ラブストーリーにおける初恋というもの | 水の中。

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下の記事で書いている「秒速5センチメートル」を観ていて思ったのですが、
ふつーに考えて、初恋というものが実るわけもなく……。



いえ、実る実らないというより、その幼い恋がつづくことって、あまり無いことですよね。

現実に中学時代に別れた女の子のことを社会人になってまで思い続ける男がいたとして、
それは……それはやはり思い込みではないの? という気がするのです。
いまそこにいる彼女はどうなるの? 
それはさー、純粋というよりつめたいんじゃないの、と。



ところが、ところがですね、コレがフィクションとなると、「この初恋が実るといいなあ!」と素直に思ってしまうのですよね。
下の作品で言うのなら、
「なんでアカリはタカキじゃなくてそっちの男と結婚しちゃうのー!!」
とショックを受けてしまうわけです。
よく考えなくても、そのほうがフツウなのですが(そんな十年以上前の過去はすでに思い出じゃろ……)。



思うに、物語では積み重ねた膨大な時間の流れまで描ききるわけではなく、
スポット的にエピソードが提示されるわけで、観客はかたよった感情移入をさせられてるわけですね。
もっと言うのなら、作り手の目線で感情移入させられているわけです。



つまり初恋を重んじているのは、観客でなく作り手側なのですよね……。




昔の(今はどうなんだろ)少女漫画などは、

「初恋の相手と結ばれる(なんとヘタすると結婚までしてしまう!)

というのが黄金パターンであったように思うのですが、私も子供のころはそれが素晴しいと思っていたように思うのですが、
今はなー……。


「そのころ絶対だと信じていた思いでも変わっていくものだ」
というのを知っていて、変わることのできる自分であることを誇らしく思ってもいるわけで、だから恋愛物で一途すぎる純愛を見かけると「あらあら~」と思ったりするのですが。
個人的には「初めて好きになった」の「初めて」の部分には、それほど中身があるわけでもないと知っているわけです。が。



でも、こういう作品にあっさり誘導されてしまうあたり、やはり刷り込みって偉大だなと思ったりするわけです。
初恋にとくべつな価値があるというよりも、これはかつて存在したはずの可能性とか「そうであった自分」への愛着、ではないかと思うのですが。