新入社員について | デブリマンXの行方

デブリマンXの行方

いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

思えば4月も半ば。

会社や保育園などにはすでに新入社員が入り、大手組織では研究期間。即戦力を求めているところではすでに実戦投入されている頃だと思う。

去年のわたしを振り返ると、たぶん担任保育士として主活動を任された頃だったと思う。

緊張の中、右も左も分からずといった具合で、自分ができているのかできていなのかも全然分からなかった。

 

並の保育士にとって、4月は地獄だと思う。

子どもの顔と名前と保護者の顔を覚えつつ、日々の活動を安定させる。また、平行して行事をする。わたしの記憶が正しければ、保育園が始まった2日後には、お花見遠足とか言って弾丸的に近所の神社で写真を撮った。「無理矢理写真を撮って帰るだけなのにどこがお花見?」とか思った俺は青かったなと今では思う。

 

保育士に限った話ではないが、世の中自分のした苦労を人にもさせてやろうって人が案外多いのではないかと思う。あるいは、そこまで思っていなくても、自分が新人だった頃のことを具体的に表現せず、「大変だった」の一言で済ませるケースが多い気がする。新人としては、その大変さをなんとかする方法が欲しいだろうが、「大変だけど仕方がないよ」、「そのうち慣れる」、「わたしだってできたんだからさ」みたいなビタ一文の役に立たないコメントばかりを貰うことが多いのではないだろうか。中には「自分で気がつかないと、本当の意味で自分の力にはならない」みたいなスタンスで教育する人もいるかもしれないが、それは前提として先輩と新人の間に信頼関係があるからこそ成り立つのではないだろうか? 多くの場合、「なんとかなったけど、なんでこんなことも教えてくれないんだよ。あのクソ野郎!」で信頼を失うだけの気がする。そして、その新人教育方が伝統として引き継がれていくのではないだろうか? 信頼関係はどうしたって信じて頼る関係なのだから、先輩にしろ新人にしろ、相手の欲しい答えを返せないといけない。「そんなことは新人がするべきこと」と思うかもしれないが、新人は本当に何も知らないので、どうしたって先輩からの歩み寄りが必要なはずである。とりわけ、近年はそうではないだろうか?

 

あと、新入社員がかけられやすい言葉として、「新しい風を吹かせてくれることを期待しています」みたいなことを言う経営者が多い気がするが、はっきり言って新入社員にそんな力はない。

若者の価値観で新しい発想はできるかもしれないが、それを実行する力を期待するのは間違っている。そもそも、「新しい風」と言ってること自体、「わたしたちは停滞しています」と言っているのと同義で、そんなこり固まった組織の中で新入社員に何ができるのか疑問だ。仮にフットワークの軽い組織だったとしても、そのフットワークに即座について行ける優秀な新人はそういないだろう。

新しい風なんていうのは神風と一緒で、狙って吹かせられるものではないとわたしは思う。それよりも大切なのは、中堅社員以上による現場改革である。新人が生かされる可能性があるとすれば、その口実に使われるくらいがちょうど良いとわたしは思う。