリーマンぽいな)の方だそうで。
あの表現で新作が読めないというのはとてもとても残念ですが、心よりご冥福をお祈りしております。




単道雲(シヤン・タオユン)は元中国経済部の主任監査官。
ある事情から失脚し、政治犯として強制収容所へ入れられてからというもの、ラマ僧たちとの生活が彼を変えていくのだが、
ある日殺人事件が起こるのだった――

頭蓋骨のマントラ〈上〉 (ハヤカワ・ミステリ文庫)/エリオット パティスン
¥693
Amazon.co.jp


Inspector Shan Series
Inspector Shan Series




「頭蓋骨のマントラ」
「シルクロードの鬼神」
「霊峰の血」




このブログを始めた当初にも簡単にレビューを書いた記憶のある本作ですが、
みなさんのブログ記事や最近のチベット関連の報道で思うところもありますので、ふたたびご紹介を。



本作の、アメリカ人弁護士であった作者が、中国人を主人公に、そしてチベットの現実を背景にして語る、というコンセプトに

「うわすごいなソレ」

と当時も思った作品ですが、読んでみるとまた内容がすさまじく、「これはいつの時代の話ですか」と目を疑うような弾圧が描かれているのですね。



おそらく作者パティスンの意図するところは、世界へ向けての告発であって、ミステリというのは売りやすいパッケージに過ぎないのではないかと。



だってですね、娯楽……娯楽とするにはちょっと……長いというか展開しないというかカタルシスがないというか三作目は特に読むのがつらかったというか、しかしそれは作者に非があるというわけでなく、
「容易に変わることのない、解決することのない現実」
を書いているためであると思われます。


ささやかな勝利、のようなもの。
ささやかな共感、のようなもの。
が生まれることはあるのですが、決して根本的に何かが解決されることはなく、シャン・タオユンの旅(というか放浪?)はつづくわけです。



Inspector Shan Seriesとして現在5作まで書かれている中で、邦訳されているのは今のところ3作目まで。



おすすめ……というのとは違うのですが、一読の価値はある作品です。


もっと読まれてもよいのではないかなーと思うのですが、やはりミステリ、あるいはただの物語と考えると「傑作だ!」と言ってしまえるものかどうか。現実社会を動かす動機となることだけが物語の価値ではないと思うので、社会派作品を他のフィクションと同列に扱うのは難しいですね。



ちなみに私が物語として好きなのは、二作目「シルクロードの鬼神」です。





sweets

下のほう(てきとう)の記事の友人の話ですが、
その後お宅を訪問したところ、慣れない子育てに大変そうではありますが、
とりあえず夫婦仲良く幸せそうで安心しました。



で、なごやかに写真などを見せてもらっているときのことなのですが……


「これこれ! このころ私すごくぽっちゃりしてるでしょー!」
と言われ、


「ああ、ホントだね~」
と頷いたところ、


「……そっちは産後の痩せてるほう!!」
と叱られました(叱られ人生……)。



そのあげく、「アンタと彼ってすごく似てると思うの!」と彼女の旦那に似ていると言われました。


あの旦那と……クマのようなあの旦那と?! (めまい)


私はよく友達に「アンタは私の旦那に似てる」と言われるのですが、
自分なりに分析するに、細かい違いに気づくことなくテキトーに相手の話を受け流すという、
どこかしら無神経なところが乙女心を傷つけているものと思われます。


(なのに友達でいてくれてありがとう……)






13



下の記事で書いている「秒速5センチメートル」を観ていて思ったのですが、
ふつーに考えて、初恋というものが実るわけもなく……。



いえ、実る実らないというより、その幼い恋がつづくことって、あまり無いことですよね。

現実に中学時代に別れた女の子のことを社会人になってまで思い続ける男がいたとして、
それは……それはやはり思い込みではないの? という気がするのです。
いまそこにいる彼女はどうなるの? 
それはさー、純粋というよりつめたいんじゃないの、と。



ところが、ところがですね、コレがフィクションとなると、「この初恋が実るといいなあ!」と素直に思ってしまうのですよね。
下の作品で言うのなら、
「なんでアカリはタカキじゃなくてそっちの男と結婚しちゃうのー!!」
とショックを受けてしまうわけです。
よく考えなくても、そのほうがフツウなのですが(そんな十年以上前の過去はすでに思い出じゃろ……)。



思うに、物語では積み重ねた膨大な時間の流れまで描ききるわけではなく、
スポット的にエピソードが提示されるわけで、観客はかたよった感情移入をさせられてるわけですね。
もっと言うのなら、作り手の目線で感情移入させられているわけです。



つまり初恋を重んじているのは、観客でなく作り手側なのですよね……。




昔の(今はどうなんだろ)少女漫画などは、

「初恋の相手と結ばれる(なんとヘタすると結婚までしてしまう!) 」

というのが黄金パターンであったように思うのですが、私も子供のころはそれが素晴しいと思っていたように思うのですが、
今はなー……。


「そのころ絶対だと信じていた思いでも変わっていくものだ」
というのを知っていて、変わることのできる自分であることを誇らしく思ってもいるわけで、だから恋愛物で一途すぎる純愛を見かけると「あらあら~」と思ったりするのですが。
個人的には「初めて好きになった」の「初めて」の部分には、それほど中身があるわけでもないと知っているわけです。が。



