『Ray Of Hope』音楽が必要になったら達郎がそばにいる。(2011.9.13記) | リーンのガラパゴスサロン~趣味や娯楽の広場

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 同時多発テロは結局人種差別を生んだ。米国が結果的にイスラム社会を敵に回し、敵を作ることによって自国の安定を図ろうとした。太平洋戦争時、米国に住み市民権を得ながらも迫害と排斥にあった日系人のことを想起する。自由と平等を求め人工的に作り出した国家には、どうしても敵対する存在が必要だ。

 しかし、日本で3月に起きた出来事は、自然発生的に人が住み着き、八百万の神に守られてきた国にふさわしい災厄といえるものだった。地上を不気味に揺らす振動、海から押し寄せる潮の濁流、そして気がつかないうちに体を蝕むかもしれない放射線という名の恐怖、誰を恨んでいいのかわからない、やり場のない苦しみと怒りがこの国を覆った。

 私は、3月11日の揺れを信州の片田舎で感じ、翌12日の明け方、栄村の地震を、睡眠を破られる形で経験した。そして12日、13日の二日間は呆けたようにテレビで被災地の状況をただただ見るばかりだった。当然、公共放送はすべて震災特番ともいうべき災害報道に切り替わった。山下達郎が唯一電波を通じて世間とつながっているラジオ放送『Sunday Song Book』も休止した。


 そして、誰も音楽などまともに聴けない日々が始まった。


 達郎の母親は仙台出身、また東北にもファンが多いだけにこの震災が起きたとき、きっといろいろなことを考えただろう。


 音楽に限らず、あらゆる文化は平和でなくしては成立しません。私が今の商売をノホホンとやっていられるのも、革命とか、何か大きな社会状況の変化があるまでのことと常々思ってやって来ましたので、その点の覚悟はできていますが、いよいよ来るものが来たというのが実感です。


                    (『Ray of Hope』スペシャルサイトより)


 心中のすべてを推し量ることはできないが、アルバム発売時にアップされた文章を拝見しても、穏やかならぬ思いをめぐらせていた事は想像に難くない。そして翌週の3月20日、達郎のラジオ番組が2週間ぶりにオンエアされた。この日の放送分が、達郎が名付けた“東日本大震災鎮魂プログラム”とよばれるものです。この日はスポンサーの御好意によりCM提供はいっさいなし、達郎の曲が4曲、奥様・竹内まりやの『人生の扉』や,

その他えりすぐられた洋楽を加え計10曲が切々と流されました。



 『Sunday Song Book』 2011.3.20 “東日本大震災鎮魂プログラム”



 1、希望という名の光/山下達郎

 2、Close To You/Frank Sinatra

 3、ずっと一緒さ/山下達郎

 4、Caravan Of Love/The Housemartins

 5、Marvelous/Walter Hawkins

 6、Let Me Be The One/Paul Williams

 7、Though You Are Far Away/Colin BLunstone

 8、人生の扉/竹内まりや

 9、Close Your Eyes/山下達郎

10、蒼氓/山下達郎




 この選曲、洋楽はフランク・シナトラ以外、私にはさっぱりわかりません。しかし、この番組を大風が吹く不穏な中でイヤホンをつけて聞いていましたが、耳の中だけが安らかで静かな気分になったものです。『上を向いて歩こう』や『負けないで』を聞ける気分ではないけれど、達郎の曲と選曲なら聞けるというマニアックなファンのために、洋楽マニアの教祖が考え抜いた構成でした。音楽を聴けない、耳に入れたくない人の心にもどこかでつながっていたい、そんな哀切感も感じる番組だった。音楽はこんな大災害では役にはたたない。しかし、歌の力を信じていたい。30年以上のキャリアを誇る山下達郎が音楽にすがりつくようにして製作したのがこのプログラムと思えてなりません。


 そして、震災から5ヵ月後の8月10日、達郎にとって6年ぶりのオリジナルアルバム『Ray Of Hope』が発売されました。題名は「希望という名の光」からとられています。これは昨年『Woo Hoo』というタイトルで発売される予定でした。閉塞した社会状況を笑い飛ばすような、楽器で人の笑顔を表紙にして世に出る予定だったそうです。しかし諸事情により延期され、そこへ大震災が追い討ちをかけ、傷ついた人々に寄り添って癒しを与える内容に変わりました。表紙のデザインも手のひらに変わり、人と人とのつながりを意識させるものに変わりました。発売されてほぼ1ヶ月ずっと聞いて来ましたが、ある感想が湧いてきました。


