歴史好きはスピリチュアル好き(持論) | 前世はきっと平安貴族

前世はきっと平安貴族

歴史大好き!とりわけ平安時代をこよなく愛する私です。
こんなに惹かれる理由はきっと前世で生きていたからにちがいない。
源氏物語ネタをメインに、色々思っている事を書いてゆきます。あらすじとか一切書かずに自分の思いだけを強引に綴ってゆきますので悪しからず〜。

タイトルに書いた通り、

歴史の好きな人間は

スピリチュアルに関心があっても

不思議ではない。

 

だって、歴史っていうのは

「人が生まれ」そして

「人が死ぬ事」なのだから。

 

膨大な時間の流れの中で

これまた膨大な数の人間が

その一生を終えて来た。

 

有名か無名かを問わず、彼等が

生きたという事実は確実に

時間の重さとともに積み重なって

いるはずだ。

 

だから歴史の古い街に行くと、

何とも言えない雰囲気を感じる。

 

特に京都に行くとそれは顕著であり、

「ああ、この地で沢山の人々が

生まれては死んでいったのだな・・・」

と、何やら神妙な気分にさせられる。

 

もちろん京都ばかりが

歴史の古い街ではない。

 

しかし、日本史は何といっても

京都の存在無くしては語れない。

 

京都は特別な地だと言っても

いいだろう。

 

どれほど沢山の歴史上の人物が

京都と関わりを持って生きたか。

 

彼等はたしかにそこに存在し、

人生を精一杯生きた。

 

1人ひとりの思いが

時の流れとともに積み重なって、

それは今でも京都の街に根をおろして

いるような気がする。

 

そんな事を考えると、

自然とスピリチュアルな発想に

行き着いてしまうのだ。

 

平安時代が大好きな私は

京都に行く度に

「ここに定子様と一条天皇が・・・」

「清 少納言が・・・和泉式部が・・・紫式部が」

などと思い描かずにはいられない。

 

彼等の面影、そして魂を恋い求めて

しまうのだ。

 

これもひとつのスピリチュアルと

言っても良いのではないかと思う。

 

幕末が好きな人ならば幕末の志士達の

姿を山口や鹿児島、高知などで追い求め、

 

東北の歴史が好きな人はやはり

奥州藤原氏の栄華と彼等の業績を

辿る事だろう。

 

歴史の好きな人間は

彼等の生きた時代に

ひたすら思いを馳せるのだ。

 

そう、出来る事なら

タイムスリップしたいくらいに。

 

 

そんなわけで、いささか前置きが

理屈っぽくなってしまったが

つまり

 

「歴史とスピリチュアルは

切り離せない関係にある」

 

という事を言いたかったのだ。

 

 

 

私は子どもの頃からスピリチュアルな

事に関心があった。

 

人が生まれるという事。

 

人が死ぬという事。

 

この2つの「大きなポイント」こそが

私を歴史好きに導いた原因

かもしれない。

 

 

私にはいわゆる「霊感」は無い。

 

無いけどそれなりに不思議な体験を

した事はある。

 

なので、今後はたま~に

そういう事も書いてゆこうと

思っている。

 

ブログのテーマは

勝手にスピリチュアル」で分類

するので、こういう分野に全く興味の

無い人は無視してくださいね?

 

私も軽~~い気持ちで

書かせていただくからニコニコ