今回のサブタイトルは「母として」。
なので詮子、倫子、まひろ
それぞれの母としての在り方を
見ていこうと思う。
まず詮子ね。
この人、最近体調がすぐれないご様子
だったけど、とうとう四十の御賀で
宴の最中にお倒れになってしまった。
その時、我が子の一条が詮子を
介抱しようとするのを必死に制止。
「病の穢れに触れてはいけません!」
「あなた様は帝でございます!」
まぁこれは詮子なりに
母としてせめてもの愛情表現
だったんでしょうかね?
ただ見方によっては彼女は
「一条が天皇であればこそ
大事だった」と言える気もする。
ありのままの我が子を
掛け値なしで愛しく思うのでは無く
あくまでも「帝」という付加価値が
付いているからこその愛情。
可哀想に、一条は病身の母に
手を差し伸べたくても
それが許されない。
子どもの頃、定子様から
「お上の好きなものは?」
と訊かれて真っ先に「母上」と答えた
一条だったのに、母の期待に沿うべく
努力しても報われず、愛する定子様を
ことごとく否定されて、この親子関係には
距離が生まれてしまった。
それでも優しい一条は母を心配して
思わず手を差し伸べようとしたのに
またしてもこの拒絶。
帝としては穢れを避けるべき
なのだから詮子の行動は
むしろ褒められて良いものだろう。
しかし、個人としての一条は
淋しかっただろうな。
詮子の一条に対する思いは
やっぱり最後まで的を外していた
ような気がする。
詮子様、史実では四十の御賀の後も
まだご存命でいらっしゃいます。
でもドラマ的にはもう「用済み」と
なってしまったのでこのあたりで
ご退場となったんでしょうね。
それにしても「敦康を人質に」は
無いだろうに・・・。
なんぼ憎き定子様の産んだ子とはいえ
敦康は一条の第一皇子であり
詮子にとっては紛れもない孫である。
皇統を継ぐ直系男子の誕生に大いに喜び
産養(うぶやしない)の際には
お祝いの贈り物をした事実もある。
そういう事をドラマでは一切はぶいて
「人質」とは随分と物騒な表現だ。
その上、いよいよ臨終間近となった際
「伊周を元の官位に戻せ」
とな?
何をいまさらでございます。
あれだけ伊周の事を嫌って
呪詛の狂言までして
罪をなすりつけておきながらねぇ?
自分が極楽浄土に行くために
善行を積もうと思ったのかしらん?
私は藤原詮子という人は
この時代のゴッドマザー的な存在
だったと思っているので、こんな
展開は少しがっかりです。
まぁこれはドラマの中での
詮子様ですので、もうこれ以上は
言いますまい。
吉田羊さんありがとうございました。
続いては倫子。
入内させた彰子があまりにも
一条の寵愛を受けられない事に
母として手をこまねいている様子が
良く分かる。
何か突破口は無いか?
きっかけになる物があれば何でも良い。
そんな切羽詰まった気持ちでいる
倫子に対して道長が「お前がいつも
彰子のそばにいるから帝が来にくい
んじゃないか?」と。
いらん一言だわ!
「私はこれだけ努力しています!」
と倫子が怒るのも無理はない。
この夫婦、子宝に恵まれてはいても
少しずつ綻び始めているような・・・。
三郎(道長)にとっては
「別に嫌われてもいいもんね~。
ワシ、倫子に押し倒されて結婚した
までだし。
心はまひろにあるからいいもんね。」
ってな感じなのだろうか?
倫子あっての自分だという事を
もっと自覚した方が良いぞ。
最後にまひろ。
いや~、さすが今回も
あっぱれなご様子でした。
ドラマの冒頭で宣孝と賢子との
ふれあいが描かれていたが
まひろがそばで笑っている姿を見る度に
「コイツには罪悪感というものが
まるで無いのか?」
とイライラさせられた。
なんかね〜、もうちょっと申し訳ない
というか済まなさそうな顔が
出来ないものだろうか?
