真の国益を実現するブログ -32ページ目

真の国益を実現するブログ

真の国益を実現するため、外交・国防・憲法・経済・歴史観など
あらゆる面から安倍内閣の政策を厳しく評価し、独自の見解を述べていきます。

次のブログが目に留まりました。
『日本は次世代へのツケ回し大国だ。』
よくある言説なので、いちいち反応するのもどうかと思ったのですが、個人的なブログとはいえ、政令市である神戸市の久元市長のブログでもあり、影響力も大きいことから、思うところを書いておきます。久元市長個人を批判するのではなく、あくまでこのブログのような言説が持つ誤解、「財政赤字=悪」といった考えを批判しようと思います
なお、久元神戸市長は、某近隣政令市の首長とは異なり、市民のため一所懸命に市政運営に取り組んでおられる立派な方です。また総務省出身の元官僚でもあることから、政策通でもあります。

財政赤字問題を考える上で最も大事なことは、何度も書いてますが、経済活動を円滑に進めていく上では「政府赤字=悪」ではなく、政府赤字はむしろ必要不可欠なんだと。しつこいようですが、経済学にはスリー・バランス・アプローチというのがあります。
( G(政府支出) - T(税収 ) + (I(投資) - S(貯蓄)) + (X(輸出) - N(輸入)) = 0
簡単に説明したいので、最後の海外部門(X-N)は均衡していると仮定すると、GーT=S-Iになります。
左側は政府部門の赤字、右側は民間部門の黒字です。つまり、政府部門の赤字を減らすためには、民間部門の黒字を減らすことが必要条件になってしまいます。これはフローの式ですが、ストックでも成り立ちます。
これも何度か書いてますが、政府の財政黒字化(あるいは赤字縮小化)は、民間部門の黒字減(赤字化)ですので、たいていその後の景気後退、さらには経済危機を伴っています。
また、先の金融危機を予測したハイマン・ミンスキーなぞは、政府赤字は利潤を高め、民間ポートフォリオへ安全な政府債務を追加するとし、政府赤字は問題ないとしています。(逆に言うと、民間赤字の拡大は危険であると)

次に次世代のツケ回しが、全くもって誤解である旨説明します。
次の研究を読めば分かるように、国債の償還には税金はほとんど使われていません。
https://www.slideshare.net/kenjikatsuragi1/ss-76229851
表面的には、国家予算一般会計の歳出項目「国債費」として、償還金が組まれており、特別会計である「国債整理基金」に積み立てられています。しかしながら、実際の償還資金の大部分は、借換債を日銀引受で発行し、それで調達しています(日銀の借換債直接引受は禁止されていません)。つまり、わが国の国債は返済されたことがないのです。満期を迎えた国債は償還されているのですが、その償還原資は借換債の発行なのです。だから、当然ながら国債残高は減少しません。

さらに言うと、償還されたとしても、次世代へのツケ回しにはなりません。誰が、いったい誰に返すのでしょうか。次世代が現代世代に対して返済できるの?
次世代の中の誰かが、次世代の中の誰かに返済するしかないのでは、と思うのですが。。。
それに累積財政赤字が増えたからといって、次世代の生産力が低下するのでしょうか?あり得ません。逆に、政府支出を控え、十分なインフラ整備や教育投資等を怠る方が、はるかに次世代へのツケ回しになります。

なお、地方自治体には通貨主権はありませんので、地方政府の赤字は問題ないとの主張は成り立ちませんが、中央政府が赤字の増加を恐れずに、十分な地方交付税を予算措置すれば済む話です。(地方自治体の首長であるならば、政府赤字の心配なぞせずに、地方交付税の増額を要望すべきです。

次のようなネット記事がありました。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57708?page=4
人々が誤った思い込みにはまるのは、必ずしも理解力や知識の不足が原因ではない。陰謀論レベルの話ならともかく、ある程度込み入った問題になると、教育水準の高い人々でも間違った言説を選んでしまう恐れがある。
科学知識が豊富な人ほど賛否どちらかの強い意見をもっていることがわかったという。科学知識の力を借りて自分の先入観を強めてしまうらしい。
また、『表現者クライテリオン』9月号に次のような論稿がありました。
京都大学大学院川端助教授の「愚鈍さに秘められた知慧」から、
頭脳明晰な人たちは、時として物事の全体像を捉えずに一部の情報に注意を集中する場合があって、そうすることで一種の鋭い分析や発見が可能になっている。その思考法は様々な問題の解決を可能にするのだが、一方で、人間社会で起きる現象というものは多くの要素が複雑に絡み合っていて、一見無駄であるように思える人々の行動や発言をも考慮に入れた上で、全体の文脈を読み取らなければならない場面は多い。
頭のキレる人たちというのは、無駄な情報を排除して重要な問題の解決に集中し、現象の背後にある法則を常に探していて、そのおかげで大半の凡庸な人々よりも鋭く素早い分析を行ことができるのである。しかしその思考法には落とし穴もあることを忘れてはならない。物事の全体像を見落としたり、法則を追い求めるあまり偏見に基づく判断を下したりしているかも知れないからだ。

少なくとも、財政赤字に関する正確な理解という点においては、知能指数はあまり関係ないようです。経済学者と言われる人たちに関しても、特に財政や日銀の金融調節の仕組みについては、おそらく大半が無知だと思います。

