「モナ・リザ」のモデルはフィレンツェの絹商人の妻「リザ・デル・ジョコンド」ということで既に決着しているが、チームの代表者は、高解像度でモナリザを複写した結果、小さな文字でモナリザの左右それぞれの目の中にLとSの字が書かれており、「Lはレオナルド、Sはサライ」を意味すると主張しているらしい。
また、同時期の作品でサライをモデルにしたと言われる「洗礼者聖ヨハネ(St. John the Baptist)」などいくつかの作品のモデルと顔の特徴を比べると、モナリザの鼻や口と驚くほど似ているという。
ルーヴル美術館はこの説を否定しているが、実際に比べてみよう。
まず、こちらがサライの横顔を描いたされる「向かい合う老人と青年の横顔の習作」。
右側の青年がサライで、レオナルドは何枚かのサライの横顔と思われる素描を描いている。

向かい合う老人と青年の横顔の習作
1500~1505年頃の作品
フィレンツェ、ウフィッツィ美術館所蔵
そして、やはりサライをモデルに描いたとされる「洗礼者ヨハネ」。
レオナルドは洗礼者ヨハネを中性的な美少年として描いており、確かに鼻の形や口元等、上記の人物に似ている。

洗礼者ヨハネ
1513~1516年頃?の作品
パリ、ルーヴル美術館所蔵
では、「モナ・リザ」はどうだろうか?
クローズアップで見てみよう。

モナ・リザ(ラ・ジョコンダ)
1503~1516年頃?の作品
パリ、ルーヴル美術館所蔵
似ていると言われればそんな気もするが、こちらは女性の口元のように思われる。目元は別人だ。
どちらの絵もアンボワーズのクルーの館(クロ・リュセ館)でレオナルドが死ぬまで手を入れ続けた作品であり、この館にあったことが記録されている。
晩年のレオナルドが長い時間をかけて手を入れ続けた結果、肖像画から次第にレオナルドの理想的なイメージを描いた作品へと変容していったのかも知れない。どちらの作品もひとつの理想へと近づいていったとすれば、だんだん似てくるということもあるのでは?と思う。
サライ(ジャン・ジャコモ・カプロッティ)は1490年、10歳の時にレオナルドに弟子入りして以来、レオナルドと生涯共に暮らしている。レオナルドが亡くなった時、サライは39歳になっていた。
弟子の中でもサライを溺愛したというレオナルドにとって、サライの存在とはどのようなものだったのだろうか?
ちなみにアトランティコ手稿fol.133vには、幼い頃のサライが描いたと思われる落書きが残っている。