現在の信越本線(高崎-横川)の終点となる横川駅を訪れるのは、今夏乗り鉄再開して3度目となります。1度目は、8月に小淵沢から小海線のHIGHRAIL号に乗車後、軽井沢を経て、JRバス関東で碓氷バイパスを下り、初めて横川駅に下車しました。

 

アプトの道(アプト式鉄道廃線跡の遊歩道、ハイキングコース約6キロ)を知ったのはその時でしたが、強烈な印象として残ったのは駅構内にあった「ありがとう おかげさまで 信越本線は135周年」の看板と、「1893年 明治26年 横川-軽井沢間アプト式鉄道を用いて開通 高崎-直江津間全線開通 」の案内でした。

 

 

 

※現在の鬼滅の刃バージョンがこちら.....

 

その時は、真夏の暑さが少しは和らぐであろう9月を目途に再訪するつもりでしたが、実際は2か月以上が経ち、11月になってようやく、上越線、信越本線、えちトキ・しな鉄経由で軽井沢到着、バス10分と徒歩2時間で碓氷峠を下り、2度目の横川駅・再訪を果たしましたダウンダウンダウン

 

 

 

 

 

そして3度目、横川駅から徒歩のみで軽井沢駅を目指します。

※横川から軽井沢への道路地図 

下が、バスで通った碓氷バイパス

上が、バスと徒歩で通った中山道※旧道18号

 

 

■予定通りの高崎新幹線ワープ

 

軽井沢駅到着目標時間の午後3時から逆算すると、午前10時前には横川駅を出発する必要があり、時刻表や乗換アプリを確認しましたが、池袋-高崎-横川の本数が少ないうえ接続も悪く、午前6時台の池袋発高崎線に乗車!、5時台起床・出発!!

 

は、無理なので新幹線ワープを活用....

 

●土曜午前7時台の池袋、平日とほぼ同じ混雑風景

  

 

●大宮で下車、MAX(2階建て新幹線)に乗換、朝食をとりエネルギー補給

 

●高崎で下車、MAXをお見送り、ロングノーズ何とかおさまりました  

 

●午前9時前の信越本線に乗車、車内はほぼ満席

 

●横川駅到着後、お手洗いで用を済ませ起点へ向かいます

  

 

●周辺の駐車場は、この時間で満車でした.....恐るべし、鬼滅効果....

 

■アプトの道 9:30発

鉄道文化村入場口脇にあるこの立て看板が起点となります。

峠の湯までは1時間(2.6キロ)、熊野平までは合わせて2時間(6キロ)、が目安のようです

 

 

地図であらわすとこんな感じ!

今回は、Google Map様航空写真を引用させていただきました!!

通常の地図では、道路しか表示されないので....

 

 

すぐに案内板が見えます。

この先を歩くとすぐ右側に観光案内所、その先には関所跡があります。

 

 

手作りの案内標と舗装された道路上に残る線路(跡)

ここからが遊歩道のようです

 

 

線路沿い、そして左手に鉄道文化むらを見ながら登ります

 

鉄道文化むらの開業が1999年、アプトの道(横川-めがね橋)の供用開始が2001年とのこと。もちろん、1998年の長野新幹線開業後ですが、観光施設としては、未だ真新しさを感じました。

 

 

ここからは、ひたすら一直線に上ります。

10時前ですが気温も上昇、ここで上着を脱ぎます

はるか先に見える高架橋で、その長さがお分かりになるかと.....

 

 

先程の高架橋、上信越自動車道の真下を通ります

大のお気に入りの風景、橋の完成は1992年とのこと

 

 

真下を通って振り返り、もう1枚...

 

 

出発してすでに30分、ようやく景色に変化が..

 

 

■旧丸山変電所 10:00着

1911年(明治44年)碓氷線の電化い伴い建設、右側が蓄電室、左側が機械室です。1963年(昭和38年)のアプト式廃止に伴い変電所としての役割を終えましたが、設備を撤去したのみで、建物は残されました。

 

その後、1994年(平成6年)に重要文化財に指定され、2001年から2002年にかけて保存修復工事が行われ、屋根・外観は建設当初の姿に復元されました。

 

 

保存修復工事のレベルの高さもですが、改めて碓氷線の歴史と電化の早さ(この地形で!!!)に驚き、そして関所跡があるように江戸時代から続く交通の要所であり難所であることを実感しました。

 

8月の横川駅観察記でも述べましたが、碓氷線の歴史をまとめると

 

明治21年 1888年 碓氷馬車鉄道 横川-軽井沢 営業運転開始

明治24年 1891年 鉄道工事着工

明治25年 1892年 鉄道工事完成

明治26年 1893年 営業運転開始

明治44年 1911年 変電所建設

大正10年 1921年 すべての列車が電化される

昭和38年 1963年 碓氷新線完成、粘着運転開始、アプト式廃止

平成9年 1997年9月30日碓氷線廃止、10月1日北陸新幹線開業......

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徒歩記に戻ります。

 

この先からアプト式区間、勾配がさらに急になります

 

 

列車が登れる勾配(坂)ですので、きつくはないですが30分以上歩き続けると、さすがに疲れます!!

 

 

しばらくすると、丸山エントランス(31キロポスト)を発見、紅葉が目印です。

ここからがアプト式区間となります

 

 

登り終えると、この景色!

この行き止まり感(放置感!!)大好きです!!!

この先には、草木に覆われた線路跡が数十年間、手付かずのままかと

 

 

線路下をくぐって、わずかですが戻ります

 

 

横川方面を望む

右に見えるのは、「くつろぎの郷」 貸コテージです 

※鉄道文化むらと同じ1999年開業

 

前回は、線路の下をくぐるアプトの道に気づかず、通り過ぎてしまいました

こちらには、親切な案内板(矢印...)はないのでご注意ください....

 

 

紅葉に囲まれた駅名標....

 

 

碓氷峠トロッコ列車線 とうげのゆ駅 到着です!!

 

 

■峠の湯 10:15着

 

結局45分で着いてしまいました....

急勾配でしたが、朝食もとりエネルギーは十分補給、この先の考えずやや飛ばしたようです。

 

右手に見えるのが、天然温泉「峠の湯」です。温泉の他にも、宿泊施設やレストラン、売店が充実している立派な観光施設です。

こちらの開業が、アプトの道(横川-めがね橋)と同じく2001年。碓氷線廃止・新幹線開業後に観光施設として建設されたことは素晴らしいですが、ここまでは私が抱いていた廃線跡のイメージとはやや違う、というのが正直な感想です。

 

※写真は前回撮影

 

今更ながらの告白ですが、私は碓氷線や特急あさまに乗車したことがありません。1997年は学生時代だったので、その機会は間違いなくあったはずですが、東京-岡山12時間乗車するほどのエネルギーは、なぜかこちらには向いてなかったようで、20年以上前ですが悔やまれます。

 

こちらが軽井沢に続く線路跡、特急あさまが通っていたようです。

 

※写真は前回撮影

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

次回 峠の湯~碓氷第三橋梁(めがね橋)はこちらダウン

 

碓氷第三橋梁(めがね橋)~熊ノ平ダウンダウンがこちら

 

以降 国道18号3時間徒歩記ダウンダウンダウンに続く