おはようございます。
タイトルでは
「思考は無意味」と書きました。
それは言い過ぎで
「思考は無力に近い」が正解かもしれません。
例えば、プロ野球の打者がいくら打撃理論を
勉強して練習しても
実際にはそれだけでは打てない。
そこにその球を捉える一瞬の感覚という
ものが必要なのです。
いくら打撃理論に沿って勉強して
練習したところで
実践ではその理論に基づく練習だけでは
好打者にはなれないのです。
好打者になる条件は理論を超えた、
感覚の世界を制しなければならないのです。
つまり思考だけでは何の役にも立たない。
もうひとつ例をあげます。
宇宙全体の姿はどうなっているのか、
という問題に対して
宇宙は無限であるという考え方。
では、無限とはどういうこと?
無限て何?
どこまでも続く空間て、、、、
それどうなってるの?
逆に宇宙有限説を唱える人もいます。
宇宙は有限である。
宇宙には果てがある、
そう言います。
では、宇宙の果てを超えたら
そこは何があるのかな?
そこが説明出来ない。
それらが思考の限界です。
人間は自分の経験した情報から
類似した状況をチョイスして
それに当てはめようとします。
そこには未知の領域をカバー出来ない
という決定的欠如があるのです。
意識はどうか?
私達の思考を超越した感覚は
経験したことのない状況を
感覚的に何となく理解出来るのです。
理解とはもはや思考の領域なので
そこで終わってしまうのですが。
理解するのではなく
感覚においては「感じる」
というのが正解かも知れません。
感覚的に感じる。
これは思考による理解を超えた
未知の領域に到達する可能性があります。
思考は意識の前では無力なのです。
思考の決定的な欠点は
思考は言葉を伴うことです。
そもそも言葉とは思考の産物。
言葉で表現しようとすることで
全てが思考に集結してしまうのです。
言葉は全てを思考化してしまうのです。
今日も読んで頂きありがとうございます。
では、またです。
