父と家族の末期がん闘病記 -19ページ目

父と家族の末期がん闘病記

2012年6月末、当時65歳だった父が突然、末期の食道小細胞がんとの診断を受けました。
現実と向かい合うため、父との日々を忘れないための記録ブログです。


2月に入って、父からよく電話が掛かってくるようになりました。

私は定期的に父に携帯メールを送っていて、律儀な父はすぐに返信をくれていたのですが・・・
抗がん剤の副作用があまりにひどすぎて、返信を打つことも出来ず、代わりに電話をくれるようになったのです。

その声は苦しそうで、聞いていて私まで辛くなるのですが、母曰く

「 あなたの声を聞いたり、あなたから届くメールに、パパは一番安心感を覚えてるし、嬉しいのよ。 」

と。

そしていつも、「 次はいつ実家に帰ってくるのか・・・ 」と、母と話をしているそうです。


前回1月12日から1週間ほど実家に帰ってから、早1か月が経過。
近くに住んでいたら、電話でもメールでもなく、直接会いに行きたいけど、残念ながら実家との物理的距離は約1200キロ。。。

ああ、もどかしい。。。


自分の両親を想う一方、200キロ離れた距離に住むダンナさんの両親のことを考えれば、今は健康に暮らしている義両親のところにも足しげく通わなければと思ったり。
(嫁の立場としては、そういうバランスを取りながら行動していかないとね。)

それで、今週末は義両親の家に泊まりに行く予定を立てていたのだけど、うっかりもののダンナさん。
土日とも宅直が入っていたことに、今日になって気が付いたそう汗

義母に電話で行けなくなったことを伝えたら、やっぱり残念そうでした。
期待させておいて、そりゃそうだよ~。


義両親にもちゃんと孝行して、自分の両親に対して気兼ねなく親孝行できる娘でありたいものです。

毎週金曜日が、父の外来日。

現在父が使用している抗がん剤のタキソテールは外来で打つことが出来るので、月に一度金曜日の外来デーに点滴してもらっているのですが・・・

年末からの副作用があまりにもひどく、立つのもままならない状態なので、先週金曜日に打つ予定を1週間様子見にしたところでした。


そして今日。

やはり延期になったそうです。延期の延期。


副作用が全然抜けない。

体調絶不調。

立つのもままならず、食欲もなく、夜も眠れず、美味しく感じられないアルコールで気を紛らわす日々。

私個人的には、一旦抗がん剤はお休みした方がいいと思っていたので、正直ホッとする気持ちもありました。


一方で、血液検査の結果は全く問題ないそうです。

それで、今日は脳転移を調べるために、脳のCTを受けているとか。

結果はまだ聞いていないけど、転移していませんように。


さておき、今週は火曜日と水曜日に2日続けて父から電話がありました。

私が打ったメールに対して返事が出来ないからと、律儀に電話を掛けてくれたのです。

こんな時にまで律義さは忘れない父。

実家に飛んで帰りたいけど・・・ それが出来ない切なさ。


節分にハガキを書いたらとても喜んでくれたので、今日はまた両親にお便りを書こうかな。



中村勘三郎さんに続き、市川団十郎さんまでお亡くなりになってしまいました。


団十郎さんは、享年66歳。

父と同じ年齢です。

白血病と長年の戦いの末、患った肺炎が災いしたとのこと。

他人事とは思えません。。。


我が父の体調は相変わらず低空飛行ですが、最近はそんな現実ともうまく付き合えるようになって、泣くことも無くなりました。
けど、やっぱりこうした悲しい知らせが耳に入ると、しんみりしてしまいます。


近年、市川海老蔵さんがワイドショーを賑わす事件が度々ありましたが、偉大なる父が亡くなった今、心に悔いることが沢山あることでしょう。

叩くマスコミは沢山ありましたが、叩かれずしても本人が一番反省し、父に詫びているかも知れません。

私はこれぽっちも有名ではなく名もなき一般人ですが、親に心配を掛け続けていたという点では海老蔵さんと一緒で、彼の心境を想い図らずにはいられません。


心より、団十郎さんのご冥福をお祈りいたします。