 『Ray Of Hope』は、一般向けに練られた“東日本大震災鎮魂プログラム”ではないか。


 ラジオ番組のプログラムはあまりに一般受けからは遠い。だが『Ray Of Hope』ならば一般の方にも聴いていただける味わいになっている。そして、音楽を聴くことの静かな喜びも思い出させてくれる。仮設住宅に入り、ひとまずの安住を得て音楽をやっと生活の一部として取り戻した人にすんなり耳にしてもらえるはずだ。


 山下達郎は1976年にソロデビューして以来、世間と音楽業界の嗜好に意図的に敵対するかのような活動をしてきた。ロックにしてはメロディーが滑らか。フォークのようにギター一本の弾き語りでは演奏できない。洋楽の影響といっても、ビートルズは相手にしない。テレビに出演しない。ドーム、武道館、アリーナでコンサートをしない。ガラパゴス島でひとり音楽の進化を勝手に遂げてきたかのように、他の誰とも似ていない。けれど、その潤いある大きな声を聞けばすぐに誰の音楽かたちどころに判別できる。

 1980年代に入りウォークマンで音楽を屋外でも気軽に聞く時代に「夏だ、海だ、タツローだ」とキャッチコピーがついた。どこか重苦しい思想とは無縁の明るさがつきまとう。しかし2000年代、不況の影響が日本を覆うと、本人の加齢もあいまって音楽の傾向がより個人的な琴線に触れるようなものにシフトしていく。2001年の同時多発テロ事件の際の“癒し”発言にもあるように、音のつくりがより落ち着いたものに変わってきた。彼のファン層である40代以上の人に聞いてもらえるような味わいの曲が増えた。


 私はこのブログを、最初はテレビドラマの批評をメインにしていました。しかし3月11日以後、めっきりドラマを見なくなりました。どうしても“つくりもの”めいたものは見たくない。フィクションなど今は意味がない、とまで思ってしまった。今回のアルバムに収録されている「愛してるって言えなくたって」が主題歌に起用された『冬のサクラ』の最終回を録画したのもかかわらず見る気にもなれなかった。そこから、このブログの方向性が震災向けの記事を書くことに変わりました。今は現実を直視してこそ意味がある。というより、同胞に起きた出来事について考えることしかできなかった。ドラマやバラエティが見せる虚構の輝きを見る気にはなれなかった。 

 でも、自分のことはちっぽけなこと。地震や津波で目に見える形で培った歴史そのものを奪われた人がいる。放射線という見えない恐怖で住む土地を追われた人がいる。そして今また台風12号の災難に遭われた人も。罪の意識がないのに、地球のご機嫌ひとつで魂を召される事態、今も瓦礫が撤去できない変わり果てた土地。そこにはポップなメロディーが流れるようなありふれた現実は存在しない。そこに生きているのは、失われた現実と向き合うことを余儀なくされた人だけだ。


 ここ2シーズンのツアーでは、ステージの最後に“お互いに頑張って生きていきましょう”ってさ。昔はまず言わなかったセリフなんだけど、そういうメッセージを言わざるを得ないくらいの時代だからね。そこに来て、今回の地震でしょ?何を作るかすごく問われることになる。こういうときはネガティヴなもの作っちゃいけないんですよ。


                         (ミュージックマガジン9月号より)


 頑張って生きていきましょうと問いかけた先にいる市井の人、生きていくことで精一杯の人、そんな人がふと音楽を欲したときに聞くもの、その音楽のテーマが“癒し”だった。それは“9.11”からずっと感じていたもの、最近になって付け焼刃的に思いついたひ弱なものじゃない。それは、ドラマ批評をかけなくなった、つくりものを楽しむことをほったらかした私にも強いメッセージとして響いてくる。


 15分前までメシ食ってた人がコンサート会場に来て、終わって9時何分になったらそこから帰ってなに食おうかみたいな。すべて生活の1コマなんですよ。ライブだけでなく、CDを聴く50分なり60分もそういうものであって。その人の人生の中の、連続している時間の中の切り取られた一瞬にすぎないわけで。


                         (ミュージックマガジン9月号より)


 デビューして30数年、ずっと日常の中にほんの少しだけ聞かれることを願って、山下達郎は音楽を作ってきた。それが震災という非日常がもたらす中にあっても、なお彼の音楽が確かに聴かれるだけの内容であることを『Ray Of Hope』は示している。時代が変わっても、達郎の音楽はNever Grow Old(決して古びたりはしない)なのだ。