サトウユウイチのごすぺる放浪記 -803ページ目

伝道について考える(その2)


ユーリのごすぺる放浪記



 たいがいの教会では「聖餐式」は月に一度ほどの割合で行われているようですが、釧路キリスト福音館では毎週の礼拝で必ず行われています。


 「聖餐式」というものを知らないかたのために簡単に説明します。

 イエス様が十字架にかけられる前日に弟子達と食事をともにされたとき(いわゆる「最後の晩餐」)、ぶどう酒を私の血、パンを私の肉と思ってこれを口にするたびに私のことを思い出すように、とイエス様が言われた、ということが聖書に書かれています。

 「聖餐式」とは、この記述にもとづき、パンとぶどう酒(最近は未成年や車を運転して礼拝にこられるかたに配慮して、ぶどうジュースにするのが一般的なようです。)をともに口にする、礼拝中の儀式のことです。

 やりかたは教会によってさまざまですが、カトリックのミサで、ひざまづいた信者の口に白くて丸いものを神父が口に含ませるシーンを、テレビや映画などで見たことがあるかたがいるかもしれません。

 あれも、そのひとつです。


 他の教会では、たまにしか行われない聖餐式を、釧路の教会では必ず毎週行っている。

 これも大きなポイントのひとつだと僕は思っています。


 礼拝に出席されたかたならご存知だと思うのですが、教会の礼拝は聖書を読み、賛美歌を歌い、牧師の話を聞く、この3点にだいたい集約されます。

 その中で「聖餐式」は唯一、視覚、聴覚、味覚、触覚といったさまざまな感覚を刺激するイベントとして、礼拝の中で大きなポイントとなりうるのです。




 毎週のように礼拝に通っているなら、聖餐式は準備と後片付けがたいへんだから月一度でも良いということになるのでしょう。

 でも、いつ来るかわからない新しい来会者にとって聖餐式は、礼拝という非日常的な場に身を置いているということを強烈に意識させるはずです。

 それに話を聞いたり歌を歌ったりした記憶はすぐに薄れても、食べたり飲んだりした記憶ななかなか薄れないものです。


 実は今、僕はデリケートな問題にさらりと触れました。

 「洗礼を受けていない者を聖餐式に参加されるか否か」つまり、キリスト教徒の仲間として公に受け入れられていない礼拝出席者にもパンとぶどう酒を配っても良いのかどうか、という問題は、実はどの教会でも大なり小なり論争の的になっているのです。


 近年は「聖餐式に参加できるのは洗礼を受けた者のみ」とする考え方が支配的になっていて、釧路キリスト福音館や私の所属する日本キリスト教団でもその考え方を支持していますが、僕自身はそれを、その教会の事情によって判断するべきだと考えています。

 その基準について具体的に言うと、「聖餐式に参加してもらうことで今後も礼拝に参加してもらえる可能性がある未信者(洗礼を受けていない者)が一人でもいるなら、その教会は未信者にも聖餐式を解放するべき」ということです。