サトウユウイチのごすぺる放浪記 -699ページ目

よく死ぬ よく生きる


ユーリのごすぺる放浪記


 今日はまず、日曜礼拝での説教の覚え書きから。

 あ、牧師先生、たぶんこのブログをお読みになっていると思うので、「ここは直してね」ってとこがあったらコメントください。


マルコによる福音書10章32節~34節

「イエスはふたたび12人を呼び寄せて、自分の身に起ころうとしていることを話し始められた。『今、わたしたちはエルサレムへ上ってゆく。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する。』」


人間にとって、最後で最大の仕事は、「いかに死ぬか」

それは、その人にとっての総決算であるだけでなく、残された人にとっても決定的な影響を及ぼす。


うらみ、つらみ、ぐちなど、呪いのオーラを発する人は、自分もまわりの人も不幸にする。

感謝、喜びなど、祝福のオーラを発する人は、自分もまわりも幸せにする。


さらに、死にさいして発せられる言葉は、とりかえしがつかないだけに決定的な影響力を持つ。

だから、私たちはなんとしても、祝福の言葉を残して死ねるように生きなければならない。


イエスは、十字架の死にさいして、私達に希望の言葉を残した。

その、イエスの十字架の死に感謝の心をもって応えるとき、

イエスの死は無駄とはならず、かえって私達の希望となって復活してゆく。


私達も、つらいとき、苦しいとき、悲しいときこそ、なんとかして感謝の言葉を口にしなければならない。

そこに、自分自身や愛する者たちの救いがかかっている。


私達が死ぬときに感謝の言葉をもって死ぬことができたら、そのときこそ私達の命、私達の人生は完成する。



☆☆☆☆


僕の最期の言葉って、8割くらいの確率で「オレがいったい、なにをしたぁぁ!」になりそうな気がする…