「光る君へ」第2回~個性際立つ花山天皇とひいじいちゃんの歌~ | 前世はきっと平安貴族

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歴史大好き!とりわけ平安時代をこよなく愛する私です。
こんなに惹かれる理由はきっと前世で生きていたからにちがいない。
源氏物語ネタをメインに、色々思っている事を書いてゆきます。あらすじとか一切書かずに自分の思いだけを強引に綴ってゆきますので悪しからず〜。

第1回から1週間経ったら

何と6年後になっていた!

 

 

円融天皇に入内した詮子には

すでに懐仁親王(後の一条天皇)も

誕生しており、そうなると定子様は

この時8~9歳といったところか?

 

 

先週の子役ちゃん達がもう

出て来ないと思うと淋しいね。

今後は回想シーンのみの出演に

なるのかな?

 

 

できればあの東宮様のキョーレツな

「変顔」をもう一度観たいものだったが。

 

 

 

さて、お話はまひろが裳着の式を

行うところから始まる。

 

 

この時「腰結い」という大事な役目を

果たしているのが何と宣孝!

 

 

何で?

 

 

先週も思ったけど、この人ちょっと

まひろの家に出入りし過ぎかと。

 

 

いくら「未来の夫」といえども

こんなに早くから接点があったなんて

信じがたい。

 

 

しかも相変わらずエラソ~だしムカムカ

 

 

宣孝の生誕年は残念ながら不明なのだが、

まひろの父・為時より年下である事は

多分間違いないと思われる。

 

 

にも関わらず為時を「オマエ」と。

 

 

とにかく口の利き方がよろしくない。

 

 

まひろ、こんな人のどこが

好きになって結婚するんだろう?

(ま、それは今後の話として)

 

 

ともあれ成人女子となったまひろ。

 

 

けれども「貴族の娘のはしくれ」で

あるにも関わらず、侍女の1人も

連れずに気の向くままに外出し、

何やら怪しげな絵師のところで

歌の代筆作業をするなど、随分と

飛躍した展開だった。

 

 

多分、歌の代筆をするという作業で

まひろは人々の感情の機微を想像

するようになり、

その事が後の「源氏物語」の創作に

結びつくという伏線なんで

しょうねぇ。

 

 

今回、時代考証を担当している

倉本一宏氏も、まひろが1人で

出歩く事に難色を示していらっしゃる

ので、やっぱりこの設定には少し無理が

あると思う。

 

 

しかしそれを言ってしまったら

ドラマが成立しなくなるので

多少の事は目を瞑っていて

くださるのだろう。

 

 

歴代の大河ドラマを見ても

「んなわけないっしょ!」と

突っ込みたくなるような不自然な

偶然や成り行きが多かったので、

まぁこのくらいは許容範囲と

いたしましょ。

 

 

そのおかげでまひろは三郎(道長)と

再会出来たわけだし。

 

 

三郎は三郎で、とても右大臣家の

ご子息とは思えない質素ないでたちで

うろうろしている。

まぁ、あえて身分を隠しているとも

言えるけれども。

 

 

ところで

父・為時にバレて外出禁止となった

まひろが反抗して

「私はこれをしている時だけが

6年前の事を忘れられるのです!」

とか何とか言っていたが、それに対して

 

 

「6年前の事を言えば私が黙ると

思うな!!」と叫んだ為時の迫力は

すごかった。

 

 

うだつの上がらない学者だったはずの

為時が、一転して父親の深い苦悩を

感じさせる力強いシーンとなり、

ちょっと震えた。

 

 

演じた岸谷五朗に拍手!

 

 

 

さてさて東宮様(後の花山天皇)

今回もやってくれちゃいましたね。

 

 

前回の「変顔」その他の奇行で

「あ、コイツ絶対やばいっしょ!」と

思わせてくれましたが、今回はそれを

上回るびっくりな話となりました。

 

 

曰く、「母と娘の両方に手をつけた」と。

 

 

母と

娘の

両方に・・・(絶句!)

 

 

あのね~、光源氏だってそこまでは

しなかったわよ?

