*島耕作に知る「いい人」をやめる男の成功哲学 弘兼憲史


昔のイギリスに「第三の男」という映画がある。その映画に、あまりにも有名な台詞が登場する。

主人公が友人に話した辛辣な言葉だった。

「ボルジア家の圧制はルネサンスを生んだが、スイス500年の平和は何を生んだか?鳩時計だけだ。」

イタリアの歴史を褒めて、スイスの歴史をけなすつもりはないが、この台詞を個人に当てはめればこうなる。

「怒りを忘れるな。いい人になったて、人生は退屈なだけだ。」

「いい人」をどんなに積み重ねたとしても、「いい人」のままでしかない。「いい人」は誰にも嫌われないかもしれないが、それは「鳩時計」が嫌われないという程度の意味だ。

生きるということは、明快でありたい。

何よりも恐れるものは、自分の中の気弱さ、あきらめ、取り繕いと言い聞かせる。うんとわかりやすく言うなら、突き上げてくるものに従う。笑って自分をごまかさない。

浮き沈みの激しい波乱万丈な人生になるかもしれないが、少なくとも曖昧で退屈な人生は送らずに済む。

そしてほとんどの人が、心の底でそんな人生を思い描いてみる。楽しいだろうなと空想する。

けれども、ほとんどの人がそれを実行できない。曖昧なままの自分をそのまま世の中に置いてしまう。

この本でぼくは、「いい人」について考えてみたい。「いい人」こそ、自分の曖昧さを笑ってごまかすための仮面ではないか。

なぜなら君の中の「いい人」は疲れている。疲れている自分はいっときも早く解き放ったほうがいい。「悪い人」に価値を見出したほうが、いまの君に巣食っているどうしようもない疲れを解き放てる。

鳩時計はハトが飛び出す。

ハトは「いい人」だけど、飛び出したら律儀に時計の中に戻ることもないだろう。どこかにそのまま飛んでいけばいい。君の中のいい人も、苦しくなって叫びを上げたら、そのままどこかに飛んでいけばいいのだ。

だからまず、「いい人」への未練を捨てる。「いい人」はいいという思い込みも捨てる。

そこからすべてが始まるのではないか。

作者のプロローグ、一部抜粋して紹介しました。(^^)