父と家族の末期がん闘病記 -13ページ目

父と家族の末期がん闘病記

2012年6月末、当時65歳だった父が突然、末期の食道小細胞がんとの診断を受けました。
現実と向かい合うため、父との日々を忘れないための記録ブログです。


本日、8回目のタキソテールを投与してきた父。

7月1日に受けた内視鏡検査とCT検査結果も、顔を合わせた主治医から簡単な説明があったそうです。


結果。



なんと・・・


なんと・・・



原発食道部位のガンは消えていたのだと・・・



画像を見る限り、転移していたガンも殆ど無くなっていたのだと・・・



ただし!

一部咽頭部(リンパ?)に転移したガンは大きくなっている状況なので、今後その部分の切除手術を考えましょう、と主治医から言われたのだとか。





今日はあくまでも抗がん剤の通院投与だったことや混雑していたこともあり、次週以降の外来で詳しく説明を受ける予定だそうです。
主治医も今後のカンファ等で治療方針を決めるということなのでしょう。



上記は、母が病院を後にする際にメールを送ってきてくれたのと、その後父が直接電話を掛けてきてくれた情報です。



小細胞がんの悪性度については、この1年で嫌というほど知識を叩き込んでいるので( 抗がん剤が奏功しても、3か月ほどで再発し、再発後の余命は3-4か月程度になるとか・・・ )、単純に「 嬉しい 」とか「 安堵 」という気持ちは沸いてこないのだけど、まさに狐につつまされた気分。。。


父は電話口で、

 「 早速、adamが送ってくれた高野山の御守り が効いてくれたみたいだよ・・・ 」

と、涙を堪えながら震える声で言う。


高野山で手を合わせて祈ったくせして、御守りを買ってきたくせしてなんだけど、正直 神や仏が起こしてくれる他力本願な奇跡なんて信じていない私も、今回ばかりは

 「 私が送った御守りのお陰かも! 」

なんて、都合の良い解釈をしてしまいたくなる。



再発や、抗がん剤が効かなくなるという地獄の時を想像したら、安心は出来ないし、したくない。

 「 この病気は、一喜一憂してはいけない病気ですよ 」

との、1年前に告知を受けた時の主治医の言葉通り。



けど、今日くらいは少しくらい、安心感に浸ってもいいよね。


おととい出した手紙&高野山の御守り が今日届いたと、父から夕方電話を貰いました。

「 もしもし、お父さんだよ。 」

その第一声目から、泣いてるのが分かる。


私の気持ちに感激して、感情が洪水のごとく流れ出したみたいだ。

昨日から続く九州の集中豪雨並みに流れ出る涙を想像する。


「 ありがとうな、大事にさすった後手帳に挟んでるよ。 」

その一言を喋るだけでも、涙を堪えるのが大変そうな父。


長く喋るのも大変そうだったので、ものの1分で電話を切った。

ものの1分だけど、どれだけ長く喋る電話よりも、私の胸が熱くなったよ。


御守りはダンナさんが選んで、送る前にダンナさんも一緒に握って「気」を送り込んだもの。
これだけ離れていても、感情と感情がキャッチボール出来てる実感が、嬉しいんだ。


明日は父の、タキソテール8回目の投与日。

気持ちはいつだって、寄り添っているよ。

今日の昼間、父から電話が掛かってきました。

3か月に1回受けているCT&内視鏡検査。

検査を受ける患者さんは他にもいたので、内視鏡検査をしてくれた主治医からのコメントは口早だったものの、前回4月の時に比べ、食道部位のガンは小さくなっているとのこと。

8か月間、じわじわと効き続けてくれているタキソテールの奇跡。
奇跡はいつまで続くのか、続いてくれるのか。

8クール目の投与は、今週金曜日です。