とにもかくにも、影響力が多大な政治家やテレビ等に出演する論客には、正しい理解の上で言論を展開して欲しいものです。

最後に断っておきますが、筆者は政府赤字を拡大さえすれば、必ずしも経済環境が好転するとは考えていません。
特に、現在の我が国においては、民間企業部門は大きな黒字ですが、投資については海外投資が、そして株主への配当が激増し、労働者への賃金に回らない状態が続いています。したがって、これらの原因となっているグローバリズムと株主資本主義に一定制約を課すことが先決だと思います。


ブログでわが国の危機を訴えたいなら、行き過ぎたグローバリズムと株主資本主義を批判すべきです。


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https://www.gentosha.co.jp/book/b11691.html
中野剛志氏の最新の著作になるのでしょうか。本年5月に幻冬舎から出版されています。新書ではありますが、300ページほどもあり、『富国と強兵』に勝るとも劣らず読み応え十分な著作であります。

オズヴァルト・シュペングラーの大著『西洋の没落』を予言書と規定し、その解釈を通じて、現在の世界の諸事象やわが国の現状を分析し、彼の予言が如何様に反映されているかを検証されています。

社会や国家全体を見据えるビジョンを持つための一助になること間違いない著作だと思いますので、是非購入してお読みくださいね。

終章の「日本の運命」より、シュペングラーの著作の引用から二つほど紹介しておきます。

「大難が人間にふりかかる時、彼のうちなる強健の程度が判明する。運命が民族を押しつぶす時、民族は、その心の偉大さや凡庸性を露呈する。最大の危険こそ、国民の歴史的品位に関するいかなる謬見ももはや許さざるものである。

「われわれは、この時代に生まれたのであり、そしてわれわれに定められているこの終局への道を勇敢に歩まなければならない。これ以外に道はない。希望がなくても、救いがなくても、絶望的な持ち場で頑張り通すのが義務なのだ。



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いつも参考にさせていただいております、「批判的頭脳」様のリブログです。
今回のタイトルは「「国家衰退」と「経済停滞」の必然的並行」、当たり前と言えば当たり前のことではあるのですが、一方で小さな政府の方が経済発展に資するといったような新自由主義的な経済理論が跋扈している我が国であります。全世界から見ると、「小さな政府論」は周回遅れの経済学になっているのですが。。。

(抜粋)
さて、現代日本の知的惨状の帰結として、よく知られているように、公共事業削減をはじめとした、「小さな政府」志向の政策が次々と打たれる様になった。
財政支出の伸びは、拙記事「現代日本経済の時系列分析」で指摘した通り、1990年代以降、ほぼ横ばいとなってしまった。
こうした事態について、「不況による財政赤字拡大に対する赤字フォビアの”結果”なのであり、赤字フォビアを取り除けば自然と公共政策は拡充されるはず」という考えもある。その考えは一部は認めるものの、実際には違う側面もあるだろうと私は考えている。
もし仮に、ある公共目的に対して、挙国一致で団結して取り組めるのであれば、仮に財政赤字が額面上大きくなったとしても、財政支出を実行可能であるはずだ。(言うまでもないかもしれないが、戦争が例に挙がる)
そうならないのは、そもそも「ある公共目的に対して団結して取り組む」ということ自体が、現代日本において、不可能になりつつあるからではないだろうか。


豪雨による風水害、震災による大災害が続いています。地震の活動期に入った日本、そして地球温暖化の進展により、今後自然災害との戦いがより一層熾烈になるのは必至です。(さらに言うと、大きな経済ショックもそろそろだと思っています。)
そのような中、小さな政府で乗り切れるはずがありません。既に、国土の末端である北海道や沖縄等過疎地は、構造改革による公の縮小と相俟って、衰退どころか滅びの一途をたどっています。ここ数か月間の大災害で、この衰退はより一層加速するでしょう。ひいては、このまま国民の団結がなければ国家全体の滅亡も、間近といっても過言ではないと思います。
もちろん、団結の方向は、公務員批判等の裏腹で民営化を称揚するのではなく、財政赤字を恐れず国土強靭化等インフラ整備を中心とした公共事業に邁進し、過度なグローバリズムや株主資本主義に抗する政治家を選び、国民生活を第一に据えたエリート官僚・公務員を称え、自らも公共に関与することです。

故西部邁氏は、生前に『ファシストたらんとした者(中央公論新社)』を著していました。
ファシストとはイタリア語で、英語ではファッシストになります。その元の意味は「結束者」とか「団結者」です。ファッシストからはナチスが連想されるため、誤解を受けやすい言葉ではありますが、上記著作内(P274)にあるように、本来の意味でのナチ・ファッショとは、「活力・公正・節度・良識」を与えられた状況のなかで具現するための「国民社会の統合」のことにほかならないのです。

「批判的頭脳」様のブログでは次のようにあります。
国家とは団結の形態であり、国力とは団結の力に他ならない。もし庶民生活を社会的な団結の力で改善しようとするならば、それは実質的に国家・国策という形を取らざるを得ないわけである。

西部邁氏も述べていたように、実際のイタリア・ファシスタにはゴロツキと呼ばれる手合いがたくさんいたことは事実ですが、滅亡を回避するには、ファッショ(国民社会の統合)あるいはナショナリズム(国民主義)が不可欠だと考えます。




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