少し日が経ってしまいましたがゴールデンウィークのとある一日、つつじの寺として知られる塩船観音(東京都青梅市)を訪ねました。

 

 春のつつじに始まり、初夏の紫陽花(あじさい)、夏の山百合、秋の彼岸花に萩など四季折々に咲く花々がとてもきれいなところで、毎年近所につつじの花が咲きはじめると塩船観音を思い出すのが恒例になっています。

 

 境内の入口に静かに佇む仁王門。ひろく通称の“塩船観音”で呼ばれますが、正式名称は「大悲山(だいひざん)観音寺(かんのんじ)」と称する真言宗醍醐派(だいごは)の寺院で、寺格は総本山の醍醐寺(京都府京都市)に準ずる“別格本山”になっています。

 

 仁王門は室町時代に建立された茅葺(かやぶき)の八脚門で、内部には筋骨隆々の金剛力士像二体が安置されています。

 

 仁王門から真っすぐ伸びる参道。

 

 その先の石段を上ると

 

 銅板葺きの屋根が美しい“阿弥陀堂(あみだどう)”があります。

 

 堂内には阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)を中心に聖観世音菩薩立像(しょうかんぜおんぼさつりゅうぞう)と勢至菩薩(せいしぼさつ)立像が祀られています。

 

 つつじ祭りの開催中のみ有料なので、阿弥陀堂の先のチケット売場で入山料おとな300円を納めます。

 

 本堂へと向かう参道(右の石段)の両脇には

 

 高さ約40m、幹回り約6m、樹齢は900年を超すという杉の大木が聳えます。

 

 石段の先は本堂より一段低い広場で、

 

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 そこには手水舎(てみずしゃ)と、

 

 薬師堂(やくしどう)、

 

 “弘法大師像”と“水子地蔵尊”が点在します。

 

 薬師堂に祀られた薬師如来立像は平安時代後期の作と伝わるそうで、すらりと細身のお姿がとても美しいです。

 

 そこからさらに石段を上ると本堂です。 

 

 本堂前の常香炉(じょうこうろ)には多くの人たちが集まり、香を焚き、煙をいただいておられます。

 

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 茅葺屋根の美しいこの“鐘楼(しょうろう)”と“銅鐘(どうしょう)”は1641(寛永18)年に鋳造されたもので、現在は青梅市有形文化財として保存されているそうです。

 

 こちらが室町時代に建築された本堂の“圓通閣(えんつうかく)”。屋根は萱葺に杉皮を葺き込んだ“奥多摩の虎葺(とらぶ)き”と呼ばれるものだそうです。塩船観音の御本尊は十一面千手千眼観自在菩薩(じゅういちめんせんじゅせんがんかんじざいぼさつ)立像で、秘仏のため須弥壇上の厨子に収められ、一年に四回開扉されるそうです。

 

 実はこの日一番楽しみにしていたのが、本堂の中に入り、御本尊をお守りする脇侍(わきじ)の毘沙門天像と不動明王像、そして“二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)”を拝見することです。二十八部衆といえば京都の三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)のものが有名で、昨年(2023)12月に訪れて感動のひとときを過ごしたのですが(2024年1月5日付『師走の京都・奈良旅③~三十三間堂と銀閣寺』でご紹介しています)、塩船観音にもあったとは思いもよらず、つつじ祭りの開催中に公開されることを知り、居ても立ってもいられなくなりました爆  笑

 

 本堂内は撮影禁止なので、上の写真は青梅市郷土博物館のホームページ内の紹介記事よりお借りしました。それによると鎌倉~室町時代に製作された二十八部衆立像がすべて現存しているのは全国的にも珍しく、年代的にも三十三間堂の二十八部衆に次ぐ存在なのだそうです。実際に見ると写真よりも数倍迫力があり、やはり欠けることなく勢揃いする様子は壮観のひとことですラブラブ

 

 本堂を出て、境内巡りの最初は“板碑堂(いたびどう)”。 

 

