こんにちは、デイヴです![]()
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2020年3月半ばに脳出血を発症。
左片麻痺の後遺症があるも、リハビリに勤しみながら
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好きな鉄道ネタを気ままに綴っています![]()
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今年(2024年)は、新幹線(東海道新幹線)が開業して60年。
アラカンとなった新幹線にまつわる話を備忘録的に綴る【アラカン新幹線】。
10月28日以来、更新が途絶えていましたが、今日はさらに続編。
1992年、JR東海の300系車両を使用した『のぞみ』がデビュー、
東京−大阪間を2時間半で結ぶという驚異的なスピードアップを果たして5年。
1997年に、JR西日本から満を持してデビューしたのが
500系車両です。
東海道新幹線が1950年代の設計であるがゆえ急曲線が多く、
300系の最高速度は270km/hで頭打ちでしたが、
山陽新幹線は線形が良いことから、
350km/hを目指して開発が進められ、
あらゆる新技術を盛り込んで開発されました。
カワウソをモチーフにした前衛的な先頭部デザイン、
防音効果を期して、フクロウの羽の構造からヒントを得た
パンタグラフ。
自然界の生き物の生態を範にした新技術は
当時、大きな話題となりました。
技術的には350km/h走行は可能だったものの、
経済的な事情で最高スピードは300km/hにダウンしました。
とはいえ、新大阪−博多間の最短所要時間2時間17分は
革命的なスピード。
1997年3月に『のぞみ』として走り始めると、
電車好きのちびっ子たちの嬌声に迎えられました。
500系車両はさらに増備され、
同年11月からは東海道新幹線にも進出。
東京−博多間『のぞみ』として走り始めます。
僕は1997年12月に東京出張した折、
復路で500系『のぞみ』に初乗車しました。
東京駅を朝6時に発つ『のぞみ1号』に乗るため、
早朝5時ごろ、山手線に揺られて東京駅へ。
発車10分前にドアが開き、車内に入ると、
思ったよりも「狭いな」という印象。
高速域をスムーズに走るため、車体断面が真円に近く、
窓際席は内壁が張り出す感じで、やや圧迫感を
感じました。
ドアも円形フォルムを保つために内側に湾曲していて、
「乗り降りするときに頭を打つんじゃないか?」
と心配になるほど。
先頭の1号車と最後尾の16号車は、先鋭化された流線形ボディに邪魔され
ドアが省略されていて、駅に着くたびに
「先頭車の前と最後尾車の後ろに扉は無い」旨の
車内放送がくどいほど流れていました。
とはいえ、JR西日本のラグジュアリーなインテリアデザインは、
窮屈な車内と思わせない贅沢な雰囲気が醸されて、
新鮮な気分で新大阪駅のホームに降り立ったのを覚えています。
1998年春に家族同伴で関東に移住後、翌年の夏に
大阪に帰省した足で友人一家を訪ねて熊本に列車遠征しました。
その際に、新大阪7時発博多行きの500系『のぞみ503号』に乗車。
山陽新幹線区間なので、最高300km/hで走り抜けます。
眠い目をこすりながら、実家最寄り駅から家族とともに始発電車に乗り、
6時半ごろに新大阪駅に到着。
夏休み期間中で、ホームは旅行や帰省客でごった返していました。
時刻通りに500系電車が入線し、定時に発車。
山陽路を飛ぶように最高300km/hで西下。
2時間17分後の9:17には博多駅のホームに立っていました。
熊本からの帰路は、このころにデビューした
JR東海・西日本共同開発による
700系車両の『のぞみ』で新大阪まで乗車。
500系より劣る最高285km/hでしたが、スピード差は感じることもなく、
2時間30分後には大阪の地を踏んでいました。
500系車両に乗ったのはこのときが最後。
スピード重視で設計されたことで
全車両にモーターが搭載されて重くなり、
軌道のメンテナンスの手間が増えたようです。
さらに、編成端の扉が無いことや、
号車によって座席数が異なるなど、
運用に制約が出ることから
すっかりJR東海に嫌われてしまいました。
その後は700系車両が幅を利かせ、
N700系がデビューすると、
後を追われるように500系は東海道新幹線から撤退。
8両編成に縮小されて主にJR西日本管内の『こだま』として運用。
『エヴァンゲリオン』や『キティ』などのキャラクターとタイアップし
ラッピングされて一時は増客に貢献したものの
先ごろ2027年に完全引退のリリースが発表されました。
今やN700AやN700Sの天下となった東海道・山陽新幹線。
今世紀初頭に新幹線の話題をさらった500系車両も
もはや「昔語り」になろうとしています。
