お箸を持てる年齢 | デブリマンXの行方

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いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

今日の保育園の会議で、今年の年中クラスにお箸を持てる子が一人も居ないというのが話題になった。自宅で矯正箸を使って食べている子は居るとのことだが、わたしの保育園では今年度の初めの方で「矯正箸を使える=お箸を使えるではない」という研修報告があったため、実際にお箸を使って食べられる子がどの程度いるのかは疑問だ。

また、年長クラスでも半分近くはお箸を使えず、小学校に上がるまで約4ヶ月となった今では、全員がお箸を持つことはできないだろうと思う。

 

わたしのいる園では、お箸の指導という業務はない。わたしのいる保育園の職員にとって、お箸は各家庭で指導して当たり前で、そもそもそんなことを考える必要はなかったのだろう。

しかし、わたしからすると、保育園を利用する家庭の質は、他の先生方が考えているよりかなり劣悪なものになっているのではないだろうかと思う。

 

わたしが思うに、ベテランの保育士には実家や家庭が太い人が多く、育ちが良いのだと感じる(性格は昭和寄りだが)。わたし自身、育ちは良い方ではないと感じており、年齢的に子育て世帯と重なる。つまり、そのギャップが年々広がっており、おそらくコロナ禍で急激に広がったのではないかとわたしは思う。

 

保育園としては、最低限のしつけや指導は各家庭で行って当たり前だと思っている。

しかし、現代の保護者は、保育園は子どもを預けておけば、しつけや指導までやってくれる施設だと思っている。

この感覚のギャップを認知することは大切なことだと思うが、おそらくわたしの保育園の職員にはできないだろうと思う。なぜなら、育ちがいい故に、保護者の家庭に期待し過ぎてしまっているからだ。また、子ども好きであるが故に、そうでない人の気持ちを本当には理解できないだろう。もしそれができるなら、その保育士は今のわたしと同じ苦しみを味わっているはずだ。各家庭の質の低下は、保育士の想像を遙かに超えているだろう。