21年 | きらきらな日々を

きらきらな日々を

明日、心の空が晴れますように

姉が亡くなって、今日で21年が経ちました。
21年なのに、昨日のことのようです。
もうそんなに経つのかなぁって。

いつか必ず人間は死ぬのに、まだ生きられるはずなのに、命の自然な終わりを待てずに自分から命を絶つのは、それがどういうことなのか、ちゃんと理解していないから。

死にたくなることなら、多分、誰にでも一度くらいあると思う。
死にたくなるほど辛い思いは、多分多くの人が経験している。
そして、そう思う理由はたくさんある。

それを実行してしまうのは、精神力が強いとか弱いということでもない。

だけど、周囲には、その人を、よく思っている「味方」だって必ずいる。
世の中は、敵ばかりではない。
絶対に。

その人を愛している「味方」に、最後にもう一度、頼ることは出来なかったのだろうか?
どんな小さなことだって、「味方」は受け止めてくれるだろう。

どんなにその人を大切に思って愛していても、たった一人で死んでしまったら、その人は「味方」を裏切ったことになる。

私には死後の世界のことはわからない。
話は諸説あるけれど、それが本当かどうかはわからない。
でも、この世では、その人の人生はおしまい。

何で死んでしまったの?
何で私を頼ってくれなかったの?
何で私を置いてきぼりにしたの?
何で私を裏切ったの?

残された私達は、その人に、答えのない疑問を投げ続けながら、死ぬまで、考えながら、自分の命を生きていく。

昔、母がどんな思いで産んでくれたのか。
どんな風に生きてねと願ってくれたのか。
生まれたとき、どんなに愛を受けたのか。
生きるため、育つために、どれほどの愛情を受けたのか。

その人が心に何らかの傷を負い、それに耐えられず、死を決断したならば、残された「味方」は、その人から、自殺という行為で、心に傷を受けてしまう。

自分のことばかり考えて、周りを考えていない。
周りを考えていないから、身勝手なことが出来るのだと思う。

父と母は歳を取り、背中はとても淋しそうで。
両親がどんな思いをして、その後を生きているのか、あなたは考えたことがあるだろうか?

私は、答えの出ない疑問を考えながら、21年間、生きてきました。

金木犀の咲く頃に思うことです。