朝晩すっかり寒くなりました。
なんだか残暑がなかったような( ゚ ▽ ゚ ;)??
紅葉はこれからでしょうか?
桜の葉っぱが為す術もなく茶色く変わっているような気がするのですが(^_^;)。
これから紅くなるのかな?
みなさん、お風邪を引かれませんように。
一昨日、昨日とCS放送でドラマの「JIN」をやっていたのでついつい見てしまいました。
放送当時ももちろん欠かさず見ていて、ディスクにも落としているのに、見出すと止まらないのですよね。
私は原作漫画も読んだのですが、ドラマの出来具合があまりにすごいかな、と思ってしまいました。
原作者様にごめんなさいです。
キャスティングも良かったし、役者さんたちの熱の入った演技が本当に素晴らしくて、毎回涙なくては見れない作品になっていました。
内野聖陽さんの坂本龍馬はドラマ史に残る出来栄えなように思います。
(私、坂本龍馬大好きなのです)
この作品は当時、すごくヒットしたと記憶しています。
多くの人が感動されたと思います。
話の構成、キャラクターの魅力、俳優さんたちの演技力、演出の素晴らしさ、医術のリアリティ・・色々な要因があって人気が出たのだと思うのですが、ふと思ったのです。
仁先生もさきさんもすごくお優しいキャラクターなのですよね。
いつも患者さんや好きな人、大切な人のことを優先して考えているので、自然に他者に対して優しい言葉が出てくる。
下手をすると自己犠牲的な部分もあったかとも思います。
自分の欲求とも闘いながら、結局やっぱり他人のことを思いやってしまう。
まぁお医者様なので、人を救うのが仕事といえばそうなのかもしれませんが、とても優しく脆く、デリケートな仁先生(主人公)とその先生に惹かれていながら、求めず、でも正面から支えるために強く、ずっと陰から尽くし続ける健気なさきさん。
そこに主人公と時空を超えて関わる花魁や、或いは坂本龍馬など、歴史上の実在の人物が絡み、歴史的エピソードに影響を与えていくというスリルが加わるので、見ている者を、時に恋愛のドキドキ感、時に歴史のわくわく感に浸らせることに成功したのかな、と思います。
そして、この優しさ。
人に対する優しさや真っ直ぐさ、ですね。
これって多くの人が求めてしまうものですが、実はなかなか得られない世の中になってきたなぁ、と思う今日この頃ですf(^_^;)。
私は自己犠牲はあまり好きではありません。少し間違えると自己満になってしまう危険があるからです。
そして、自己犠牲から生まれるもの、得るものはあまり役に立たないものが多いのではないかと思っています。
でも患者さんや大切な人に優しくする気持ちというものは出来れば自分は持ち合わせていたいですね。もちろん患者さんだけでなく、赤ちゃんを抱えたお母さん、お父さんたちも。
患者さんとは苦しみを背負っている方です。
重い病気や傷を負って治療している方、或いは小さな子供、赤ちゃんといった社会的弱者というと烏滸がましいですが、そうですね、マイノリティと言えば良いのでしょうか。表現が難しいですね。
そういったマイノリティの立場に心を寄せて考えてみる、ということは基本的なことですが難しかったりもするのかもしれません。
最近では残念なニュースをちょこちょこ耳にします。
例えばつい最近も、60代の男性が駅の階段でベビーカーに乗った赤ちゃんの頭を殴って「邪魔」と発言する事件がありました。
子供が泣くのがうるさい、ベビーカーが邪魔、弱いやつはサンドバッグにしても良い、・・・こういった心理というのは昔からあったとは思うのですが、おそらく多くの日本人が心の中でおさめておけていたのではないでしょうか?もちろんすべての人がではないでしょうけれども。やっぱり心に余裕が持ちにくい時代になったのかもしれませんね。
ネットでも、コメント、やりとりの恐ろしさなどをよく目にしますが、正直見ているだけでも心に負担がかかります。
言葉は刃にもなるものです。
顔が見えない、名前が知れないという匿名性の中で、相手を傷つける言葉を平然と放てる世の中が怖いと感じることがあります。
言いたいことを言う、自分が思う真実をはっきりと告げることは悪いことではありません。
思想と言論の自由は保障されている国ですから。
言いづらかったことを公にできることで、心が救われる人もいることでしょう。
けれど、ネットとはいえ、その文字の向こうには生きて、心がある人間がいることを思い出してから言葉を放ってもらえたら、と思ってしまうのです。甘いですかねぇ~(^-^;)(笑)。
何故、相手はそう考えるのか、何故そういう意見なのか、自分はこう思っていたけれどあなたはどう思うのか?ということを話したいなら、批判や否定から入るのではなく、リアルに顔を見て話をするように、相手の考え方に心を寄せてみてほしいと思うのです。ましてや、初めて絡む相手なら尚のこと。
人を傷つけるのが人ならば、人に優しくできるのも人。
人のことで自分の心を悩ませてしまう仁先生のようになれとは思っていません。
ただもう少し相手の立場や置かれた環境について想像してから言葉を使ってほしいなぁと思うのです。
今日、ツイッターでこんな発言を見ました。
「家族が助け合うのは当たり前のこと。それは人の道だ」
という意見です。
それに違和感を感じた方が、必ずしもそうはならないと訴えているのですが、違和感を感じた人が何故そんな、「家族は助け合うもの」などという当たり前とも思えることに反論したのか、想像したらわかるのではないでしょうか?
その人は家族が助け合わなかった、或いは助け合えなかった環境で生きてきた人なのです。
自分の本意とは別に。
誰もが家族が仲良く平和であることを望むことでしょう。
幸せになるために結婚をし、家族を作るのでしょうから。
けれど、残念なことに、仲良く平和に助け合うことを望んでいながら、そうはならない家庭は確実にたくさんあるのです。
虐待、DV、貧困、障害。
そこから患うメンタル。
幸せを求めたはずなのに、異なった結果が現実にあるのです。
それは、家族なのに平和に仲良くできなかった子供たちの責任なのでしょうか?
虐待された子供は、その子供が弱かったから仕方ないことなのでしょうか?
家族は助け合うのは当たりまえだと言いたかったのに言えなかった人の気持ちや立場、環境に対して少し想像を働かせることができるなら、違和感を感じた人の意見を頭ごなしに否定して、「あなたはカウンセリングへ行くべきだ」などという発言は出来るはずがないと思うのですが。
ASDに限らず、相手の立場や心、気持ちなどに想像を働かして察してあげる力が、ネットを使ってやり取りしていると、自然と落ちていくのでしょうか?
悲しいかな、今の時代は生きにくい、と私は時々思うのです。
ですから、人の優しさに触れて涙を流すようなドラマを、私は時々見たくなるのです。
ネットで刃物のような言葉を放っている人も、リアルでのその人の周りの大切なひとたちには優しい言葉をかけられる人であると思いたいです。
余計なお世話かもしれませんけれど。
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