うみへいく -80ページ目
こんにちは。
さて、夫と息子のみならず、自分もADHD(発達障害)がありそうだということがここのところわかってきた気がする私です。
ちょっと色々と複雑な気持ちでいるのですが・・・あせる

これから、自分がADHDである可能性が極めて高いという現実を含め、夫や息子のことを書いていきたいと思います。

書きながらとっちらかった頭の中を整理できたら良いのですが、ブログなのでふと思いついたことや思い出したことを前後脈絡なく書いたりもしますが、お許しください。


さて、仕事と仕事の合間にちょっと更新してみます。
(訪問介護なので時間が空くときがあります)


夫のことで思い出したエピソードです。


以前、今と同じくらいのハロウイーンの季節に、外国の友達から息子たちへお菓子が送られてきたことがありました。

箱一杯にキャンディやチョコレート。
そして、上には大きな金貨のチョコレートが二枚乗っていました。
子供宛に送られてますから当然その二枚の金貨チョコレートは息子たちに一枚ずつの意図でしょう。

長男(息子1)がその場にいたので、それを説明して、「食べたらいいよ」と言っておきました。
で、たまたまその日は夜勤明けの夫がいたので、リビングに入ってきた夫がすかさずそれを見つけて、「あ!なにこれ。お菓子?どうしたの?」とがっついて訊ねてきたので、「いつもの外国の私の友達から、子供たちに送られてきたんだよ。ハロウイーンだしね」と答えました。

夫は「食べていいよね?」と言うので、キャンディもチョコレートもたくさん入ってるので「子供にくれたけれどいいんじゃない?」と私は言いました。

そして夫は素早くお菓子を掴むとポリポリ食べてしまいました。

そう、その大きな金貨のチョコレートを。
二枚しかない、金貨のチョコレートの一枚を(笑)。

私はびっくりして、「え、なんでそれを食べるの?二枚しかないでしょ?子供たちに一枚ずつくれたものだよ?」と言いました。

すると。

夫はキレました(-∀-`; )。

【じゃあ僕はもう一切何も食べなきゃいいんだな!】

もうプンスカしてます。
高校生になってた長男は無言でちょっと顔を背けました。
それからキレる父親に向かって静かに言いました。

【お父さん、僕の分を食べたことにすればいいよ。僕のをあげるから大丈夫だよ】

次男はまだ小学生なのでそう思ったのでしょう。







ちなみに、この息子1(長男)が、広汎性発達障害を認定されて9才からサポートを受けている子です。

夫、この時45歳です。

私が絶句したのは言うまでもありません(;´д`)。

もちろん、息子1に対して申し訳ないとか、大人げなくて恥ずかしいなどという感情は夫にはありません。

その後しばらくプンスカしてから、やがて忘れたようでした。

子供のお菓子に手を出したことは、まあ家族なので良いとして(私の内心ではちょっと引いてましたが…笑)、子供のだよ?と指摘したことにキレたことは解せません。

息子1のが遥かに大人対応です。
これ、キレるところなのでしょうか?
こういう小さなことが20年積み重なってきている私なのです。

ちなみに、食べ物に関しては我慢ができません。

もうすぐ夕飯だよ、って言っても、言ってるそばから冷蔵庫を開け、お菓子の箱を開けて食べ始めます。

夕飯前に食べないで、子供にも示しがつかないんだけど、なんで食べるの?と訊ねたら、答えは単純明快で「だってお腹が空くから」。

それでいて、お菓子を食べようとする息子には怒ってみせます。(私からしたら、え?あなたが言う?です)
「もうご飯だって言ってるだろ?」と。

自宅にいると、お菓子や甘いものは常に探しています。
子供用に買ってあったお菓子も食べてしまうので(しかも食べたことを指摘するとキレます)、いつの日からか旦那用のお菓子も買うようになりましたf(^_^;)。

また、ひとつのお皿に盛ったおかずも他の人のことは考えずに一人で食べてしまいます。言っておけば一応少し残してくれますが。

これは息子1もやりがちで、おかずの量だけでは皆のものなのか、自分だけのものなのか考えることもなく食べてしまいます。

なので、おかずはなるべく一人ずつ小さいお皿に分けないといけません。

かと思うと、あんこが大好きすぎて、大量の小豆を1日中煮て、鍋ごと一人でずっとそれだけ食べていたりもします。
甘酒もこれをやります。

ある日、私が不在でご飯の時間に間に合わなかったときに(仕事で)、帰宅すると子供たちはお腹を空かせていて、お父さん何か作ってくれなかったの?と訊ねると、「甘酒を僕に作らせたよ」と次男が答えたことがありました。