 内部にはとても大きな板碑が置かれています。案内板によると、1296(永仁4)年に造立された逆修(げきじゅ)供養卒塔婆(くようそとうば)というもので、調べると逆修とは自身の死後の安寧を願い生前供養を行うことを意味するそうです。

 

 つつじ園に向かう道はずっと上り坂。

 

 その中腹に建つ一つ目の鳥居は“七社権現社”のもの。

 

 二つ目の赤い鳥居は“児玉稲荷社”。

 

 寺の鎮守として奉斎されている“七社権現社”の横には“招福の鐘”の掛かる鐘楼(しょうろう)があり、この鐘は午前6時~午後4時まで誰でも撞くことができるそうで、この日も多くの善男善女が列をなしておられました。

 

 花と新緑を楽しみながら遊歩道を歩いていくと

 

 つつじ園全体が見渡せるビューポイントがあり

 

 そこには全高13mという大きな“塩船平和観音像”が立っていて、その足元は展望デッキになっています。

 

 観音寺が“塩船観音”と呼ばれるようになったのは、僧行基(ぎょうき)が天平年間(729~749)にこの地を訪れて、周囲を丘に囲まれた地形が舟形に似ていたことから、仏が衆生(しゅじょう)を悟りの彼岸に導くことを、舟が人を乗せて海を渡すことに喩えた「弘誓(ぐぜい)の舟」になぞらえて名づけたと伝わるそうです。

 

 行基の来訪からもわかるように塩船観音の開山はとても古く、寺伝によると、大化年間(645~650)に若狭国の八百比丘尼(やおびくに)が巡錫(じゅんしゃく)の折、一寸八分の観音像を安置したことに始まるそうです。八百比丘尼ってどこかで聞き覚えがあると思って調べてみると、人魚の肉を食べて不老長寿を獲得し800歳まで生きたと伝わる尼僧でした。若狭国で入定(にゅうじょう)されるときもそのお姿は17~18歳のように若々しかったそうですニコニコ

 

 塩船平和観音は、開創壱千三百五十年祭記念事業の一環として2010(平成22)年に建立されたものだそうです。

 

 つつじと平和観音像。

 

 つつじ園は外周だけでなく、木々の間を歩くこともできます。

 

 中腹からの眺め。

 

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 塩船観音つつじ園内には15種、約17,000本のつつじが植栽されていて、

 

 4月上旬から5月上旬にかけてつぎつぎと花開きます。

 

 リュウキュウツツジ系の“関寺(せきでら)”という品種だそうです。

 

 もともと境内の裏にはヤマツツジがたくさん自生していたそうで、1965(昭和40)年につつじ園の構想が持ち上がり、翌年より植栽を始めて、以降約5千坪にも及ぶつつじ園が次第に整備されていき、現在に至るそうです。

 

 “観音池”まで下りてきました。ここから見ると舟形がよくわかります。

 

 観音池下の“護摩堂(ごまどう)”の内陣には、開山の“八百比丘尼(やおびくに)尊像”が祀られているそうです。

 

 塩船観音のホームページで見た八百比丘尼尊像があまりにも美しかったので、写真をお借りしてきました。頭上にいただく白い花にも負けない気品あるお姿です。

 

 「弘誓(ぐぜい)の舟」に因み“弘誓閣”と呼ばれる護摩堂の背後が一面のつつじ園で、あたかも美しい八百比丘尼さまによりいっそう花を添えているようですラブラブ

 

 護摩堂の前には火焔を背負う“不動明王像”。

 

 インバウンドで境内には日本人と同じかそれ以上に外国人の姿が多く、これはもう日本全国どこに行っても同じなのかと少々嘆息気味ですあせる

 

 訪れたのがつつじ祭り期間中で、本堂周辺よりも護摩堂を中心とするつつじ園のほうに人が多かったのですが、わたしたちにとっては二十八部衆見学のために本堂内部に上がれたことが、何よりありがたいことでしたラブラブ

 

 “新東京百景”のひとつにも選ばれている塩船観音。花と歴史に彩られた美しいお寺さんです。

 

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