Deepolive のブログ

Deepolive のブログ

いつの時代も大変だから、今より3年先を思いながら今日を生きよう。小さな会社の社長のブログです。

皆さんいつもありがとうございます。



 
さもありなん、書けないままの月日でした!

23年2月に郷里の父は、ケアプランが決まり、3月から毎月1週間私も帰省する段取りでいたのですが、母から長~い手紙が届き、このプランで二人で頑張るから「かえらんでよろしい」ということで、帰っていません。肩すかしにあったようでしばらく悶々としました。「現場ができるか、はたらかせてもらいうか!」。要介護度がひとつ低くなった際の6月に一度会議のため帰省しましたが、以外やはり帰っていません。頑張っているようです。両親の暮らし方もそうですが、地域医療の連携による介護福祉の有難さったらありません。何かあれば必ずケアマネさんから連絡があります。夏など、寺から下の基幹センターに徒歩で降りたら熱中症になりかけ丁度自宅リハビリの日だったのもタイミングで、庵で休んでいるところを見つけていただいたり、施設のお風呂大好きだが皆さんに来てもらうのが申し訳ないと言って週3回を1回に変更したらしけど、水ぬるむ春になったらまたおいでと、また行こうと。父は、いつかはころぶだろう、一度は死にかけるほど、でも、助けていただいたが、それでも心臓肥大、脳だってすすむだろう、いつかは。母も危ないと言われようが何だろうが100歳まで運転できる!いけ~~自分の時間確保は大事!お寺も一生懸命限界を超えてやるけど、いつかは。なので、住み慣れた自分の町の、ことば、あじ、空気のいろにおい、一緒に生きてきた人たちのぬくもりのなかで、もういちにち、もういちにち、を、生き延びていくのだろうと思います。下支えとして、ケアマネさんと相談しながら事務は進めている、そんな感じの今日この頃です。

お仕事は本当に皆さんに支えられたくさん手伝ってもらいながら、一日一日進めています。
23年12月57歳になりました。更年期高血圧にもなり、コレステロール数値も上がり、おとなになりました笑。だいじょうぶ、かかりつけ医に診てもらいはじめ、数値改善。今年はおとなのからだになったこともあり、酒を少なく大笑おおまじめ。膝をきにしながら走り、あたらしいジムにも挑戦しようかな~~


引き続きよろしくお願いいたします。

 

 

ブログを書くのが日常ごとだったころは、出展者として書くことに向き合っていたのだと今更だ。

 

これからどんな時に書くのかな~~わたし。

 

さて、

苦手な1月も終わりに近づき、

立春近づいてきた。

弊社は12月に納税、23年期の決算はそれなりに時間を費やし毎日、今日もトレなし、また今日もで、

この2か月まったくトレできてない。決算監査終わったらトランポリン体験行くぞ!

と思っていたのにインフルになる。だが!春の足音!むくむくとなってきたぞ!!

 

昨年11月はじめのこと

だいたい、眠れないのをいいことに、事務したりして朝を迎え数時間寝てまた始めるのが普通になっていた23年の日々だったが、ちょっとおかしい感じ、48時間眠れないということがあった。なんだかへん、どきどきするので、ひっさしぶりに血圧を測ったら158と98だった!見たことのない数字で、家人の通院するクリニックに行き、病院大嫌いのわたしがいき、見てもらったのだが、コレステロール、脂肪?尿酸?すっごく高いよ~~~ということで、日を変えエコーやら、してもらった。血管は大丈夫そうだったが、これが更年期か~~という脂質異常の状態を知り、「好きなワインはしばらくやめだ、だいたい心臓が強いからか飲んだらよく食べ益々飲めるし食事もあらゆるものが好きと来てるものだからこのざまだ、羊様もだめ?フライは食べないが、食べすぎはダメだ」という思いが頭を駆け巡り、かんねんすることにした。食事制限(あんなにトレしてた時はトレーナー面談があるのでそれなりに制限した食事してたわ)を開始。1月後の血液検査結果はすこぶる優等生スコアとなった。

 

が、油断はできない!、というかすでに今もう油断してる!?

わたしはこども?

