※参考:
『2011/05/23(月) 映画『ヒバクシャ 世界の終わりに』 <前篇>』
http://ameblo.jp/dawuyan/entry-11012783889.html

2011/05/23(月) 映画『ヒバクシャ 世界の終わりに』 <2>
http://ameblo.jp/dawuyan/entry-11015482908.html

2011/05/23(月) 映画『ヒバクシャ 世界の終わりに』 <3>
http://ameblo.jp/dawuyan/entry-11085191711.html

2011/05/23(月) 映画『ヒバクシャ 世界の終わりに』 <4>
http://ameblo.jp/dawuyan/entry-11107723250.html

2011/05/23(月) 映画『ヒバクシャ 世界の終わりに』 <5>
http://ameblo.jp/dawuyan/entry-11107954423.html

2011/05/23(月) 映画『ヒバクシャ 世界の終わりに』 <6>
http://ameblo.jp/dawuyan/entry-11109066731.html

2011/05/23(月) 映画『ヒバクシャ 世界の終わりに』 <7>
http://ameblo.jp/dawuyan/entry-11109082988.html

<<7>より承前>

ナレーション「語っても、語っても被曝者が抱えてきた低線量被曝の苦しみ、放射線の恐ろしさはなかなか人々に伝わりませんでした」

肥田先生「死と隣り合って、そしていつもそれに脅かされながらね、おずおずしながら生きてる。自信持って乗り越えていくってことができない。どうしていいかわかんない相手、というもんがあるんだというふうに、僕はたくさんの患者をみながら言葉のはしやその不安の中身として、そういう風に感じてきたの。それをね、上手にその分からせることができないの、他人に。
逆に何のためにね被爆体験を残しさ、そんな皆つらい思いをしてね、なぜそれをやらなきゃいけないのかという問題が改めてね、
あの出てくる、それはあのアメリカが、こうだよああだよ、こうなってる、ああなってるよっていう、第三者的にね説明するんじゃなしに、それがこんなにその自分達を人間を人間じゃなくするね、そういうものの中に追い込んでいくような、今その、今がそうなんだよということをね」

放射線被曝だけでなく、物事はその当事者・経験者以外にはどれだけ言葉を尽くしても伝わらないことが往々にしてあります。私自身さまざまなことで「どれだけ語っても第三者に伝わらず、歯がゆい思い、身を切られるような思い、心身を引きちぎられるような思い」を再三したことがあるので、肥田先生がおっしゃることはわかるような気がしました。


ナレーション「アメリカから帰った肥田先生はある調査に取りかかりました」
画面は、厚生労働省統計情報部に通い調べものをする肥田先生を映し出します。
ナレーション「何度も厚生労働省に通って乳ガンと乳幼児の死亡統計を取りました。戦後、およそ40年間の死亡統計を県別にグラフにする作業を始めました」
日本の全47都道府県の約40年間の死亡統計を取るとなれば、入手しなければならない情報量も少なくはありません。恣意的かつ個人的な調査データではなく、厚生労働省が保存しているデータを丹念に、根気よく収集し統計を取ろうと努めたのがうかがえます。

場面は青森県六ケ所村の風景に切り替わり、鎌仲監督のナレーションがかぶります。
ナレーション「本州の最北端六ヶ所村。いまここでは原発の燃料であるプルトニウムとウランを再び使えるように処理しようという計画が進んでいます。日本には53基の原発が動いています。そこから出てくる大量の核廃棄物をここ六ヶ所村で貯蔵し、リサイクルしようというのです。
再処理工場は2003年、7月から試験運転が始まります。この近辺にもう四基原発を造る計画もあります」

この場面が『2011/04/03(日) 映画『六ヶ所村ラプソディー』』で観た、次作『六ヶ所村ラプソディー』につながっていくわけですね。


鎌仲監督が肥田先生のお宅を訪ねると、パソコンに向かっている肥田先生が。
ナレーション「肥田先生は調査を続けていました。最初は原発を中心に円を描いてその中と外の差を見てみようという計画でしたが日本列島がくまなく覆われてしまい、比較ができません」
うげげ、日本列島全部覆われちゃうって......と思わずリアルに顔をしかめてしまう私。

肥田先生「これをまともなしかるべきところへ出してね、そういう結論を自分で決めようと思ってんだけども、青森、秋田、山形、岩手、これ東北です」
鎌仲監督「それは、何が増えている?乳児?」
肥田先生「乳ガンの死亡、乳ガンの方」
鎌仲監督「急に上がってますね」
肥田先生「これは、だれが素人が観たってちゃんとおかしいと思うよ、こういうふうにきたらね、そりゃ小さなでこぼこはあるよ。でもこんなのがね、しかも同じ場所に起こるのよ。こういうふうに、全部」
ナレーション「乳ガンの死亡率のグラフは1996年、突然急上昇していました」

画面には、肥田先生が丹念に手書きで作成したグラフが映ります。
ナレーションが言うとおり、乳ガンの死亡率を示すグラフは1996年に「複数の都道府県がまるで示し合わせて揃えでもしたかのように急上昇」を描いています。偶然とは思えない同期性同調性を示しています。

肥田先生「これを地図にするとね、北海道と東北と関東とここのこの辺が、非常に多いんだよね。その次には、この今度は桃色のこの辺が多くなって、黄色がそれからなくて、白は全く影響がないとこなんだ。こうやってみるとね、北海道はここにあるわけだから、こういうふうに影響がきてる訳だ。ね、こういう状態が日本のある一定の地域にがくんと起こるというのは、もう大気汚染しかない訳だ。水は、ここで飲んでるのと、こっちは違う訳だからね」

肥田先生が色分けして作成した日本地図が画面に映ったわずかな時間のあいだに、私は思わず自分が生まれた北海道と、10数年住んだ大阪と、自分が今住んでいる関東地方を必死で確かめてしまいました。(このとき一緒にこの作品を観賞していたかたは、本州中国地方のお生まれなので、やはり自分の故郷をつい確認してしまったとのこと。)私が生まれた北海道は、赤く塗られています。
私が北海道を離れたのは1993年の初春ですが、あのチェルノブイリ原発事故が起きた1986年、私は「日本の中ではロシアに近い」北海道にまだ住んでいたのです。
ということは私は............(汗)。
無知であることはもとより、「無関心であることの恐ろしさ」が心身に湧き上がってきます。

とても遠い場所での出来事に思えたチェルノブイリ事故でさえ、私にはどうやら無縁ではなかったということでしょう...........。

<さらにまだ続く>



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