でも、こういう作品にあっさり誘導されてしまうあたり、やはり刷り込みって偉大だなと思ったりするわけです。
初恋にとくべつな価値があるというよりも、これはかつて存在したはずの可能性とか「そうであった自分」への愛着、ではないかと思うのですが。





「いったいどれほどの速さで生きれば、君にまた会えるのか――」


たがいの転校で離れてしまった貴樹と明里。
それぞれの時間が降り積もり、互いの影をさがしながら生きていくのだったが……



劇場アニメーション 「秒速5センチメートル」Blu-ray Disc
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One more time,One more chance 「秒速5センチメートル」Special Edition/山崎まさよし
¥950
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「桜花抄」 (貴樹視点。中学生のふたり)
「コスモナウト」 (貴樹の転校先。種子島での彼に思いをよせる花苗視点)
「秒速5センチメートル」 (大人になった貴樹視点)
という三編構成。



新海作品は、ドラマが無いのです。
これを他のアニメーションと一緒にしては語るのが難しくなるので、物語ではなく「映像ポエム」あるいは「イメージ喚起作品」として鑑賞するのが正しいかと。
ただ、その映像ポエムがすごい素晴しい出来なのですよね~。いやー、泣かされます。


テーマは相変わらずだし(幼馴染的なほのかな恋、そして遠く離れてしまう二人、という毎度おなじみのモチーフ)、テーマの結論にもまったく同意できない(貴樹はさー、いまそばにいる人を大事にしてやれよ!)のですが、この作品にそんなことを言うのは、やはり野暮ではないかと思います。



3話目などは、セリフも展開も特になく、ほぼ完全に山崎まさよし「One more time, One more chance」のプロモーションビデオでしかないわけですが、これが本当に素晴しい出来で、やはり「物語」ではないのですよね。
観客それぞれが、それぞれの思い出を思い出しながら、「ああ、こういうのあったなー」と浸るのがよろしいかと。



そして美麗背景ですが、特に空。
この人の描く空って広いのですよね~。
私は個人的こだわりにより雲のカタチなどにうるさい人間ですが、あれは人間が下から眺めることのできる視界よりも、もっとずっと広く遠くまで描いた空ですね。
だから牧歌的にはならずに、ファンタジーな美しさがあるのだろうなあ……。



というわけで、ようやく観た本作ですが、
これ劇場公開してるのですねえ……。他にも作品があればよいのですが、これだけ観に行くのはツライ。というより劇場で観るより部屋でひとりで何回か繰り返して観るほうがいいかもしれないです(短すぎるしな……)。


ちなみにYahooの特集サイトはこちら。




sea




どうもこんばんは私です。
ここの無更新ぶりからも分かるように(分からんて)、やや忙しく生きていたので、
各方面に不義理をはたらいていたのですが……



今日、友達の旦那さまから
「ヨメが寂しがっているので、数時間でもいいから遊びに来てください」
というメールをいただきました。


ど、どんだけいいひとだ友達のダンナ!!
いやどれだけ音信不通だったのか私!! という話かもしれないですが。



しかし出産したばかりの母子に、このサラリーマンな自分は何の役にも立たないですけども~、とお返事したところ、
「アドバイスしたり手伝ってくれる人はかえってストレスになるみたいなので、きみの役に立たなさが必要です。ぜひくだらない話をしに来てください!!」


という熱心なお誘いをいただきました。



私の役に立たなさが求められているようです。
この無能が輝くとき……!  ←怒れよ




しかしアレですね、生きていると雑事が多くて……
いえ友達のことが雑事というのでなく、
ダイレクトメールを処分してないなーとか、
植木の植え替えしてないなーとか、
受けなきゃいけない検査もすっぽかしてるしなー、
運転免許の更新もしなくちゃだわとか、そういったこまごましたことがまったく出来ていないのですよね。
ああ、ヨメとか秘書とかお母さんとか、そーゆー存在が欲しいなーと思う今日このごろです。



いやダメだ何言ってるんだろ、ヨメがかわりに検診してどうすんだ。

……実際のところは忙しいのではなく、体力が低下してるだけなのでは、という気もするのですが。
(老化か……?)





