こちらはInstagramに投稿している
「南の島の写真に言葉を添えて」
に、追記したり、補足したり、深掘ったりしていく記事です。
本日はこちら!
「今」を意識すると、道はいくらでも広がっているように感じることもあります。
十字路を例に挙げましたが、文字通り、左右前後どこへでも。
ただ、行きたくない方向はあるし、違うなと思う方向や、行く必要すら湧かない方向もありますね。
それは「感覚」はもちろんですが、それに加えて「思考」が選別しています。
ひとことで言ってしまえば「経験」ですね。
成功と失敗、達成と挫折、快と不快…
過去どうであったか、を記憶の底から引っ張り出して、そのデータを基に、判断材料として提供する。
というか、提供されてしまう。自動的に。
私達は自分自身を守るためにも、変化を嫌う性質を持っていて。
それは「当たり前のもの」なので、抵抗も、拒絶も、意味ないです。
ならば、結局のところ、
「過去のデータ通りに道を選ぶのだから、選択肢があったって、自由に選べないじゃん?」
と、なりますね。
うん、そうです。
極論、そういうものです。
ただ、道があるかないかを知っているかどうかは、大きな違いです。
例え、歩ける状況ではなくとも、歩く勇気がなくとも、そのような道がある。
今とは違う道があり、先があり、未来がある。
今の私には手を伸ばせなくとも、顔を上げて前を見据えれば、続く道は広がっているのだと。
いつか、その道を辿れるかもしれない。
それは希望であり、願いが生まれる瞬間です。
思考が提供したデータは、私達自身を守るための要素。
その通りに今を生きている。
ただ、データはデータとして取り入れ、感覚や感情にも目を向ける。
そうして「この道を選んでみたい、かも」
そんな、おっかなびっくりな気持ちが湧く。
過去(思考)に縛られつつも、
実は他にも選択肢があることに気づけると、
どうする?という問いが生まれ、
こうしたい!という願いが生まれる。
気づくことは、ホント大事。
かなり重要な要素です。
そして、気づくためには、気づけるだけの余裕が無いと難しい。
心の余白。
心を落ち着けて、スペースが生まれれば、気づく可能性が高まる。
確かなことだと、思っています。