父と家族の末期がん闘病記 -7ページ目

父と家族の末期がん闘病記

2012年6月末、当時65歳だった父が突然、末期の食道小細胞がんとの診断を受けました。
現実と向かい合うため、父との日々を忘れないための記録ブログです。


一か月半ぶりの更新になってしまいました。


今年の春・夏と何度か帰省出来たこともあり、秋以降の帰省は自粛中。

私も自分の不妊治療に集中しており、なかなか結果の出ない現実に実家との連絡頻度も減り、父にメールを送るのもめっきりご無沙汰。

実家も実家で、父の病気だけでなく一族のゴタゴタを抱えているので、私のことまで気を回す余裕もないだろうし・・・。

父の術後経過も悪くないから連絡も無いのだろうと、安心していた自分もいました。



そんなこんなで手術から3か月から経過し、こちら九州も紅葉のピークを迎えた11月半ば。

父から久々にCT検査を受けるという連絡がありました。

その検査は本日。

夕方父に電話を掛けようと思ったら、父の方から電話が掛かってきました。


今しがた病院から戻ってきたばかりで、まだ上着も帽子も脱いでいない状態で電話をしているのだと。

軽く息を切らせた父の声に、検査結果を一早く私に知らせたい気持ちが伝わってきます。


単刀直入に知らされた検査結果は良いものではなく、手術した箇所(頚部リンパ節)が大きく腫れていたのだと。
そして、主治医から2度は手術は出来ないと告げられたというものでした。


やっぱり・・・

世の中、そう何度も奇跡が起こるものではない。

余命数か月を覚悟した時から、1年半弱経った今も(一見)普通に生活出来ているというだけでも奇跡なんだ。

この現実は残念なことに変わりはないけれども、この病を患った以上は覚悟していた現実でもある。

ただし、良いか悪いか、食道をはじめとする内臓部分には何の変化もみられないとのこと。



今日CT検査を受けて、今後の治療方針については主治医がカンファレンスで他の先生方とも相談するということらしいので、次の外来まで父も家族も何をどうするということはありません。

落ち込みやすい父にとっては蛇の生殺し状態が続くことになりますが、なんとか現実を受け止めて、少しでも穏やかな年の瀬を迎えてもらいたいと、願って止みません。。。











気付けばもう10月。

日の入りが関東より遅い九州も、すっかり日が暮れるのが早くなり、日々秋が深まっていくのを感じます。


8月、9月と短期間に2度帰省したことや父の病状が今のところ小康状態を保ってくれていることもあり、気持ちの中では気にしている反面、ここのところ実家に連絡していませんでした。


しかし10月に入り、今週父の外来だったことを思い出して久々に電話。

父は相変わらず調子は悪くないようで、

「 次回の抗がん剤、今週中にやるか、今月末にやるかどっちが良いかを
 主治医に問われて、今週やることにしたよ。
 出来る限り早く抗がん剤やりたいからね。 」

との返事。


そっか・・・

そうするとまた副作用が出てきちゃうんだな・・・


そう思ったけど、抗がん剤サマサマの父は、抗がん剤を早くやりたくて仕方がないみたい。



ところで10月下旬、夫はまた都内の勉強会に参加します。
3泊4日。

いつもの如く私も一緒に便乗しちゃいたいところだけど、さすがに3か月連続での帰省は躊躇心が働きました。
家計のことも少しは考えないとね。


その分、実家には何かサプライズ・ギフトを贈ろうと思います。

前回送ってすごく喜んでもらえた九州ラーメンSETかな~

14日(土)、15日(日)、16日(月・祝)の3連休。


両親と姉家族、そして私たち夫婦揃って旅行を楽しんできました。

土曜日はなんとかお天気も持ち、父が前々から行きたがっていた老舗旅館滞在を満喫。

念願叶った父は調子も良く、とても喜んでいました。



日曜日の午前中はあいにくの雨でしたが、姪っ子は中学の部活の試合へ、夫は新宿の学会会場へ直行、私もお昼から地元同窓会に参加予定だったので、チェックアウト後まっすぐ帰宅するのみ。


幸い午後からは雨も上がったので、同窓会も3次会まで楽しんできました。



日曜・月曜(祝日)と学会に参加した夫とは、月曜の夜に羽田空港で待ち合わせし、さてと最終便で大分の自宅へ。


その日は首都圏を大型の台風18号が直撃しており、JR東海道線は一時完全運休、飛行機も欠航・遅延が相次いでいましたが、夕方以降には台風は完全に過ぎ去っている状況でした。


なので羽田へは何の問題もなく到着することが出来たのですが・・・


空港内は欠航・遅延の影響でものすごい人混み!


飛行機の出発も、3時間遅れが当たり前の状況。。。


それでも、どんなに遅くとも待っていれば大分に戻ることが出来ると楽観し、JALのラウンジ内で悠長に待っていたのです。



しかし、21時を回って非情なる空港アナウンスが。


24時間空港である羽田空港から飛行機が飛び立つのは何時でも問題ないが、大分空港の営業時間が21時までのため、受け入れ拒否されており、飛び立つに飛べない状況なのだと。。



・・・というわけで、あっさりと欠航が決定。


一気に空港内は大混乱!

翌日以降のフライトに予約を切り替える人で、カウンター前は大行列に。


でも、既に何便も欠航が決まっていたため、翌日の予約も既に予約がいっぱい。

私たち夫婦が入る隙なんて一寸もナシ・・・クシュクシュ



これには心底参りました。。。


だって、翌日には夫が執刀予定のオペ予定が入っているんだもの!

患者さんのことを考えたら、そのオペに間に合わなくなるなんてあってはならないのです。


いくら学会に出席していて、自然災害でいたし方のない欠航で帰れなくなったとは言え、病気で苦しんでいる担当患者さんのオペ予定を急遽変更するなんて、出来ないし考えられないのです。

そうでなくとも、この3日間は担当患者さんの様子を伺うことすら出来ていないのですから・・・


しかしフライト変更受付カウンターで私たちの順番が来た時には既に22時を回っており、他の空港(例えば北九州空港や福岡空港)行きのフライトも間に合わない状況。

翌日の大分行きフライトに切りかえようも、既に欠航が決まっていた便の予約客で、私たち夫婦が入る隙は一寸もナシ。



そこでの決断。


唯一1席だけ空いていた、17日朝イチの福岡空港行きファーストクラス。


私は今日・明日帰れなくなっても実家に滞在していれば良いと腹を括り、夫だけまずは福岡に飛んでもらうことにしました。

福岡空港から大分までは特急に乗れば、翌日のオペをキャンセルせずに済みます。



正直、主婦としては手痛すぎる決断でした・・・

学会等は任意参加のため、旅費も参加費もすべて自腹なのです。

ファーストクラスの追加費用&福岡→大分間の特急料金、(車は大分空港に置きっぱなしなので)職場への往復タクシー費用を考えたら、もう1回帰省が出来るくらいの大型出費。


けど、けど、夫のことを信頼し、待ってくれている患者さんを我が父に重ねたら、そんなこと考えてしまう自分に自己嫌悪。。。



おかげさまで、夫からは「 オペも無事終わったよ! 」と連絡。

ああ、本当に良かった。

術後経過も順調のようです。



一方、意図せず私は実家滞在が2日延長され、今日の最終フライトで大分に帰ります。


台風のおかげで混乱と出費に見舞われたけど、悪いことだけじゃなかったかな(笑)


苦笑いしつつも父と一緒に過ごせた時間が延びたことは、嬉しい誤算でした。