小諸城址懐古園(長野県小諸市)巡りのつづきです。
“天守台跡”へ上がる前にまず、ベストポジションを探しながら石垣を見上げます。美しい野面(のづら)積みに隅石(すみいし)も算木(さんぎ)積みの原型のように見えて、上に載る松がまた何ともいえず風情があります。
石垣を思う存分愛でてから、いよいよ天守台跡に上ります。天守台へは懐古神社の裏手から石段を上って行くことができます。
懐古神社の拝殿(左)と本殿(右)を見ながら奥へ進み、
石段を上ると本丸の石垣の上に出ます。わお高~い。
さらに数段上ったところが天守台跡で、
台上には“天守閣跡”の石碑が立っています。ここにはかつて金箔瓦で葺かれた豪華な三層の望楼式(ぼうろうしき)天守閣が聳えていたそうですが、1626(寛永3)年の落雷で焼失し、以降幕府の許可が下りず再建叶わなかったそうです。
小諸城本丸を囲う石垣の高さは約6m、天守台の石垣はさらにもう一段高く約8mの高さに築かれているそうで、実際に隅石の上に立つと、写真で見るよりもっと高く感じられます。
小諸城天守閣の台面は方形ではなく、石垣が内側に入り込んだアーチ型をしているそうですが、なかなかうまく撮れません。でもこの高さ、この角度で、しかも手すりや柵などの障害物が何もない状態で見下ろすことができるのはとても貴重な体験でした(のぞき込むのに夢中になってつい前のめりになるので、このときは心配した夫が後ろから落ちないように引っ張ってくれていました)。
松の木も下を通る人びとを眺めたいのか、石垣から大きく張り出しています。
天守台跡を下り、本丸の石垣の上から振り返ってみます。
本丸の石垣の上もずっと先まで歩けるようになっています。ここも手すりや柵などのない自然のままなのがとても有り難いです。右下は先ほど見て来た馬場。
つづいて武器庫と島崎藤村の「千曲川旅情のうた」の詩碑の間にある“酔月橋(すいげつきょう)”を渡り、小山敬三美術館のほうへ行きます。
酔月橋の下は“地獄谷”、向こうに見えているのは“水の手展望台”です。地獄谷という名の通り、この断崖絶壁をよじ登って攻め込むのは事実上不可能ではないかと思います。
酔月橋を渡り終えるとそこが懐古園のもう一つの入口“酔月料金所”で、その外に大きな明神(みょうじん)鳥居があり、“鹿嶋神社”の扁額が掛かっています。
にわかに雲が覆いかぶさり夕方のように薄暗くなってきました。
二の鳥居はやはり典型的な鹿島鳥居。
小諸鹿嶋神社の創建年は定かではありませんが、1590(天正18)年に小諸城主仙谷秀久(せんごくひでひさ)が城の改築と城下町の整備を行ったとき、城の鎮守として大手門付近に社殿を築いたことがわかっており、1949(昭和24)年の小諸駅前拡張整備事業に伴ってこの地に遷座したそうです。
茨城県鹿嶋市の鹿島神宮を本社とする小諸鹿嶋神社の御祭神は武甕槌神(たけみかづちのかみ)で、武神・軍神であることから武家の尊崇篤かったことと思います。
拝殿奥の本殿。
鹿嶋神社を後にして、次は小諸市のご出身で文化勲章受賞者でもいらっしゃる洋画家・小山敬三(こやまけいぞう)画伯の絵画を展示した“小山敬三美術館”を訪ねます。(※上の写真の建物は美術館ではありません)
敷地内に入り案内看板に沿って小道を歩いて行くと
木立の中に浅間山の溶岩が点在するエリアがあり、
そこを抜けるとようやく美術館の入口が現れます。しかも建物はいかにも大きな美術館然としたものではなく、深い森の中にひっそりと佇むカフェのような雰囲気で、肩肘張らず自然と入ってゆけるのがいいです。
館内は撮影禁止なので、上の写真はいただいたパンフレットよりお借りしました。小山敬三画伯は慶應義塾大学予科に進学するも画家への思い断ちがたく中退、父と親交の深かった島崎藤村のすすめでフランスに留学し9年間研鑽を積まれます。留学中からその実力を認められ、帰国後は一水会、日展などに出品したり個展を開くなどして精力的に創作活動をつづけられ、新高輪プリンスホテル(現在のグランドプリンスホテル新高輪)のロビーを飾る大壁画「紅浅間」は85歳のときの作品だそうです。
敷地内には地図の作成などに使われる“四等三角点”もありました。
美術館入口付近のビュースポットは小諸市が選定する“小諸眺望百選”のひとつにもなっているそうです。千曲川を見下ろすここは懐古園の最奥エリアですが、実際に歩いてみると小諸城は天然の要塞(ようさい)であることがよくわかります。
自然の起伏をうまく利用して建てられている美術館の隣には、
画伯がフランスでの修行を終え、現地で結婚したマリー・ルイーズ夫人を伴って帰国した後、神奈川県茅ケ崎市に構えたアトリエ兼住宅が移築されています。
美術館の展望室で見た小山敬三画伯を紹介するビデオテープによると、氏はすべての作品をこのアトリエで制作し仕上げられるスタイルだったそうです。この日はアトリエ内部の見学はできず外観を見るだけだったのが少し心残りです。
ふたたび地獄谷の深さに圧倒されながら、
酔月橋を渡って懐古園に戻ります。
何度見ても飽きない苔むした石垣。
帰途に立ち寄ると、北の丸跡の懐古射院では弓道の稽古がはじまっていました。
とても広い懐古園をひととおり巡り終え、最後に少し離れたところにある“大手門”を見に行きます。
大手門は小諸城の正門で、1612(慶長17)年、初代藩主仙谷秀久により小諸城築城時に創建されたもので、平成の大修理を経て往時の姿を取り戻したそうです。
正門に相応しい堂々たる櫓門(やぐらもん)です。この大手門をくぐり、今は懐古園の入口になっている三の門を通って二の丸へ行くわけですね。
現在の懐古園の敷地は道路や鉄道により懐古園エリアと大手門エリアに分断されていて、地下道で行き来できるようになっています。
こちらは小諸駅前ロータリーの近くにあるカフェ・レストラン“停車場ガーデン”。花々が咲き乱れ、公園と一体化したような素敵な空間です。
大手門周辺を整備した“大手門公園”。
地下通路の大手門側は造花ではない生のお花で飾られています。
地下通路を出ると目の前が三の門。
改めて園内図を見ると、懐古園は三の門を頂点とする二等辺三角形の形状であることがわかります。園内にはわたしの大好きな石垣を含め見どころがとても多く、半日かけてもまだ時間が足りないくらいでした。
駐車場へ戻る道の途中に、かつて小海線を運行していた蒸気機関車C156-144が展示されています。いつもならただ通り過ぎるだけなのですが、ふと電車と踏切が大好きな2歳半の孫のたっくんを思い出し、写真を撮ってみました。
上高地と別所温泉を満喫する旅の最後に立ち寄った懐古園。城跡を歩きながらその名のとおり古(いにしえ)を懐古し、歴史や文学、美術の薫りまで感じられる心地よい憩いの場であったことに心より感謝しています。
温故知新。新しきものを知るにはやはり古きを訪ね、学ぶ心を忘れてはならないようです。
yantaro