まったく、何一つ夫の行動が理解できない私でした( ̄▽ ̄;)。
私がADHDだから理解できないんでしょうか・・・?ガーン

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ カサンドラ症候群へ
にほんブログ村
にほんブログ村 子育てブログ 発達障がい児育児へ
にほんブログ村


発達障害ランキングへ
夜になってちょっと寒くなってきました。
こんばんはI。

今日は次男が11時登校(起立性障害のため)、長男が二学期制の高校の始業式で帰宅が早かったため、仕事の合間に帰宅して、家事やら子供のことやらやりつつ、また仕事へ、という感じで一日バタバタ走っていたような日でした。

今やっと少し落ち着くことができたのでPCの前に座っています。

さて、この前の日記で、私自身にADHDがあるのではないかと臨床心理士の先生に言われた話を書きましたが、本当のところどうなのかわからないのでちょっと調べてみることにしました。
正式に検査しても良いのですが、現状で育児や仕事など、生活になんら影響はないので機会があれば、というところで考えてみようかなぁ、という感じです。


**********


【文科省によるADHDの定義】

注意欠陥/多動性障害(ADHD)の定義 <Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder>
(平成15年3月の「今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)」参考資料より抜粋)

ADHDとは、年齢あるいは発達に不釣り合いな注意力、及び/又は衝動性、多動性を特徴とする行動の障害で、社会的な活動や学業の機能に支障をきたすものである。
 
また、7歳以前に現れ、その状態が継続し、中枢神経系に何らかの要因による機能不全があると推定される。


と書いてあります。
この手の説明書きはめんどくさい表現で書かれていることが多いので、ちょっとわかりにくいんですよね(笑)。
さて、私の場合です。
現在46歳です。
この年齢の発達に不釣り合いな注意力および衝動性・多動性を特徴とする行動障害があるのかないのか。
また、その行動障害がある場合、それによって社会的活動に支障を来していないか、ということですね。

答え。
46歳の発達度合ってなんでしょうかねぇ(^_^;)。
注意力のみで見るならば、おそらく一般的な人より転んだり、足を捻挫したりする率は高いかと思われます。子供の頃よりはもちろん減っていますけれど、ぼけっと歩いていて少しの段差で躓いてしまう、小さな穴に足を取られてしまうなどが多いです。
或いは、やはりぼーっと歩いていて、漫画みたいですが、フェンスや電柱にぶつかってみたりというのもあります。
もちろんたまに、のことなのですが、46歳にしては少々落ち着きがないわね、と指摘されてしまうかもしれません。

注意力散漫というのは、子供の頃よく母親から指摘されていたことです。
自分では、注意力が足りないという自覚はなかったと思いますが、母がそう言うのでそうなのだろうという認識は持っていましたが、それによって注意力が高まることはなかったと思います(笑)。

ただ、今の年齢ですと、若い頃に比べて色々な体の機能が落ちてきているのは事実ですし、更年期なのか不定愁訴に悩ませることもあるので、多忙で働いた後などに、仕事が終わるとふと何を考えるわけでもなく魂が出てしまったみたいにぼーっとしていることはあります。

そのようにぼんやりしているときというのは、意識的にしているわけではないので、心を許している相手(家族や親友など)の前だと、スイッチが切れたように相手の話を聞いていないこともよくあります。
悪気もないですし、聞きたくないと思っているわけではありませんが、心を空っぽにしてしまう感じですね。相手に安心して甘えているのかもしれません。
そういうことは仕事の上と育児の上ではまず起こらないので。

仕事や育児においては脳みそをフル活用して神経を張っていると思います。
その反動で、帰宅後や親密な関係の相手などに対し気を緩めてぼんやりをやらかしてしまうのかとも思っています。

ただ、相手から「ちゃんと聞いてる?」と言われればもちろん再度スイッチを入れて聞くことは可能ですので、これが支障を来しているかと問われるとわかりません。
それによって友人や家族関係が破綻したことはないので。
もちろん怒られるのでごめんなさい、はしますよ。