 

血圧やらその他やはり気にしていないと、なにかあったら、弊社の商流があるので、皆さんに迷惑かけることになるだろう、

ということで通院をまじめに始めました。

 

2か月になります。元気でいられるよう頑張ります!

 

それではみなさんお元気でいてください!

またかけるときに書きます!!

 

 

BBCredio2で最近よくかかるIlseyさんの”No California”です。声が、いいです、聞いてみてください。

 

備忘録的➡今月の本;藤本和子「塩を食う女たち」「砂漠の教室」「ブルースだってただの唄」

          上野千鶴子「おひとりさま老後」

          森崎和江「慶州は母の呼び声」「まっくら」「からゆきさん」ヘビロテで読む上橋菜穂子「炎路を行く者」

     進行中・リチャード・ブローディガン「アメリカの鱒釣り」藤本和子訳、この後「芝生の復讐」

 

ではまたです!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんお久ぶりです!

まったく書かないまままた時間が過ぎてしまった。。。お変わりないですか?

 

父の認定は介護3から介護1となり、

素晴らしいケアプランで、地域医療連携のお世話になっている。

 

かえってこんでいい~~ダメになったらその時言う

 

と母が手紙をよこし、物足りなくもあるが、そうしている。ありがたいのが正直な気持ち。

いくらテレできたとしても、ね。

 

 

うちは寺だったと今更思うのだけど、

ひと様が居住空間にいて、やってきて、なんだかんだ動いてくれることにほぼ違和感がなく、慣れるのが早く、

週6日ケアの方が、日に1時間来て下さるケアプランを、受け入れ、どこか楽しみに、一日のルーティンに組み込んでいる。

人が出入りする環境が幸いした、寺にもいいことがあるものだ。

夏は寺参りもあるので通所は休んでいたが、、

施餓鬼が終わると秋(さすがにもう施餓鬼法要はできない)の気配が漂い始め、動物的に減速OKを感じるのか、

昨日から通所も再開し、大きなお風呂を楽しみに伺っているようだ。風呂はえーもんじゃ。

 

何かあればケアマネさんから連絡あるし、総代さんも助けてくれているから、

東京の長女は出る幕無し。

 

いまのところ

いまのところ

 

必ず次の段階はやってくる。

 

春から梅雨にかけては、2月に1度は八王子の達也さんと、ゆっくりランチして散歩もしたりした。

この2か月は、酷暑と仕事の多さでお散歩もできていないけど。

 

達也さんは、昨年5月に22年の介護が終わった。国立に直営店を出したのが2000年、

2001年春にお母さんが脳血栓で倒れ半身不随になった。その間、介護もあるけど、ふたりで死ぬほど働いた。

2018年春に私が催事出店中止を決定したため、同時にケイクラフツは長いお休みに入った。

最近話すのは、国立、百貨店、丸善で売らせていただき、たくさんのチャンスをいただき、

お客様に愛していただいたこと、製作や店の思い出について、日ごろは全く忘れていても、

記憶のサンゴ礁に出会いたいなら、話せば会えるので、また話そうぜってこと。

そして、お母さんが亡くなるまでの3年間はどんな感じだったのか、も。

 

家族の関係性や背景によって、また、仕事の内容によって、介護の形も多様なのだと最近思う。

社会的に最も信用が高くなる50代60代70代は、決して一人では乗り切れないと想像はしていたのだが、

今その「時の断面」に体を突っ込んでその断面組織を吸収してる感じがする。

これからいっぱい周りに世話になる、相談し、力を貸してもらう。

私は貸してもらいまくるつもり。

 

そんな感じの今です。皆さん

またかけるとき書きます!

どうぞお元気で!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん お疲れ様です~~!

 

どのような背景があったとしても、

販売の現場で立ち働く人たちのお給料が上がるニュースは嬉しい~~~!!

 

うっれしい~~~。

 

飲食業のみんなのお給料も上がってほしい~~~。

ごはんのお仕事はすっごく大事なんだ!おなかすいた人はたいへんなんだ!

おいしく提供するのは頭使うんだ!

 

ぜひ、物が売れる現場で働く人たち、ごはんの仕事の人たちの仕事をしっかり評価し、

賃金に反映してくれないだろうかと、

 

ずっと願い続けます。

明日も売れますように!!

 

 

 

それではみなさん

またです!