猛暑日、酷暑日、熱帯夜と日本列島全体が発熱したかのような暑さあせるが続く中、もしかしたら少しは涼しいかも…と淡い期待を抱いて“鬼押出し園(おにおしだしえん)”(群馬県吾妻郡嬬恋村)を訪ねました。

 

 埼玉の我が家からは圏央道、上信越道を経由して約2時間半車

 

 碓氷軽井沢ICを出て鬼押(おにおし)ハイウエーに入ったので

 

 クーラーを切って窓を開けてみると、やはり標高が高いからか、外気温は25度でも吹き込む風はさわやかでとても涼しい音譜

 

 車から降りると、もうそこからゴツゴツした溶岩に覆われています。

 

 ゆるやかなスロープを上ったところにチケット売り場と入園口があり、

 

 跨道橋(こどうきょう)を渡って園内に入ります。

 

 日差しは強いのですが心地よい風が吹き湿度が低いので、体感的にはとてもさわやかキラキラ

 

 浅間山(あさまやま)の山頂には雲がかかっています。

 

 反対側の眺め~。

 

 ちょうど着いたのがお昼どきだったので、展望レストランでランチナイフとフォークにします。

 

 いただいたのはその名も“鬼押しぶっかけおろしそば”の赤城鶏かしわ天つき(上)と海老天つき(下)です。そばは太めでコシがあり、大根おろしをからめると食感がまた変わります。揚げたての天ぷらは赤城鶏のかしわ天が思った以上に美味しかったですビックリマーク

 

 展望レストラン前から見て左手の道が“表参道(おもてさんどう)”、右手が“裏参道(うらさんどう)”です。遊歩道ではなくここが参道なのは、

 

 奥に観音堂(かんのんどう)があるからです。こちらは表参道入り口に建つ“惣門(そうもん)”。[※惣門は総門に同じ]案内板によると、この惣門は東京上野にある寛永寺(かんえいじ)の勧学寮(かんがくりょう)という学問所の表門を移築したものだそうです。

 

 惣門脇には鬼押出し園の由来を記した石碑があり、

 

 門の左右には徳川五代将軍綱吉公ゆかりの持国天(じこくてん)像と

 

 増長天(ぞうちょうてん)像が安置されています。持国天と増長天は仏法を守護する四天王(してんのう)のうちの二柱です。

 

 観音堂の正式名称は“浅間山観音堂”といい、柱にもあるように上野・寛永寺(かんえいじ)の別院です。 

 

 本院の寛永寺(東京都台東区)は1625(寛永2)年、徳川家康の最大のブレーンともいわれる天台宗の僧侶・慈眼大師(じげんだいし)天海大僧正(てんかいだいそうじょう)により、江戸城の鬼門(北東)封じのために建てられた寺院です。(※参拝記は江戸の護り~上野寛永寺② )

 

 その寛永寺の別院がここに建立されたのは1958(昭和33)年のこと。“天明(てんめい)の大噴火”として知られる浅間山の大噴火(1783年)で犠牲になられた方々の御霊を供養するため、本院寛永寺より聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)を勧請(かんじょう)し創建されたそうです。

 

 浅間山の歴史は古く、火山活動が始まったのは十数万年前と考えられているそうです。活火山なので過去に幾度も噴火を繰り返していますが、歴史上最も規模が大きく、甚大な被害をもたらしたのが天明の大噴火といわれています。

 

 記録によると1783(天明3)年の4月に始まった浅間山の鳴動(めいどう)は5月、6月と噴火と小康状態を繰り返しながらその火山活動は7月に最高潮に達し、旧暦7月8日の午前10時頃、ついに火口から真紅の炎が数百mも吹き上がり大爆発が起きると同時に、大量の火砕流が浅間山の北側斜面を時速約130㎞という猛スピードで流れ下ったそうです。

 

 火砕流の直撃を受けた浅間山北麓の鎌原村(かんばらむら)は村のほぼ全域が埋没、死者は村の人口の約84%にあたる477名にのぼり、生存者は高所にあった鎌原観音堂に逃げ込んだ93名だけだったそうです。

 

 天明の大噴火の最後に流出したのが“鬼押溶岩流”で、それがのちに冷えて凝固してこのような荒々しい景観を生み出したそうです。

 

 一瞬のこととはいえ火砕流に飲み込まれる恐怖はいかばかりかと想像しながら表参道を10分ほど歩くと、右奥に観音堂の屋根が見えてきます。

 

 こぶし大の雹(ひょう)ですら身の危険を感じるのに、こんなものが空から降ってきたら一溜(ひとたま)りもないですよね。

 

