1970年代の国道に普通にあった“まさかの”区間 | アラカンのリハビリライフ☆五体満足を目指して

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2020年に脳出血で左片麻痺に。自主リハビリを続け、回復への道のりや旬の話題、趣味について発信していきます。

 

こんにちは、デイヴですニコニコ

ご訪問ありがとうございます<(_ _)>

2020年3月半ばに脳出血を発症。

左片麻痺の後遺症があるも、リハビリに勤しみながら

五体満足の身体に戻すべく奮闘中💪

 

日々の暮らしの中で起きた小さな出来事や

半年間の入院中のエピソード、

自分の歩んできた半生、

好きな鉄道ネタを気ままに綴っています照れ

よろしくお願いしますおねがい

写真はネットからお借りしていますm(__)m

「地図は“読み物”です」

なにっ⁉︎

「カレーは“飲み物”」みたいに言ってんじゃねーよっ

って突っ込まれそうですが、

『地図大好き人間』のデイヴにとって、

確かに地図は「読み物」なんですよね。

目の前にパッと広げると、

道路や鉄道の線路がまず目に入る。

道路もいろんな色が塗られていて、

赤🟥なら国道、緑🟢なら都道府県道(主要地方道)、

紫🟣や青色🟦なら高速道路や有料道路、

という見分け方も熟知。


次いで「◯◯市」や「◯◯町」といった自治体名、

鉄道駅の名前、道路沿いの街区名や字名、

交差点の名称などが印字されています。

海岸線沿いなら景勝地や港の名前、山の中なら

山の名称にトンネルの記号に等高線、

その他いろんな地図記号が散りばめられ、

行ったこともないのに、

なんとなくその場所の情景が頭に浮かぶ。


この妄想たくましくなるワークは、

小学校低学年の頃からやっていました。


その頃は、父の実家の里帰りに

車で往復するのが常でしたから、

道路地図を広げ、

大阪から北近畿までのルートを追って、

沿線のランドマークを常にチェック。


そういうこともあって無類の地理好き。

さらには土地ごとの歴史にも詳しくなる、

というオプションまで備わりました。

1970年代初頭、すなわち昭和40年代の中頃は

高度経済成長の真っ只中で、道路整備も進みつつあり、

大阪圏の都市高速、阪神高速道路も

新路線が続々と完成していました。

国道も整備が進みつつあったわけですが、

地図を見ると、たまーに

「ンッ⁉︎」

という場面が出てきます。

たとえば下に掲げた1970年代初頭の北海道の道路地図⬇️

真ん中の少し上に「深川市」と自治体名があって、

深川市の南縁を突っ切る国道12号から国道233号が分岐します。

それで、函館本線の線路を越えたところからしばらく、

薄赤になっている区間がありますね。

全国の道路地図でも、赤線の国道が薄赤になっている区間が

しばしばありましたし、緑色の主要地方道に至っては、

至るところが薄緑になっている😅


この薄い色にはどんな意味があるかというと……

⬇️

⬇️

⬇️



そう。ダートな道!

薄い色の区間は「未舗装の区間」を表していたのです。


道路がだんだん良くなってきていた時代でしたけど、

「とりあえず開通させちゃえ」

と言わんばかりに

新しい道路を作ることが優先され、

道路工事予算が満額に振り向けられなかったんでしょう。

まだまだ舗装が追いつかなかったんですね。


このころは、都会の路地裏や田園地帯の農業用道路も

未舗装のところが本当に多かったです。


今や田んぼのあぜ道でさえ舗装されている

令和の時代からは到底考えられない風景でした。