また、仕事においてもほぼこういったことはないので、そのぼんやりが仕事に支障を来したことはありません。

むしろ、仕事の時は多動性・衝動性が作用している可能性はあるかもしれません。
言われた仕事は素早く的確にこなしたい、という衝動がある気がします。
ミスは自分でも許し難く、かつ早く終わらせたいという気持ちが強いです。
そのため、どちらかというと「てきぱきと仕事ができる人」という評価を受けることが多いようです。

衝動性・多動性においては、やはり幼少期に「落ち着きのなさ」を指摘されています。
親だけでなく学校からもです。
もちろん授業中に立ち歩くようなことは全くなく、むしろつまらない授業だと寝ていたり、得意のぼんやりをかましたりはありました。
ただ、与えられた課題などがあるとやはり早く的確に終わらせたいという衝動はありました。
また、思いつくとそれを頭の中や書き出すことで整理して段取りを取る前に、後先考えず走り出してしまうということはあったと思います。思いつく⇒即行動、というものです。

そのために失敗したり、人生において最悪の境遇に陥ったりしたことはありました。
友に言わせると、「そういう痛い思いをしても同じ愚行を繰り返すバカ」と言われています。


さて、ここまで書いてくると、やはりどうもADHD臭い自分を感じずにはいられませんねI。

けれど、これらの症状により、私がADHDだと診断されたとして、しかし、それらが社会的に支障を来す行動障害となっているかと言われると、幸いなことにそこはないのですね。
おそらく私の場合は人生において失敗や困った出来事はあるものの、注意力散漫な部分と、多動・衝動の部分が割と社会で生きていくには良い具合に分けられて出てきていると考えられます。

なので障害という感覚よりも個性として周りから捉えられやすいものだったのではないかと思われます。

但し先ほどにも述べましたが、その性質によって大きな痛手、失敗をすることはあるため、それを生きづらいと感じてしまえば、二次的障害(メンタルにかかる様々な病気)を起こす可能性はあったと思われます。

というわけで、私はおそらくADHDの診断が出るのではないでしょうか(笑)。
年と共に衝動性は低くなってきていると思いますけれどね。なにしろいつもどこかしら「しんどい」ので、動くのがめんどくさい、とか隙があれば寝ていたいとか、そういった欲求のが強くなっている気がします。

では次にASD(アスペルガー症候群)について見てみることにします。

以下文科省による定義です。

アスペルガー症候群とは、知的発達の遅れを伴わず、かつ、自閉症の特徴のうち言葉の発達の遅れを伴わないものである。なお、高機能自閉症やアスペルガー症候群は、広汎性発達障害に分類されるものである。

また、他サイトで書かれていたものです。

アスペルガー症候群の特徴

1.社会性の障害(対人関係の障害)
……自閉症と比較すると社会性の障害の程度は軽いが、集団生活の場面で『場の空気』が読めず、適切な『状況の判断』が出来ないという特徴を示す。分かりやすく表現すると、集団生活のルールや対人関係の礼儀(基本的マナー)を理解することができず、馬鹿正直で相手の気持ちに合わせた会話が出来ないため、人間関係でトラブルを起こしやすい。悪意なく相手を傷つける率直過ぎる発言をしてしまったり、状況に不適切な無礼な振る舞いをして顰蹙を買ってしまったりする。基本的に、相手を見て態度を変えるような裏表や悪意は
殆どないが、柔軟性が乏しく場面にふさわしい対応が出来ない性格行動パターンである。

2.言語的コミュニケーションの障害・認知機能の発達障害は軽微である
……自閉症に顕著に見られる『言葉の遅れ』や『会話の不能』『オウム返し』などは殆ど見られず、語彙の豊富さ表現の難解さでは健常者以上の知的水準を見せることもある。その一方で、記述された文字や発話される言語を一義的に理解している為、言語の多義性やメタファー(比喩)、ウィット(機知)、ユーモア(おかしさ)などを適切に理解することが出来ない。語彙が異常に豊富で、難解な言い回しを好むアスペルガー症候群の人もおり、その場合には必要以上に回りくどく精密で細かい表現を使ってしゃべる傾向がある。悪いことをして注意されている時などに、一方的に精密な言葉を駆使して言い訳をしようとしたり、相手の気持ちに一切配慮せず自分の気持ちや欲求だけをぶつけるコミュニケーションをすることもある。

