こんにちは、デイヴです。
昨日までの、「病気になったメリットを考えてみる」のスピンオフ投稿です。
脳出血発症時、緊迫した経過はこちら⬇️
上の投稿のように、悪夢のコロナ禍のとば口に立った
2020年3月半ばのできごとで、
横浜港に近づいていた豪華客船『ダイヤモンド・プリンセス』号の
集団感染騒ぎがまだ冷めやらぬ頃でした。
今となってはなんだか懐かしいですね。
もとい。
で、発症時はPC操作中のことで、
神経繊維が切断され突然左手がキーボード上にドサっと落ち、
左片麻痺の洗礼を受けたわけですが、
未だに左手はほぼ動きません。
突然のできごと、しかも身体いうことをきかない。
この世に生を受けて以来の緊急事態🆘
常人ならあまりの状況に
パニックに陥り、半狂乱になっても
不思議ではありません。
なのに。
その瞬間、なぜか冷静なデイヴがいました。
腕を持ち上げようとしても持ち上がらない。
持ち上げ方を一瞬にして忘却した。
そんな悲痛で悲惨な状況なのに、
不思議なことに、
ホッとした、というか、
妙な開放感に包まれたのです。
そのときの感覚を画像化すると、
上写真のようなイメージ。
手術後も入院中も、
退院してからも、
なぜにあの瞬間、
そんな開放感に包まれたのか、
わかりませんでした。
でも今となってはハッキリしています。
そこで昨日の投稿です⬇️
メリットがあるから潜在意識は、
この身体に脳出血という病気を緊急発動した。
「そうでもしなきゃ、このデイヴは頑張り続けて
身体をどんどん痛めつけるぞ!」
と叫んだのかどうなのかは知りませんが、
ともかく脳疾患を発症させて、すべてをストップさせたのです。
その瞬間、顕在意識下では
動かない左半身に呆然としたのですが、
同時に、
「あー、これで頑張らなくて良いんだ。
なにもしなくても良いんだ。
それが許されるんだ…」
今となっては
潜在意識からの安堵の声が聴こえたような感覚があるんです。
メンターから解説された、
「無意識下で無理を重ねていくうち、
物理的な破滅を回避した」
ことが、
妙な安堵感に繋がっているんじゃないか。
今はそのことを強く思っています。