命日…3回忌 | 双極性障害Ⅰ型の私の人生ジェットコースター

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日付が変わり、今日5月27日は父の命日(3回忌)です。


普段と変わらず、数時間後には地下鉄に乗って出社して、いつものように働きます。そう、ウチはお寺さんにお世話になってません。父の生前の意向です。


前記事にも書いたように、叔父・叔母は来るようですが…。


今日は、私の中の父について書いていきます。これを読めば、なぜ私の心が病魔に蝕まれたかが理解できるかもしれません。


父はエリート大学卒で、(当時は)トップ企業の営業をしておりました。小さな頃の記憶は『たまにしか見ない威圧的な人』でした。


昭和50年生まれなので、物心ついた頃はまだ週休1日でしたし、帰って来るのも午前様など当たり前でした。なので、母との思い出はたんとあるものの、父との思い出はあまりないです。


ただただ『身長が高くて声も低くて威圧的な人』でした。


その幼少期の印象は、父が亡くなるほんの数年前まで変わる事はなく、私にとって『苦手な人』でしかありませんでした。


社会人になっても、まず言われたのは「お前は接客には向かない」「お前は営業は無理だ」「建築や土木しかお前みたいな奴は稼げない」など、思い返せば否定ばかり。私の人生はその否定との戦いでした。


パニック障害&双極性障害、及び 付随して激躁時代の借金問題に加えて父の早期退職に伴う常に家にいる事により、家族の中で四面楚歌に追いやられて、挙げ句の果てにひっそりコントミンによる自殺未遂まで行い、父とは一時一生会わなくてもいいくらいまで思っていた。


でも、アパートを借りて1人で暮らすようになり、あれほど嫌っていた父も私も丸くなり、一生に酒を交わすまでになった矢先に亡くなった。


私にウイスキーを教えてくれたのは父だ。父はストレートで「おい、香りと舌で味わえ」と進めてくれて、(そのウイスキーが高いのもあり)「お、父ちゃん! 俺が今まで飲んだウイスキーと全く違うよ! 美味いよ! 舌でもわかるくらいだよ!!」と言ったのは、3年半前の正月だったな。


その時のウイスキー、手元にあるからさ。今日仕事から帰ってきたら、一緒に飲もうぜ! 父ちゃん!! 


ありがとう。それが今の気持ち。気に入らない性格さえ、俺は愛しているぜ。なんせ、たった一人しかいない父親だから。


[追記]BGM「KING CRIMSON    Starless」