3.こだわり行動への固執性
……自閉症と比較すると、いつも同じ遊びや行動を取ろうとする常同行動・反復行動への固執性(こだわり)は弱いが、それでもやはり一定の手順でパターン化された生活リズムを好む傾向が見られる。手をひらひらと動かしたり、頭を床にコツコツぶつけたりする自己刺激行動への固執は比較的少ないが、生真面目過ぎて硬直的なルールや決まりに従い続けるような頑固さを見せることがある。適切な療育と専門的な生活指導を受けることで、パターン化した常同行動や反復行動以外の新しい行動や手段を身につけることが十分に期待できる。融通や応用が利かず臨機応変に振る舞うことが難しい性格特徴パターンに、どのようにして可塑性や可変性を持たせることが出来るかが療育上の一つの課題となるだろう。


以上3点において、アスペルガーの指針としているようですが、これに関しては全くあてはまりませんでした。

場の空気や相手の心中、言葉の裏側に関しては、むしろ必要以上に読んでしまう節があり、そのために気を使いすぎて疲れてしまう側面があります。
疲れすぎていると言葉の裏側に気づかず、安易に信じて失敗することはありますが、これは読めないというよりは、先に述べたADHDの衝動性故、というところだと思われます。

次に、言語の多義性を理解できない、という部分においては多少あるかもしれません。
しかし特筆するほどでもありません。それよりは、まわりくどいものの言い方(要点をうまく絞れない)、自分が話したいことを一方的に話してしまう、という方が若い頃は見受けられたと思います。
ですが、これもADHDの衝動性に分類される方かと思われます。
今も仕事以外の他愛もない日常会話においては、まわりくどいものの言い方をして相手にめんどくさいと思われてしまったりすることはあるのですが、一方的にしゃべることについては自分でも気を付けているのと、あとはこれも年齢でしょうか、しゃべることはしんどく(笑)、聞き役でいる方が楽しい、という感覚に変わってきており、マシンガントークをかますようなことはほぼありません。
若い頃もマシンガントークはあまりなかったかしれません。
姉の方がそれが凄かったので(笑)余計に家族の中ではあまりしゃべらなかったと思います。

最後に、こだわりや固執はあまりありません。
どちらかと言うと熱しやすいけれども冷めやすく、ひとつの事柄や動作に長いこと固執することはほぼないです。ルールや規則を破るのも平気です(^_^;)。←
絨毯が曲がっている、こたつの布団の中心がテーブルの真ん中に来ていない、などということにおいてはちょっとうるさく子供たちに注意することはありますが、あってもその程度です。

以上のことから、私の場合はどうやらASDは違うと思われます。



私、という人間は育った環境からAC(アダルトチルドレン)な状態で大人になり、幼少期よりADHD傾向にありながら結婚・出産してこんにちに至っているということですね。

ADHDの診断は受けていませんし、もちろんそういった療育も受けていません。
AC状態から離脱するためのカウンセリングなども正式に継続して受けたことはありません。
ひたすら自分の経験の中から、置かれた環境の中から、自分にとってなんとか生きやすい状況を探して、自分らしく生きてきた結果が今の私だと思います。

我知らず、私が迷惑をおかけしてしまった皆様には心よりお詫び申し上げます。
同時に、それでも友達でいてくれて、我が子でいてくれて、ありがとう。



※よく転びます↑

では、こんな私が自分の欠陥を知らずに結婚したことで起こったこと、夫との関係など、次回にまたお話してみようかと思います。

to be continue ⇒




にほんブログ村 メンタルヘルスブログ カサンドラ症候群へ
にほんブログ村
にほんブログ村 子育てブログ 発達障がい児育児へ
にほんブログ村


発達障害ランキングへ
おはようございます。
良い天気です!
今日からまた仕事、土曜日まで頑張ります。

ところでこのパンご存知ですか?

少し前から店頭で見かけて、気になって3回ほど購入したのですが、いずれもいつの間にか息子たちに食べられてしまい、私は1度も食べられず地団駄を踏んでいました(笑)。

で、今朝ようやく食べることが出来たのですが、食べたくて食べたくて期待しすぎたせいか、普通すぎて肩透かし食らってしまいました(|||´Д`)。

初めて見たときに即座に食べられていたらもう少しインパクトあったのかもしれませんが、わくわくしすぎたようです。

でも、おいしいですよ。
もちっとして、卵の風味が強く、甘いパンです。
おやつにいいかなぁ(*^_^*)。
子供たちも好きみたいです。

取り合えず満足したので、良かった良かった(笑)。
人間ってこんなちっちゃなことでも満足出来たりするので便利です。
いや、私の器がチッコイだけかな(^-^;)(笑)。

ひーたんに言わせると、私の容量は「ペキャ」クラスだそうで。


「ペキャ」ってなんだか想像できます?

