「しあわせづくり」 桃井かおり

ふと、さいきんぼくは幸せについて考えるようになりました。

どうやったら幸せになれるんだろう?

ぼくにとっての幸せの形ってなんだろ?

そもそも幸せってなんだ?

こんなことを、仕事帰りの夜10時位、家まで歩いている時間に、真っ黒な空を眺めながら考えてみる日々が早くも一週間は経ちましたが、結局は何にも結論は出ず、現状のまま変わらない日々を過ごしています。(><)

だからといって、「なあ、いまお前は幸せに過ごしてるの?」って友達にいきなり尋ねてみても、みんな曖昧な返事しかしてくれないに違いないだろう。

でも、「じゃあお前は?」って逆に質問されたら、「まあ、一応。」とおんなじ答えしか返せない気がします。

そんな気持ちなときに、桃井さんの本を読みました。

【幸せって、幸せって気分って奴は、きっと確かな感じにできやしない。】

[しあわせづくり]の中の桃井さんのこの言葉に、妙に納得したし、結局はこうなるんだなって感じました。

決して幸せは形になんてならないし、大きさなんてのも物差しで測れない。だからハッキリと幸せかなんて言えない。だから、無理してぼくは言えなくてもいいんじゃないかなって思う。

試しに測ってみたらどうだろう?(  ゚ ▽ ゚ ;)

「俺は4年前に結婚して子供2人に恵まれた。しかも年収600万。あいつは年収800万で俺に勝ってるけど、結婚してないし、介護しないといけない母親を抱えてて精神的には辛そうだな。」Σ\( ̄ー ̄;)

なんかさもしい人間。

だから、シロップとミルクを加えた甘いアイスコーヒーでも飲みながら文庫本を読んで、のんびりと不確かな幸せに浸りながら、数少ない休日を過ごしてみます。^^
*島耕作に知る「いい人」をやめる男の成功哲学 弘兼憲史


昔のイギリスに「第三の男」という映画がある。その映画に、あまりにも有名な台詞が登場する。

主人公が友人に話した辛辣な言葉だった。

「ボルジア家の圧制はルネサンスを生んだが、スイス500年の平和は何を生んだか?鳩時計だけだ。」

イタリアの歴史を褒めて、スイスの歴史をけなすつもりはないが、この台詞を個人に当てはめればこうなる。

「怒りを忘れるな。いい人になったて、人生は退屈なだけだ。」

「いい人」をどんなに積み重ねたとしても、「いい人」のままでしかない。「いい人」は誰にも嫌われないかもしれないが、それは「鳩時計」が嫌われないという程度の意味だ。

生きるということは、明快でありたい。

何よりも恐れるものは、自分の中の気弱さ、あきらめ、取り繕いと言い聞かせる。うんとわかりやすく言うなら、突き上げてくるものに従う。笑って自分をごまかさない。

浮き沈みの激しい波乱万丈な人生になるかもしれないが、少なくとも曖昧で退屈な人生は送らずに済む。

そしてほとんどの人が、心の底でそんな人生を思い描いてみる。楽しいだろうなと空想する。

けれども、ほとんどの人がそれを実行できない。曖昧なままの自分をそのまま世の中に置いてしまう。

この本でぼくは、「いい人」について考えてみたい。「いい人」こそ、自分の曖昧さを笑ってごまかすための仮面ではないか。

なぜなら君の中の「いい人」は疲れている。疲れている自分はいっときも早く解き放ったほうがいい。「悪い人」に価値を見出したほうが、いまの君に巣食っているどうしようもない疲れを解き放てる。

鳩時計はハトが飛び出す。

ハトは「いい人」だけど、飛び出したら律儀に時計の中に戻ることもないだろう。どこかにそのまま飛んでいけばいい。君の中のいい人も、苦しくなって叫びを上げたら、そのままどこかに飛んでいけばいいのだ。

だからまず、「いい人」への未練を捨てる。「いい人」はいいという思い込みも捨てる。

そこからすべてが始まるのではないか。

作者のプロローグ、一部抜粋して紹介しました。(^^)





12時半ごろにアパートの一室の前まで着いた。

いまごろお婆ちゃんと一緒にごはんを食べているのだろうか。

普通なら食事中にお邪魔するのは気がひけるかもしれないけれど、そんなわずらわしさもなく気兼ねなく入れる程親密な関係を俺は築いていた。

チャイムを押すとすぐにドタドタと走ってくる音が聞こえてきた。

「兄ちゃんおかえりー。今日は早いじゃん。」

イツキが明るい声と明るい表情で出迎えてくれた。

「いまみんなでご飯食べててさ、ばあちゃんが肉じゃが作ってくれたんだけど、すごいおいしいよ。あれっ?兄ちゃんはもう食べてきたの?まだなら、俺の分余ってるから少しだったらつまんでいいよ。でも、みーのは取ったらダメだよ。ゆっくり食べてるから残してるかと思っちゃうけど、時間がかかってもいつもペロっと全部食べちゃうからさ、勝手にー」

興奮してまさしくマシンガントークで切れ目なく話し続けているところに、イツキの後ろからゆっくりとおばあちゃんが現れた。

「玄関前のそんなところで話してないで、早く和也さんを中に入れてあげなさい。」

イツキの頭の上に手を置いて、なだめるように優しい声を投げかけた。

「あっ。つい夢中で話しちゃったね。じゃあ早くあがってあがって。」
「失礼しますね。」

おばあちゃんと同じくらい優しい声のトーンで挨拶するとイツキに手を引っ張られ、俺は吸い込まれるように望月宅へお邪魔した。

部屋のリビングに入ると、テーブルの上でゆっくりと食事しているマイの姿があった。

マイは基本的におとなしく無口のため、俺を見ても特に反応は無く、唯一ペコッと軽くお辞儀だけをしてまた食事に戻った。

もうマイのよそよそしい態度には慣れていたので、まだ遠い心の距離感にも気にせず一番手前のテーブルの椅子に座った。

食事の途中だったイツキは流し込むようにすぐに食べ終え、隣の部屋に俺を連れ出しTVゲームをして遊んだ。

ふと横を見ると、マイとおばあちゃんはただ静かに目の前の食事に集中して、まるで1つ1つのお米を噛み締めるように味わっていた。

大事に、大事に、真っ白で汚れやすいヌイグルミを手に取るように。そしてなぜかおばあちゃんは少し儚げなさびしそうな表情をしていた。

その顔は以前にも覚えのある表情で、2年前に俺があいつらと出会ったときにもそんな顔をしていた。

雨が降りしきる正月の夜、ちょうど一昨年の今頃俺はこの家族に出会った。