「ウォークン・フュアリーズ」リチャード・モーガン(田口俊樹訳/アスペクト) | 水の中。

水の中。

海外小説のレビューと、創作を。

コヴァッチの故郷ハーランズ・ワールド。
ファースト・ファミリーであるハーラン一族が牛耳るこの植民星で、新啓示派の僧を殺し続けるコヴァッチがいた。
ある夜、コヴァッチは酒場でシルヴィという謎の女性を助け、成り行きまかせに賞金稼ぎのデコムの世界へと飛び込んでいくのだったが――



ウォークン・フュアリーズ 上―目覚めた怒り/リチャード・モーガン
¥987
Amazon.co.jp


ウォークン・フュアリーズ 下―目覚めた怒り/リチャード・モーガン
¥987
Amazon.co.jp



★感想のかなりの部分がネタバレ! となっておりますので、結末を知りたくない未読の方はご注意を!!
ちなみにシリーズ一作目の感想は
こちら 。二作目の感想はこちら となっております。







う、うーん。


本作は、このシリーズ中もっともSFらしい広がりのある物語であったと思われます。が。
「タケシ・コヴァッチ主演のハードボイルド」という読み方で言えば、なんだかなー、モヤモヤしたまま読了したような。
私がここでハードボイルド論などを論じるのはお門違いであり、またそのつもりもないのですが、えーと、


●過去に大きな傷と悲しみを抱え
●この世の当たりまえな幸せからははみ出しちゃっている
●タフな主人公が
●なんだかんだ言いつつ市井のひとびとに手を貸してやる


みたいな! ざっくり言えばそーゆー物語であると思って読んでいた本シリーズがですよ。



●過去に大きな傷と悲しみを抱え(これはまあよかろう。イネニンでのこととかサラのこととかですよね)
●この世の当たり前な幸せからはみ出しちゃっている(これもいいか。元エンヴォイはまともな職につけないそうですよ!)
●タフな主人公が(これも合ってる。しかし回を重ねるにつれて実態がアヤしくなる「エンヴォイの特殊技能が……」という決まり文句。だいたい今回役にたってるのはエイシュンドウ製スリーヴのほうじゃないだろうか……)
●なんだかんだ言いつつ市井のひとびとに手を貸してやる(ここだ! ここが違うわ! 自分からトラブルを巻き起こしーの、手を貸してくれと頼んだクウェリストにまでケンカ売りーの、盗んだバイクで走り出しかねない中学生だわ!!)


……という物語であったわけです。
今回、過去のコヴァッチのファイルを利用した「過去の自分」、ダブルスリーヴ(この世界では二重スリーヴは重大な犯罪とのこと)された「もうひとりの若いコヴァッチ」が主人公を追いかけてくるのですが……
これはかなり面白い設定であり、実際にコヴァッチの「若い自分」への心の動きなどもとても面白く、この二人の「自分自身対決」が真の山場であったりするのですが……
この若いコヴァッチ、自分の能力に自信満々で、未来の自分の姿を情けなく思っているという、まあ確かに鼻もちならない若者ではありますよ。
しかし、この若者の罵り、言ってみれば過去からの告発に対して、我らがコヴァッチが何を言うかというと、

「そんならお前なら俺よりマシな人生おくれるものか、ためしにやってみろっつーの!!」
壮絶な逆ギレ。
そう、残念なコヴァッチ(大)が、残念予備軍のコヴァッチ(小)に逆ギレでございますよ。

うーん……。



前作「ブロークン・エンジェル」 でも言われたように、コヴァッチとは「信じないことにこだわっている」人物であると思います。
「信じない」「信じない」と唾を吐き続けるのは、逆に言えばとても潔癖な人間であって、「心から信じられるものがあれば」むしろ信じたいという飢えた心情の吐露ではないかと。
ただなー、このへんが本作ではあまり肯定的に書かれていないというか、「すごい荒れてるなー」としか読み取れず、悪態ばかりつく、荒みまくったコヴァッチに共感ができないのです。
元からおとなしい善人でないことは明らかなのですが、それにしても今回のこれはひどい。



このすさみっぷりの直接的な原因となったのは「元恋人」であるサラの死であることが中盤になってやっと語られるわけなのですが、どうもこれにも納得がいかない。
サラがコヴァッチを捨てて他の男と結婚し、子供をもうけたことはさておき(いや……この時点でかなりコヴァッチにとって他人だと思うけど、そこらへんは個人差を汲みましょう)、サラが真の死(いわゆる再スリーヴ不可能なリアル・デスってやつですね)を迎えたのは、悲しいことですが彼女の選択した人生の結果であると思うのです。
サラはコヴァッチに助けを求めたわけではないし、コヴァッチに何一つ責任はない。



少なくとも、「サラを助けようとしなかった村人全員を皆殺し」にするような出来事ではないはずなのです。
さらにはこれに関わる宗教関係者を狩り続けて、回収したスタックにまでとんでもない仕打ちをするわけで。



復讐を続けて、いったいどうしたいのか……。



そもそもですね、それは「恋人を失った悲しみ」ではなくて、「つもりつもった数世紀分の厭世観のはけぐち」ではないのかと、そう思われてならないのです。
このあたりが非常にモヤモヤしており、エピソードを通してこのコヴァッチの問題が解決されるわけではなく、エピローグの独白にのみ「なんかちょっとスッキリしちゃった。復讐やめた! 未来は少しだけ明るいかも☆」(もちろん意訳)みたいに書かれてもさー、納得いかないと言いますか、「だったら今までの不快感をどうしてくれるんだよ!!」という気持になってしまうのですよね。



そしてですね、さすがシリーズ完結篇! このような物語であった本作の最後の一行に、なんと「信じている」みたいな言葉が出てくるのです。「信じている」。あのコヴァッチが。
ここは今までの「信じない」というコヴァッチとの対比で、ちょっと感動してしんみりする場面のはずではないかと思うのですが、それまでがそれまでであるだけに、読み手の脳としてはこの変化を受け入れられず、
「ええー、今さら急にそんなこと言われても、こっちが信じられないっつーの!」
という不信感を植え付けられました。皮肉な話です。
うーん、これがこの三部作の完結編なのか……。



極東を思わせる世界観といい、火星人の遺した軌道上防衛装置エンジェル・ファイアの設定といい、SFとしては充分に面白い物語でありましたが、正直わたしちょっとコヴァッチが嫌いになりました……。