中小企業診断士試験14回目の挑戦 -74ページ目

中小企業診断士試験14回目の挑戦

2023年は227点、13点足りず不合格。
2024年196点に後退
2025年も不合格192点に後退
2026年一次試験の11回目の合格に挑む。


実際のところ集中力の低下は顕著である。

勉強への意欲と集中力は必ずしも正の相関関係にあるわけでは無いらしい。

漫画が大好きであっても必ずしも全作品で没頭できるわけでは無い事と同じだろうか。

カリキュラムの消化を目安にするとどうも集中しにくいようだ。

「1時間以上勉強する」という設定と同じように講義のDVDを視聴すると開始15分くらいで残り時間が気になり始める。当然集中できる筈がない。

元来集中力を持ち合わせていないわけではない。

昨日知人にログランキングのバナーが調子悪いので直してくれ、と言われ対策方法を調べて修正作業に没頭した。これなどは好ましくない作業にも関わらず没頭してしまった事例だがことほど左様に集中力と好き嫌いの因果関係は複雑である。

「最大30分やる」という設定を試したがこれはさすがに短かすぎた。

直ぐに時間が経過してしまう。もっとも本試験では殆どの試験で時間に追われるのでその対策として如何に短い時間で処理するかも考えていかなくてはならないがまだその段階ではないと思う。

「最大50分までしか勉強してはいけない」という設定は良さそうである。

50分あれば準備を整えて開始して勉強して後片付けしてというプロセスが完了しそうだ。1時間経過にはまだ10分のマージンがあるというのも気持ちの余裕が持てて良い。

50分で1パッケージの勉強をやってみよう。

 


かつて好きだったが義務となった為に嫌いになった事や物が果たしてあるだろうか。

考えるまでもなく結婚生活は多くの人が感じている事だろうし事実周りを見渡せば多くの人が結婚生活をやめてしまっている、多くの人がこの人が相手でなければ駄目だ、絶対に離さないなどと思って結婚しているにも関わらずだ。

しかし今はそんな分析をしてもしょうがない。大事なのは本来好きであった筈の勉強をすることに何故抵抗が出てしまうかだ。

今好きなだけ時間をやると言われたら何をするか。

勉強であると即答する。

麻雀やパチンコと並べられても勉強を選択する。強がりでもなんでもなく今は自分で立てた計画を消化する事が一番やりたいことだ。

高校時代や大学時代は机に向かっていることが苦痛以外の何物でもなく遊びの誘いでもあろうものならほいほい出かけていき勉強のプライオリティは随分低かった。

しかし今は勉強に勝る優先度の物はないと断言できる。勉強以外の物はすべて勉強を妨げるものだ。

だがそれでいて成績が伸びてこないのは、むしろその方が大問題だ。

そこを掘り下げて考える必要がある。

それにしても遅まきながら昨夜実施した経営情報システムの上級答練、60点は軽くめまいを覚える。平均点が64.7点だ。以前の仕事はオフィスコンピュータのシステムを売る営業マンであり、いくら難易度が上がっているとはいえ平均点を下回っていては話にならない。

どこかにコンピュータに関してはアドヴァンテージがあるという驕りがあるのだろう。

しかもシステム運用についてのガイドラインなどはシステム関連の仕事についていた事のアドヴァンテージなど内に等しい。IPAのホームページなど中小企業診断士の勉強を始めてから存在をしったくらいだ。

だが、その分野はまともに勉強したことが無かったのだから、伸びしろがたっぷりある、とこれまた強がりではなくそう思える。そこで点数が稼げるようになる、或いはガイドラインについて詳しくなっていく事を考えるとわくわくさえする。楽しみながら実力を付けていこう。


誰に教えられたわけでもなく学習の単位は一時間である。

問題は出来高を時間で測ってしまう事である。

机の前に一時間座っていたので勉強出来高1時間。

自己満足以外の何物でもない。

これで700時間積み上げましたという実績に対して診断士協会が天晴れと診断士の資格をくれるのなら問題ないがそうはいかない。

意識するべきは限界勉強出来高である。

一単位時間勉強した時のスキルの増加高を意識しなくてはいけない。

そして一時間は実際には長すぎる。自分を過信してはいけない。

30分が集中力の続く限界だ。仮面ライダー、ウルトラマン、30分番組で育ってきたので30分が体に染みついている。

30分でどこまで出来高を上げられるかで集中していて気が付いたら45分経過していた、となると15分は学習者余剰のように感じられる。

こういう場合は時間を出来高とカウントしても良い事とする。


抗いがたい眠気というのは厄介だ。

新しい論点をテキストで確認したり解答の解説を読んでいる時が特にきつい。

目を開けたまま夢を見ている状態になる。

いかんいかんと読み直すが毎回同じところで夢を見始める。

一時間で二行も読めていないというような事があったりする。

肉体的な疲労とは無関係に起こるようだ。

逆に肉体的にいくら疲れていたとしても憧れの女性を前にすると眠気などたちどころに吹き飛んでしまう。あの状態を意識的に再現できないものだろうか。

などと難しい事を考えるよりもまずは声出し勉を試してみよう。

以前何度か試したがかなり難しい。

なぜ難しいかというと声に出して説明しようにもほとんどの場合説明できないのだ、即ち説明すべき論点を理解していないのだ。

では先ずは理解するためにテキストを一読しようと読み始めるとたちどころに眠くなる、というスパイラルに陥ってしまう。

改善が必要だ。


よく言われることかもしれないが悪い習慣ほどすぐ身に付き良い習慣は身につきにくい。

止められないのは大体がやってはいけない事、やらないことが望ましい事である。

麻雀やパチンコが推奨されたらやりたくなくなるのだろうか?

10代の頃に漫画を読みなさい、文学作品など読んではいけない、と言われていたらこっそり文学作品を読んでいたのだろうか。

昔パチンコを打ちながら「これが仕事だったら辛いのだろうか」とぼんやり考えたが、三日くらい不眠不休で楽勝にできそうな気がした。しかしそこに高次欲求を求めたらどうだろうか。手出しできるのはハンドルの強弱だけで座り続けるのはさすがにつらいのではないだろうか。強烈なフィードバックは得られるかもしれないがそれは厳密にはフィードバックとは言えず、台の前に座っているのが自分でなくても良いと気づいたらそれまで楽しく打ち興じていたことが同じことをしていてもたちまち苦痛に変わるのではないだろうか。

逆に今苦痛だと思っている事でも内発的動機付けができれば次から次へと欲求が出てくるのだろうか。なんとなく出来そうな気はするがかなり高度な技術のようだ。

では勉強することに麻雀やパチンコで得られるような快感を見出すというのはどうだろう。

これはさすがに無理があるか。

意識的に勉強することに内発的動機付けをして勉強の欲求を起こすことが最良だろう。