小澤征爾さんを偲んで | クラシックコンサート日記

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小澤征爾さんが2月6日逝去された。

最近の衰弱ぶりから覚悟はしていたが、やはり訃報を聴くとついにこの日が来たかとさみしさがこみ上げる。なにしろ40歳台までは私のクラシック音楽を聴くということは、イコール 小澤征爾を聴くということとほぼ同じだったので。もちろんレコードやCDでは他の指揮者や室内楽も聴いたが、コンサートのメインは小澤征爾だった。

小澤征爾のファンになったのは、中学生の時代。TVで日本フィルを颯爽と振るのを見て、とりこになった。その後、あれとあれという間に世界的に活躍しはじめ、巨匠ミュンシュがかつて指揮していたボストン交響楽団の音楽監督になり、日本人の誇りであった。

若いころは金も暇もなかったので、カラヤンやベームも聴きに行きたかったが、コンサートはほぼ小澤征爾に絞り、正確には数えていないが、今まで60-80回くらい小澤征爾のコンサートを聴いただろうか。

FMで小澤征爾がベルリンフィルやウイーンフィルを振った番組があると、ほぼ必ずといっていいほど聴いていたのではないだろうか。ベルリンフィルを振ったマーラー8番の凄まじい高揚感のある演奏とその後の熱狂的な聴衆の拍手喝采、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団との白熱のブラームス1番、ウイーンフィルを振ったこれまた白熱のチャイコフスキー4番など、興奮しながら聴いたものである。

コンサートで初めて小澤征爾を聴いたのは、確か大学生の時だったと思うが、曲はハイドンのオラトリオ四季であった。まだ結成間もない編成の小さい新日本フィルから、生気あふれるきらきらした音楽を引き出していた。二回目は初めて日本に連れてきたボストン響の幻想交響曲の演奏。ボストン響の豊かで立体的な響きの木管、金管を見事にコントロールしていた棒さばきは圧巻だった。

新日本フィルとの演奏は、最も多い回数を聴いたが、その中でも魔法のような棒さばきのマーラー3番、4番、日本のオケとは思えない完成度のアルプス交響曲、白熱の幻想交響曲、アルゲリッチとの緊迫感溢れる劇的なチャイコフスキーピアノ協奏曲第1番などは、忘れられない演奏だ。

若いころは、たまにしかコンサートを聴けなかったし、50台までの小澤征爾の指揮は凄まじい緊迫感に溢れていたので、いつも手に汗びっしょりになったものだ。若いころ東京文化会館5Fで聴いた第9の白熱する演奏に足が震えた記憶がある。

サイトウキネンを振ったコンサートでは、マーラー9番での芳醇な弦の響きは二度と聴けないレベルのものだと思うし、バルトークの歌劇青ひげ公の城の幻想的で巨大な音楽は感動的だった。晩年のサイトウキネンとの演奏会は、大半を聴いたと思うが、無理して聴いておいて良かった。

ウィーンフィルを振った演奏では、ブラームスの2番が素晴らしかったし、メーターと振り分けた晩年の演奏会での未完成は絶品の美しさだった。晩年水戸室内管を振った演奏会で、元ウィーンフィルのテンパニー奏者を追悼した、モーツアルト ディベルティメント 第2楽章の天国のような美しさは、小澤征爾が到達した誰もまねできない究極の演奏だったように思う。


55歳くらいまでは、コンサートはほぼ小澤征爾一本やりだったが、帯状疱疹や腰の病気でたびたび降板するようになって、さすがに小澤征爾以外でも楽しみを見つけなければならないと思い、その後いろいろな指揮者の演奏も楽しめるようになったが、やはり小澤征爾の音楽は唯一無二のものだった。


40年以上にわたり、世界的指揮者である小澤征爾の生の音楽を聴けて、本当にラッキーだった。沢山の楽しみをありがとうございました。

安らかにお休みください。