 手水舎(てみずしゃ)。

 

 浅間山の伏流水でしょうか、御手水(おちょうず)の水はとても冷たくて気持ちいいです音譜

 

 赤い太鼓橋と樹々の緑、空の青さが目に沁みます。

 

 溶岩石の上に載っているように見える鐘楼(しょうろう)。

 

 行ってみると

 

 その鐘楼は雄大な浅間山を振り仰ぐように建っていて

 

 誰でも自由に撞くことができます。

 

 太鼓橋を渡ると

 

 浅間山観音堂の本堂です。

 

 堂前の“浅間地蔵尊”。

 

 浅間山観音堂の御本尊は本院寛永寺伝来の聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)で、厄除けや所願成就の御利益があるといわれています。

 

 大噴火による犠牲者の御供養のためとはいえ、東京上野の本院とはあまりにも離れているので勧請(かんじょう)の由来を調べると、一番被害の大きかった鎌原村(かんばらむら)にはもともと寛永寺の末寺の延命寺という寺があり、そのお寺も村とともに埋没してしまったので、時の寛永寺の御住職が罹災者の救済をお命じになり、そのご縁がつながったものだそうです。

 

 観音堂はとても見晴らしのよい場所にあり、

 

image

 廻廊には“見晴し台”もあるので、

 

 参拝のあとは

 

 360度のパノラマを楽しめます。

 

 そしてこの見晴し台は何といっても涼しいのが一番ビックリマーク。鬼押出し園は標高1300mくらいのところにあるので風はさわやか、汗をかいてもさらっとしていて下界の猛暑がうそのようです。

 

 そのまま“奥の院参道”へ。 

 

 鬼押出し園は以前にも家族で来たことがあるのですが、

 

 今回久しぶりに訪れて、緑がとても増えているように感じるのですが気のせいでしょうか。種が落ちこのまま緑が増え続けたら、もしかして何万年ののちには鬼押し出し園も富士の樹海のようになってしまうのかしらん…。

 

 そんなことを考えながら歩いていたら奥の院に到着。

 

 そこに祀られていたのは 

 

 真紅の火炎をまとった“炎観音(ほのおかんのん)”、個人の方の御寄進によるものだそうです。

 

 この先も奥の院参道が続くのですが、熊出没のため通行止めになっています。

 

 仕方がないので一度奥の院参道の入り口まで戻り、“高山植物観察コース”を下ることにします。

 

 こちらにも見晴台があります。

 

 おや、前方の岩は“ゴジラ岩”だそうです。そう言われればゴジラに見えなくもない…。

 

 こちらは“ゴリラ岩”。うん、たしかに…。こんなふうに奇岩に名前をつけた“おもしろ岩”があちこちにあり、それを探しながら歩くのも楽しそうです音譜

 

 高山植物観察コースにも“浅間観音堂天明大爆發横死者総霊塔祭文碑”と

 

 供養塔があありました。

 

 今はこんなに長閑(のどか)な景色ですが、浅間山は活火山であることを忘れてはいけないのですよね。

 

 一番距離の長い高山植物観察コースは

 

 その名のとおり遊歩道の両脇にさまざまな高山植物がみられます。

 

 こちらは“鬼の一刀岩”。足元には記念撮影用の木刀まで置かれています(笑)。

 

 「上州浅間嶽虚空蔵菩薩略縁起」によると、もともと浅間山には鬼が住むという伝説があり、浅間山の噴火はその鬼の行状によって引き起こされると信じられていたそうです。鬼押溶岩流も鬼の仕業ということで、誰ともなくこの場所を“鬼押出し”と呼ぶようになったのだとか。

 

 岩の隙間に根を張る“石割の松”。道中この松だけでなく、あちこちに松ぼっくりから落ちたと思われる松の種から発芽した苗木がたくさんありました。

 

 

 ヒカリゴケも。

 

 散策マップによると惣門から観音堂までの表参道が510m、今回は歩きませんでしたが裏参道が410m、観音堂から鬼の一刀岩を通る高山植物観察コースが700mだそうです。道はどこもきれいに舗装してありとても歩きやすいです。

 

 魔除けの鬼さんたち。

 

 お土産やさんの前にもいましたよ~。

 

 浅間山の大規模噴火は1000年に一度の周期で起こるといわれているそうです。天明の大噴火から今年で数えて243年。自然災害ばかりは予想どおりにいかないことは周知の事実です。浅間山に棲む鬼たちがどうか怒りをぶちまけませんよう、安寧を守ってくださいますよう祈るばかりです。

 

 浅間山観音堂の御朱印です。

 

音譜音譜音譜 yantaro 音譜音譜音譜