99歳の老婆と関係を持ったあの在原業平

でさえ、多分母娘とはしなかった。(はず)

 

 

つまり、とんでもないタブー

 

 

それを嬉々として自慢気に話す

東宮様。

しかも足で扇を器用にあやつりながらね。

 

 

ネットでも言われているけど

本郷奏多はこういう「身分の高いクズ

の役となると右に出る者はいない。

映画「キングダム」でもその実力を

如何なく発揮していた。

 

 

しかし

このエピソード、よくNHKが

許したなぁと思う。

 

 

実際、花山天皇というお方は

同時期に母娘を寵愛し、それぞれに

皇子1人と皇女2人を産ませている。

(つまり全部で6人!)

 

 

母親から生まれた皇子は

清仁(きよひと)親王といい、

娘から生まれた皇子は

昭登(あきなり)親王という。

 

 

この2人の皇子の関係は一体

どう捉えたら良いのだろうか?

 

 

父親は両方とも花山天皇だから

兄弟と言えるのだが、

母方から言えばこの2人は

「叔父と甥」???

 

 

しかも清仁親王の母親から見れば

昭登親王は「孫」に当たるわけで

 

 

あああ~~~複雑すぎて

ややこしいわッ!!!あせる

 

 

当時もこの2人については

扱いに困ったようで、事情を

考慮した冷泉天皇(花山天皇の父)が

猶子として育てたらしい。

 

 

それでも親王宣下を受けられただけ

マシだったと言えるのかも。

 

 

そんなわけで、花山天皇は

その好色さゆえに生涯で色々と

問題を起こす事になるのだが、

今のところはまだその序章に

すぎない。

 

 

余談だが、皇室の歴史を見ると

母と娘の両方を寵愛したという例が

実は他にもある。

 

 

ひとつは平安時代初期、

平城天皇の御代だ。

この帝には藤原縄主の娘が

入内していたのだが、どういうわけか

母親の藤原薬子に夢中になって

しまった。

 

 

どちらにも子は成さなかったが、

母親の薬子は政変を起こすまでに

平城天皇と深い関わりを持った。

 

 

あともうひとつは鎌倉時代、

後深草天皇の御代。

「とはずがたり」の作者によれば、

後深草天皇は幼少の時に

新枕を授けてくれた大納言典侍の

事が忘れられず、その死後は

娘の二条を寵愛したという。

 

 

私が知らないだけで、この他にもきっと

同じような事実はあったのだろうと

思う。

 

 

今ではとんでもない話だが、

昔むかしの皇室はそれだけ

退廃と倒錯の世界がまかり通って

いたのだろう。

 

 

それにしても母娘の両方を愛する

男の気持ちとは、

一体如何なるものなのか・・・。

 

 

 

あとちょっとだけ感想言わせてね。

 

吉田羊、美しいなぁ。

入内した時が16歳という事を考えると

老け過ぎだという意地悪なコメントも

あるけれども、兼家亡き後に一族を

背負って君臨する未来を思うと

まさしく適役だと思う。

 

 

吉高由里子、左利きだというのに

右手で筆を持って文字を書いているのが

偉い!

本人も相当練習したと言っていたが

その努力を褒め称えたいと思う。

 

 

そしてそして、あの時書いていた

「人の親の 心は闇にあらねども

  子を思ふ道に まどひぬるかな」

という歌の作者は藤原兼輔

 

 

何と紫式部の曽祖父なんですよ~。

 

 

このひいじいちゃん、従三位権中納言

まで昇り詰めた人で、紫式部の

家にとって栄光の人物なのですね。

 

 

式部もこの歌をとても気に入って

いたようで、源氏物語の中にも

この歌に由来した表現が26回も

出て来ております。

 

 

意味としては

「子を持つ親の心は闇というわけでは

ないが、いざ子どものことになると

道に迷ったようにうろたえるもの

なのだなぁ」

てな感じ?

 

 

今も昔も、親は我が子の事となると

冷静さも吹き飛んでしまうほど

あれこれ思い悩むものですよね。

 

 

すご~くよくわかる!

 

 

まひろが後に源氏物語を書く段に

なって、再びまたこの歌が

ドラマの中で取り上げられるかも

しれないので、今からチェック

しておこうっと。

 

 

ではまた来週バイバイ