「ペットボトルのキャップ」くらいの大きさってことですって!
むむむ(-""-;)(笑)。

朝晩すっかり寒くなりました。

なんだか残暑がなかったような(  ゚ ▽ ゚ ;)??


紅葉はこれからでしょうか?

桜の葉っぱが為す術もなく茶色く変わっているような気がするのですが(^_^;)。

これから紅くなるのかな?


みなさん、お風邪を引かれませんように。


一昨日、昨日とCS放送でドラマの「JIN」をやっていたのでついつい見てしまいました。

放送当時ももちろん欠かさず見ていて、ディスクにも落としているのに、見出すと止まらないのですよね。


私は原作漫画も読んだのですが、ドラマの出来具合があまりにすごいかな、と思ってしまいました。

原作者様にごめんなさいです。


キャスティングも良かったし、役者さんたちの熱の入った演技が本当に素晴らしくて、毎回涙なくては見れない作品になっていました。


内野聖陽さんの坂本龍馬はドラマ史に残る出来栄えなように思います。

(私、坂本龍馬大好きなのです)


この作品は当時、すごくヒットしたと記憶しています。

多くの人が感動されたと思います。


話の構成、キャラクターの魅力、俳優さんたちの演技力、演出の素晴らしさ、医術のリアリティ・・色々な要因があって人気が出たのだと思うのですが、ふと思ったのです。


仁先生もさきさんもすごくお優しいキャラクターなのですよね。

いつも患者さんや好きな人、大切な人のことを優先して考えているので、自然に他者に対して優しい言葉が出てくる。

下手をすると自己犠牲的な部分もあったかとも思います。

自分の欲求とも闘いながら、結局やっぱり他人のことを思いやってしまう。

まぁお医者様なので、人を救うのが仕事といえばそうなのかもしれませんが、とても優しく脆く、デリケートな仁先生(主人公)とその先生に惹かれていながら、求めず、でも正面から支えるために強く、ずっと陰から尽くし続ける健気なさきさん。


そこに主人公と時空を超えて関わる花魁や、或いは坂本龍馬など、歴史上の実在の人物が絡み、歴史的エピソードに影響を与えていくというスリルが加わるので、見ている者を、時に恋愛のドキドキ感、時に歴史のわくわく感に浸らせることに成功したのかな、と思います。


そして、この優しさ。

人に対する優しさや真っ直ぐさ、ですね。


これって多くの人が求めてしまうものですが、実はなかなか得られない世の中になってきたなぁ、と思う今日この頃ですf(^_^;)。


私は自己犠牲はあまり好きではありません。少し間違えると自己満になってしまう危険があるからです。

そして、自己犠牲から生まれるもの、得るものはあまり役に立たないものが多いのではないかと思っています。


でも患者さんや大切な人に優しくする気持ちというものは出来れば自分は持ち合わせていたいですね。もちろん患者さんだけでなく、赤ちゃんを抱えたお母さん、お父さんたちも。


患者さんとは苦しみを背負っている方です。

重い病気や傷を負って治療している方、或いは小さな子供、赤ちゃんといった社会的弱者というと烏滸がましいですが、そうですね、マイノリティと言えば良いのでしょうか。表現が難しいですね。


そういったマイノリティの立場に心を寄せて考えてみる、ということは基本的なことですが難しかったりもするのかもしれません。


最近では残念なニュースをちょこちょこ耳にします。


例えばつい最近も、60代の男性が駅の階段でベビーカーに乗った赤ちゃんの頭を殴って「邪魔」と発言する事件がありました。

子供が泣くのがうるさい、ベビーカーが邪魔、弱いやつはサンドバッグにしても良い、・・・こういった心理というのは昔からあったとは思うのですが、おそらく多くの日本人が心の中でおさめておけていたのではないでしょうか?もちろんすべての人がではないでしょうけれども。やっぱり心に余裕が持ちにくい時代になったのかもしれませんね。


