根性論と自転車操業 | デブリマンXの行方

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いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

ついにわたしの保育士生活も終わりが見えてきた。

明日はついに通常保育の最終日であり、その後に送別会がある。

保育士を辞める決断をしてから半年以上経つが、我ながらよく生き延びたと思う。

自己肯定感はかなり低いつもりのわたしであるが、ここを生き延びた経験は必ず今後で生きるだろう。

 

さて、ここからが本題。

根性論と自転車操業は、昭和・平成の日本を支えてきた崇高なエネルギーである(皮肉)。

黄金の昭和時代の輝きで、まだ行ける、まだ大丈夫と続いて来たそのやり方も、現代社会ではついに時代遅れとなってきた。少なくとも、全ての若者がそれについて行けるわけではないし、ついて行けない若者はこれからも増えるだろう。

 

根性論と自転車操業は、Welfareを目指す絶対的貧困社会において大きな力を発揮する。

明日生きられるか分からない程貧しい社会においては、とにかく生き抜くための根性が必要だったはずだ。戦後の日本の復興は、それによって成し遂げられたはずである。

 

しかし、根性論には問題点がある。それは、楽しようという発想を忌避するところだ。

現代社会はIT化が顕著であるが、ITの花形であるプログラマーの3代美徳は、「怠惰(効率や再利用性の重視)」「短気(処理速度の追求)」「傲慢(品質にかける自尊心)」と言われている。つまり、みんなでとにかく頑張る根性論とは相反するのである。この内容だけで、日本のIT化が遅れた理由が説明できてしまう気すらする相性の悪さだ。

 

また、長期間残業が続いた経験のある社会人なら分かると思うが、長期間残業が続くと、定時に上がっても、仕事スイッチが切れなくなることがある。こうなると、仕事が終わってからも有り余るエネルギーを消費するために、取るに足らないことをしてしまうことが多い。しかも、人間は疲れたまま仕事をすると自分の疲れを自覚できないので、普段よりも調子が良いと錯覚してしまうことすらある。この時、思考力は確実に低下しているので、いわゆるクリエイティブな仕事は困難であると思うが、慣れでできる仕事であればほとんど問題にならないというのが問題だろう。

 

そして、根性論と相性が抜群なものが自転車操業である。

上記で「仕事が終わってからも有り余るエネルギーを消費するために、取るに足らないことをしてしまうことが多い。」と書いた。つまり、取るに足らなくない仕事が終わらない自転車操業状態であれば、根性論は最大限の力を発揮する。なぜなら、根性論はクリエイティブな思考を必要とせず、慣れたことを繰り返して利益を維持することに長けている。本来は潰れるべき会社が生き延びる原動力であると同時に、働けば働くほど貧しくなるワーキングプアの原因でもあると思う。

 

とは言え、会社というのは利益を出さなければどうしたって潰れてしまう。

しかし、もしも利益を上げなくても良い組織があるとしたらどうだろうか?

それが、保育職や介護職の元締めである社会福祉法人という組織である。

つまり、福祉系の仕事はそもそも組織の在り方からして根性論との親和性がとても高いのだ。しかも、収入は限られているので、その最大化のために常に自転車操業状態に陥る。自転車操業状態になるとクリエイティブな思考は無くなり、変化に脆弱になり、慣れた仕事を繰り返す。まあ、そもそも自転車操業状態というのは、何かを変化させる時間も無いわけだが……。

 

何が言いたいかと言えば、根性論に飲み込まれた人には何を言っても無駄。

ただそれだけの話である。

何事にも根性は必要であるが、根性論は必要ではない。

ただそれだけの話である。