チェルシー州チェーンウォーク472番地。
今夜も四人の友人たちがカーナッキに招待され、夕食をふるまわれていた。
しかしながら彼らの目当ては食事ではなく、食後に「ゴースト・ハンター」カーナッキが語り聞かせてくれる、怪異譚なのである。
気に入りの肘掛椅子に腰掛け、葉巻をくわえながら「さて……」といつものようにカーナッキの物語が始まった。


幽霊狩人カーナッキの事件簿 (創元推理文庫 F ホ 3-2)/W.H.ホジスン

¥1,008
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主人公カーナッキが友人たちを招き、「こんな不思議な出来事があったんだよー」と語ってくれる、そういうお話。
うーん、ドイルのホームズと同じ年代に書かれた物語で、
このたびわざわざ復刊された名作であるそうですが、うううーん。
何もこれはミステリではないとかホラーではないとか、そういう理屈が言いたいわけではなくてですね、

正直言って、読んでてビタいち面白くねえ。のです。

だってさー、だってですよ。
こんなに面白くなりそうな枠組みを持った(ゴーストハンターが友人を集めて、身も凍る体験談を! という)物語なのに、
肝心の物語がてんでつまらんのです。
というよりも、物語自体に書き手の誠意を感じない。


怪異を書きっぱなし。
理屈もつけたりつけなかったり。
種明かしもあったり、なかったり。
気のせいかもとか、勘違いだったとか、こうかもしれないけどここで語るのは難しい、みたいな逃げばかりうつのですよね。
「怪異に見えたけどこういうトリックでした」というケースはまだよいのですが、真正の怪奇現象については、まったくオチもなくテキトーな締めばかりで(なんだよ誘引霊気って!)、正直いただけない。
だったらさー、いらないんじゃないの、あれら伏線めいた描写は。


そしていちいち引き合いに出される「シグザンド写本」だの「サアアマアア典儀」だのという、うそっこ魔道書のたぐいも、特に本書の内容に信憑性を与える小道具の役割を果たしていない。
というより、むしろ邪魔くさい。
まだ物語として書かれていない事件を「~事件において~だったように」みたいに引用するのも同じで、
あーもういいよ、そーゆー小手先のテクニックは! 
……という、うんざりした気持にさせられてしまいます。



ちなみに収録作は以下のとおり。タイトルはいかにもな雰囲気で素敵だと思うのですが、肝心の内容が……



礼拝堂の怪(この話はオチはあるけど動機がない)
妖魔の通路(オチがあるのかと思ったら本当の怪異であったようです)
月桂樹の館(「今回の話はかなり面白い」カーナッキの前置きがアテにならないことが段々わかってきた……)
口笛の部屋(話はマシなのですが、最後のカーナッキの星気体うんぬんのトークで台無しに)
角屋敷の謎(でたよ「シグザンド写本が示唆している説があてはまる」という意味わからんこじつけ!!)
霊馬の呪い(えーと、これは怪異でなく「誘発霊現象」だそうです。なにそれ。)
魔海の恐怖(そんでこれが「誘引霊気」が原因だそうです。だから何それ)
稀書の真贋(これはただの贋作話では……)
異次元の豚(豚も退屈だけども最後のカーナッキのへりくつがもっと退屈……)
探偵の回想(前述したどうでもいい事件を解説してくれるどうでもいい回想。読んでて眠くなる。)


すみません、わざわざ復刊された作品なので、おそらく私には分からない魅力のある作品なのだと思います。


でも分からんのです。


読んでいて、まったく面白くなかったのです。
どなたか本作の魅力を教えてください……。


うっかり飲み友達である殿と間違いを犯してしまった(?)蛍。
ふたりの恋を応援するはずが、自分がとんでもない邪魔者になってしまい……?

ホタルノヒカリ 11―IT’S ONLY LITTLE LIGHT IN MY LIFE (11) (講談社コミックスキス)/ひうら さとる
¥420
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おおー、今回は、 「友達からラブ」は成立するかの巻ですね。


このまんがの主人公である蛍ちゃんの場合、「アタシの場合は無し!」ということで結論づいたのですが、
ここで言っている高野部長の説は正しい! じつに正しいと思います!
この説というのが何かとゆーと


「友達だったからとかどうとか、そんな手前で頭でっかちに悩んで恋愛の波を見逃しているから、キミはいつまでたっても干物なの」



だそうです。

そう、そうなのですよ。
恋愛に縁がうすい人とゆーのは、そもそも恋愛というものを大げさ、あるいは運命的なものと考えすぎていて
「とりあえずその波にのってみる」
というのが出来ないのですよね。
なので実際に「コレ」という波がきてものり損ねたり、体当たりの挙句に玉砕してしまうわけで……。



まあ、恋愛上手がそんなにエライのかというと、ううーん。
ううーん、そうですねえ……。



実際のところ恋愛というものが素晴しいかどうかはさておき、対人関係スキルという点では、
やはり恋愛上手なひとのほうが人間関係も広かったりして、そうでない人よりは人生全般に豊かではないかというのは、なんとも否定できないような。



しかし、かと言って自分らしくないことをしてみても、やはり上手くいかなかったりするものなのですけどね……。

自分の殻を破るという意味では、そういう発想の転換というのは大事かもしれないです。


私もかつて「もう人に幸せにしてもらおうと思うのはやめだ。今度好きになってくれる人がいたら、世界一幸せにしてやろう……!!」と夜空の星に誓ったことがあります。←なんか間違ったヒーロー物みたい……