谷崎潤一郎『陰翳礼讃』から | 真の国益を実現するブログ

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新年、明けましておめどうとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。

今さらではありますが、新年を迎え、谷崎潤一郎の代表的評論作品である『陰翳礼讃』をざっと読んでみました。

当然とはいえ、大作家の感性の鋭さに感銘を受けました。日本人の芸術的な感性について、時には白人の感性と比較しながら、巧みに論じています。
ちなみに、昭和8年の作品です。

印象深いところを数ヶ所抜粋しておきます。

「紙というものは志那人の発明であると聞くが、われわれは西洋紙に対すると、単なる実用品という以外に何の感じも起こらないけれども、唐紙や和紙の肌理を見ると、そこに一種の温かみを感じ、心が落ち着くようになる。同じ白いものでも、西洋紙の白さと奉書や白唐紙の白さとは違う。西洋紙の肌は光線を撥ね返すような趣があるが、奉書や白唐紙の肌は、柔らかい初雪の面のように、ふっくらと光線を中へ吸い取る。そうして手ざわりやがしなやかであり、折っても畳んでも音を立てない。それは木の葉に触れているのと同じように物静かで、しっとりとしている。ぜんたいわれわれは、ピカピカ光るものを見ると心が落ち着かないのである。

われわれの空想には漆黒の闇があるが、彼等は幽霊をさえガラスのように明るくする。その他日用品のあらゆる工芸品において、われわれの好む色が闇の堆積したものなら、彼等の好むのは太陽光線の重なり合った色である。銀器や銅器でも、われらは錆の生ずるのを愛するが。彼等はそういうものを不潔であり非衛生的であるとして、ピカピカに研ぎ立てる。」

これは、本当そう思いますね。神戸ルミナリエや大阪の御堂筋ライトアップ等、筆者には、さっぱり何が良いのか分かりません。趣味が悪いとまで感じてしまいます。

肌の色に対する感覚の違いについても論じています。
「今日ではどうか知らないが、昔黒人に対する迫害が最も激しかった南北戦争の時代には、彼等の憎しみと蔑みは単に黒人のみならず、黒人と白人との混血児、混血児同士の混血児、混血児と白人との混血児等々まで及んだと云う。彼等は二分の一、四分の一混血児、八分の一、十六分の一、三十二分の一混血児という風に、僅かな黒人の血の痕跡を何処までも追及して迫害しなければ巳まなかった。一見純粋の白人と異なるところのない。二代も三代も前の先祖に一人の黒人を有するに過ぎない混血児に対しても、彼等の執拗な眼は、ほんの少しばかりの色素がその真っ白な肌の中に潜んでいるのを見逃さなかった。

「先年、武林夢想庵がパリから帰って来ての話に、欧州の都市に比べると東京や大阪の夜は格段に明るい。パリなどではシャンゼリゼの真ん中でもランプを燈す家があるのに、日本ではよほど辺鄙な山奥へでも行かなければそんな家は一軒もない。恐らく世界中で電燈を贅沢に使っている国は、アメリカと日本であろう。日本は何でもアメリカの真似をしたがる国だということであった。」

当時から、アメリカさま様、アメリカ追従だったのでしょうかね。


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