商家だった、あっしの祖母の家には、ミレーの『晩鐘』や『落ち穂拾い』の複製画(※ たぶん、ポスターか何か)が額に入れて飾ってありました。それもあって、あっしはガキの頃からミレーの絵が好きでしたが、その『落ち穂拾い』の意味を知ったは比較的最近のことであります。
『落ち穂拾い』
当初は、もったいないということから、このように落ちた穂を拾っていたのだろう、なんて思っておりましたが、実はこれ旧約聖書の中でも説かれている神の説いたことであったのですねえ。
旧約聖書は『レビ記』の第19章9~10節には、神の言葉として、こんなふうに書いてあります。
あなたがたの地の実のりを刈り入れるときは、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない
また、あなたの刈り入れの落ち穂を拾ってはならない
(途中略)
貧しい者と寄留者とのために、これを残しておかなければならない
なお、「寄留者」とは故郷に帰る日を待ちわびながら旅をしている人々(ユダヤ人)だとされます。
慈悲深い神様であります。
単純なあっしなんぞは、これを読んで思わず「クリスチャンになってもいいな」なんて思ったりもします。(3秒ぐらいですけど・・・)
もっと言いますと、旧約聖書はそもそもユダヤ教の聖典(聖書)ですから、正確には「ユダヤ教徒になってもいいな」でしょう。
して、さすがは聖書、いいことが書いてあるなーと思っておりましたら、実はこれと似たような話が日本にもあったのであります。
日本全国を旅して回り、一般民衆のささやかな生活の記録をして世に問うた民俗学者宮本常一の『女の民俗誌』(岩波書店)の中の「貧女のために」の中には、こんな話があります。
青森県は本州の一番北の端にある下北半島の尻屋岬は昆布の繁殖地では、皆で採ったこの昆布は平等に分けるのだとか。一緒に行くことのできない学校の先生や寺の坊さんにも同じように分けてあげるのだそうです。
採れた昆布を海岸で干す
実は、同じような話は、遠いアフリカの狩猟民にもあったことを思い出しました。
狩りは男たちが行うものですが、中には名人ともされる巧みな技術や知識をもった男もおりまして、「オレ様がいてこそ狩りは上手くいったんだから、オレ様がいちばん旨い部分をもらうぞ」なんてこともなく、獲った獲物の肉は狩りの上手い下手に関係なく、さらには狩りに行けない病人やけが人、さらには寡婦にも平等に分けられるのだとか。
こと、その名人とされる人は、ことさら自分のことを自慢するわけでもないといいます。
そもそも、狩りなんてものは皆が協力してこそ上手くゆくものなのだとか。
これが、原始共産制というものなんでしょうねえ。
さて、宮本によれば、同じような風習は日本各地に見られるのだそうで、思うに、これは自然発生的な相互扶助の精神というか、考え方なのでしょう。
まあ、少なくとも日本に来たキリスト教の宣教師が旧約聖書のにおける神の教えを説いて回った、とは考えにくいですねえ。
さて、尻屋岬の昆布漁ですが、波風でちぎれた昆布が海岸に打ち寄せられることがあるそうで、これを寡婦、つまり後家さんが朝早く採りに行った行った場合、これだけは彼女たちのものになったのだそうです。
宮本によれば、村人たちはこれを黙認しており、これによって貧しい寡婦の生活が助けられたことか、としております。
けが人だって、病人だって、寡婦だって、そうなりたくてなったわけではない。
また、誰だってそうなる可能性がある。それこそ、「困ったとき、苦しい時はお互い様」と助け合う。
そういうことを神が命じたからする、というのではなく、人々の中から自然に生まれてきたもの。
人間というものも、なかなか大したものなのであります。
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何度か、合コンなんか参加するも、いつも寂しい思いをしている女性に、皆が気を利かしてくれて男をあてがってくれたりもする。
んでも、漫談をやっていた頃のヒロシの自虐ネタのごとく、
ヒロシです
男なら誰でもいい、という女の人から・・・、フラれました
というのを、実体験として持っているのは、あっしです。
拾ってももらえませんでした。
自慢にもなりませんが。