ネットでも、コメント、やりとりの恐ろしさなどをよく目にしますが、正直見ているだけでも心に負担がかかります。

言葉は刃にもなるものです。

顔が見えない、名前が知れないという匿名性の中で、相手を傷つける言葉を平然と放てる世の中が怖いと感じることがあります。


言いたいことを言う、自分が思う真実をはっきりと告げることは悪いことではありません。

思想と言論の自由は保障されている国ですから。

言いづらかったことを公にできることで、心が救われる人もいることでしょう。


けれど、ネットとはいえ、その文字の向こうには生きて、心がある人間がいることを思い出してから言葉を放ってもらえたら、と思ってしまうのです。甘いですかねぇ~(^-^;)(笑)。


何故、相手はそう考えるのか、何故そういう意見なのか、自分はこう思っていたけれどあなたはどう思うのか?ということを話したいなら、批判や否定から入るのではなく、リアルに顔を見て話をするように、相手の考え方に心を寄せてみてほしいと思うのです。ましてや、初めて絡む相手なら尚のこと。


人を傷つけるのが人ならば、人に優しくできるのも人。

人のことで自分の心を悩ませてしまう仁先生のようになれとは思っていません。

ただもう少し相手の立場や置かれた環境について想像してから言葉を使ってほしいなぁと思うのです。



今日、ツイッターでこんな発言を見ました。


「家族が助け合うのは当たり前のこと。それは人の道だ」


という意見です。

それに違和感を感じた方が、必ずしもそうはならないと訴えているのですが、違和感を感じた人が何故そんな、「家族は助け合うもの」などという当たり前とも思えることに反論したのか、想像したらわかるのではないでしょうか?


その人は家族が助け合わなかった、或いは助け合えなかった環境で生きてきた人なのです。

自分の本意とは別に。


誰もが家族が仲良く平和であることを望むことでしょう。

幸せになるために結婚をし、家族を作るのでしょうから。


けれど、残念なことに、仲良く平和に助け合うことを望んでいながら、そうはならない家庭は確実にたくさんあるのです。


虐待、DV、貧困、障害。

そこから患うメンタル。

幸せを求めたはずなのに、異なった結果が現実にあるのです。

それは、家族なのに平和に仲良くできなかった子供たちの責任なのでしょうか?

虐待された子供は、その子供が弱かったから仕方ないことなのでしょうか?


家族は助け合うのは当たりまえだと言いたかったのに言えなかった人の気持ちや立場、環境に対して少し想像を働かせることができるなら、違和感を感じた人の意見を頭ごなしに否定して、「あなたはカウンセリングへ行くべきだ」などという発言は出来るはずがないと思うのですが。



ASDに限らず、相手の立場や心、気持ちなどに想像を働かして察してあげる力が、ネットを使ってやり取りしていると、自然と落ちていくのでしょうか?


悲しいかな、今の時代は生きにくい、と私は時々思うのです。


ですから、人の優しさに触れて涙を流すようなドラマを、私は時々見たくなるのです。


ネットで刃物のような言葉を放っている人も、リアルでのその人の周りの大切なひとたちには優しい言葉をかけられる人であると思いたいです。


余計なお世話かもしれませんけれど。







にほんブログ村 メンタルヘルスブログ カサンドラ症候群へ
にほんブログ村
にほんブログ村 子育てブログ 発達障がい児育児へ
にほんブログ村


発達障害ランキングへ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151010-00000011-asahi-soci

こんなニュースがありました。


今問題になっている子供たちの貧困です。



この記事しかまだ読んでいないので、他のメディアがどう書いているのかはわかりませんが、私がこの記事に目を止めたのは、この二人の姉妹の母親が、私の長男と同じ「広汎性発達障害」をお持ちだったからです。



二つのことが同時にできないお母さんは、旦那さんから「ダメ母」としてレッテルを貼られ、且DVも受けています。

しかし、このお母さんは娘さんたちを捨てることはなく、貧困の中で共に生き続けました。

私はまず、このお母さんをハグしたいです。
夫や他者から見たときに、決して母として万全ではなかったのかもしれませんが、娘さんたちを投げ出さなかったその力に感銘を受けます。

このお母さんとご姉妹が保護されたことは、本当に良かったと思います。

こういうご家庭をひとつでも多く救える世の中であってほしいと願います。



このお母さんはどの段階で障害がわかったのでしょうね。旦那さんは知っていたのか、ご自身にご自覚はあったのか気になるところです。



にほんブログ村 メンタルヘルスブログ カサンドラ症候群へ
にほんブログ村
にほんブログ村 子育てブログ 発達障がい児育児へ
にほんブログ村


発達障害ランキングへ