クリティカルシンキング能力 | デブリマンXの行方

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いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

PRPT社の1次面接へ向けて対策を練っていたところ、「わたしはクリティカルシンキング能力が高いのではないか?」という仮説が立った。

現代はVUCA時代。要するに、未来予測が困難な時代に陥っており、その課題に対してクリティカルシンキングは有効に働く……らしい。

PRPT社の社長のコメントを見る限り、VUCA時代という言葉を重く捉えており、しかも偶然にもグロービス経営大学院の卒業生であるという情報もあった。つまり、クリティカルシンキング能力が本当に高いのであれば、PRPT社の求める人材としての需要がある可能性があるということだろう。

クリティカル・シンキングとは経験や直感だけに頼らず、客観的な視点で分析し、問題を解決する力。客観的な視点で考えた内容を周囲の人に納得感のあるかたちで伝える力」と、グロービス経営大学院では定義しています。(上記のサイトより)

つまり、わたしが保育についてあれこれ考え、このブログで言語化していることそのものがクリティカルシンキングに通じているかもしれないということである。ただし、客観的な視点を本当に持てているのかは謎であるし、問題を解決できていないという点には目を瞑ってもらうが。

「クリティカル・シンキング」とは「ものごとを批判的に考え、判断する」ことです。論理的に考えるための手法以外にも、「批判的精神(クリティカル・マインド)」が含まれているのです。「自分の考えを常に疑う姿勢」と言ってもよいかもしれません。(上記のサイトより)

わたしの場合、自分の考えを常に疑うどころのレベルではないし、これは高度な批判的精神を持っていると言える?

 しかし、私たちは今、環境変化の予測が難しい「VUCA時代」を生きています。これまで直面したことがない「未知の問題」が増えると同時に、経験と知識さえあれば解決できたはずの「既知の問題」の割合が急激に減少しています。「未知の問題」に対処するには、経験や知識に頼らず、ゼロベースかつ客観的な視点を意識しながら、論理的に自分の頭で考え抜く力=クリティカル・シンキングが必要なのです。(上記のサイトより)

例えば、以下のような過激な発想は、わたし自身が自分で考えて出したものである。少なくとも、わたしが読んだことのある保育の本の中で、このような過激なことは言わない。なぜなら、福祉系の本は表面を取り繕い過ぎていてクリティカルシンキングとは無縁だからだ(ただし、個人の書籍には批判的思考というか、日本の教育や保育を否定するものは珍しくない)。

論理的思考が身に付いていない人は、「誰に」「何を」「どのような順番」で伝えるのが適切なのか、思いつきや直感だけに頼ってしまい、明確な意図のないまま資料作成をスタートしてしまうのです。 (上記のサイトより)

この能力については怪しいものを感じる。こういったものを作るとき、わたしはだいたい「これ、いる?」とか考えてしまっていることが多い。学生の頃のプレゼン資料は真面目に作った気がするが、できについてはどうだったのだろうか?

いずれにせよ、実力を証明できるものは残念ながらない。

……というか、そもそも面接がそのプレゼンなのか。

①知識をインプットする
②知識をつかいアウトプットする
③アウトプットに対し他者からフィードバックを受ける
④フィードバックを踏まえて、自分の思考を改善する(上記のサイトより)

これは『学びを結果に変えるアウトプット大全』(樺沢紫苑 著.sanctuary books)で読んだところである。もっとも、フィードバックしてくれる相手がいないが。

皆さんに認識していただきたいことは、論理的思考に関する知識を「知っている」レベルから、「仕事でつかえる」レベルに引き上げるには、多様なバックグラウンドを有する人たちとのディスカッションが必要だということです。(上記のサイトより)

工場勤務→保育士のわたしは多様なバックグラウンドを有する人と言えるだろうか?

まあ、それを推さなければ就職できないけど。

 

とりあえず、クリティカルシンキングについてはこんなところか。

明日、図書館へ行って、より詳細な本を読んできたいと思う。

 

それはそれとして、グロービス経営大学院のサイトは今後もかつようできるかもしれないので、以下にリンクを貼っておく。