宣孝がまもなく亡くなるという事で
束の間の親子3人の幸せな時間を
表現したのだと思うが、あまりにも
あっけらかんと笑っているので
「ああ、この人の中ではもう
”禊(みそぎ)”は済んだんだな?」と
思ってしまった。
そこへ今回は任官出来なかった
父・為時が越前から帰京。
宣孝の経済力をあてにしていたが
彼が突然の病でこの世を去って
しまった事で一家は再び困窮する
事になる。
そんな中
道長の子・頼通(たづ)の
勉学の指南役としての誘いを
断った父をまひろはなじるのだ。
為時としては、自分が左大臣家に
出入りするようになれば
まひろが何かとツライだろうと
思っての配慮だったのに
「わたくしの事などどうでもよろしいのに!」
と怒りまくる。
そりゃそうだ。
アンタの気持ちなど
どうでもええわい。
それよりもさ、かつて世話になった
倫子様がいらっしゃるお屋敷に
ホイホイと接点を結ぶ事で、万が一
三郎との秘密がバレたらどんな迷惑を
かける事になるのか考えないのかな?
アンタの考えるべきは
自分の気持ちとかじゃなくて
周りの人たちの迷惑でしょうが!
年取った父の尻を叩くような
真似をしてひどい娘だわ。
大体、たったの1年で為時を
越前に置き去りにして都に
戻って来たくせに、偉そうな事を
言うな!
「賢子をどうやって育てていくのよ?」
と、孫娘をダシにして為時を
脅していたけど、その孫娘が実は
三郎との不義の子だと知ったら
為時はどんな顔をするんでしょうね?
どうやらこれがまひろ流の
「母として」らしい・・・。
相変わらず賢子には
わけの分からん漢詩を朗読して
おかしな方向に行ってるし
いやもう、素晴らし過ぎて
頭クラクラしちゃいましたわ。
3人3様にそれぞれ母親としての
行動があった今回の話だったけど
こうしてみるとやはりダントツで
まひろさんがポンコツですなぁ。
そんな中、詮子の四十の御賀で
たづ君といわ君の舞のシーンが
とても良かった!
夜の帳が下りた中で松明や灯明の
光が照らす装束の優美さや
建物の荘厳さが「ザ・平安時代!」。
雅楽の生演奏に合わせて舞った
2人の童子の何と愛らしかったこと!
千年前の実際の様子も
あんな風だったのかもしれないな~
なんて感動モノでした
明子腹のいわ君の舞の師匠だけが
破格の栄誉に預かった事で
倫子側が不満を表したのは
どうやら史実みたい。
(ちなみにたづ君は泣いたりしていないよ)
永井路子氏の「この世をば」では
倫子が執拗に道長に迫って駄々をこね
さすがの道長も立腹して場が白けて
しまったという風に書かれていたと
思う。
あれ?
倫子が退出しちゃって道長が慌てて
後を追いかけて行ったんだっけ?
(何ぶん読んだのが随分昔なので曖昧)
ともかく、このエピソードも
倫子にとっては「母として」だよね。
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話は変わって、ききょう(定子様が
崩御されてしまったのでウイカ納言
からききょうに呼び方を戻します)が
「枕草子」をまひろに披露しに
やって来ました。
この「枕草子」に対して
あろうことかケチをつけるまひろさん
「人には影があるから複雑で魅力が」
とか何とかエラソーに!
それがのちに自分が書く「源氏物語」に
結びつくとでも言いたいのでしょうか。
「枕草子」は影の部分の無い
単純で浅い内容の書物だとでも?
清 少納言がどれほどの覚悟を持って
これを書き上げたか全く気付かない
鈍感ぶり。
これは政治的意図が巧妙に隠された
道長ファミリーへの挑戦でも
あるのよ。
「皇后さまに影などございません!」
「あったとしても書く気はございません!」
と、ききょうにぴしゃりと言われた事で
仏頂面で「ご無礼いたしました」と
答えたまひろ。
ひょっとして今回の件あたりから
「清少納言、いけ好かないわ!」となって
あとで日記でディスるようになるの
かしらね?
宮中に出仕してその華やかさと
悲劇を味わい尽くしたききょうと、
世間の風すら大して味わって
いないように見えるまひろとは
レベルが既に雲泥の差だ。
やがてまひろも彰子の後宮に
出仕するようになり、少しは
ききょうに追いつく事が
出来るのだろうか?
・・・・・
まぁあの調子ですからね
期待はしてませんけど。
最後にもうひとこと。
為時が帰京したという事は
越前編はもう完全に終わったのね?
周明はあれっきりか。
一体何のために出てきたんだろう?
周明といい直秀といい
中途半端で意味不明なキャラ
でしたね。
彼らは本当に何だったんだろう?