憲法学者の芦田信喜センセの『憲法』(岩波書店)に沿って、今度は「日本国憲法の成立過程」という章から、児島襄の『史録 日本国憲法』の総括をしてみたいと思います。
第二次世界大戦において日本は連合国に無条件降伏し、ポッダム宣言を受諾します。
ポッダム宣言
思えば、二度に渡る元寇にも屈せず、日清、日露の戦争に華々しく勝利を飾った日本という国にとっては、史上最初の敗北という屈辱を受け入れざるを得なくなったのであります。
しかし、そもそも、この戦争は何だったのか?なぜ、日本は戦争の道に進んだのか?
様々なことが言われておりますが、とにかく負けてしまった以上は何も言えません。
して、国の基礎法とも言うべき憲法をなぜ変えるということになったのか。
言うまでもなく、それは日本の国、というよりは日本の国の政治首脳部が望んだことではなかったのであります。あえて言えば、んなこたーまったく考えていなかったのであります。
歴史的に見まして、一つの国家が他の国家に戦争で負けるということは、負けた方は勝った方に統合、いっそ吸収されるということが多いと思います。ヨーロッパなんかですと、これを併合といい、その都度、国境線が変わり、国の名前も変わったりもしました。
もし、ヒトラー率いるドイツが、あのまま勝ち進んでいったら、例えばの話、フランスという国は歴史上からも地図上からも消えてしまったのかもしれないです。
連合国の一つアメリカが、日本を占領し、そのまま沖縄のようにアメリカという国になってしまう(※ ハワイのような属州の一つ?)ことだってあり得たわけです。
まあ、日本だって、その前には朝鮮や台湾、そして中国は満州を日本という国に統合(併合)してましたからねえ。
しかし、そういうことにはなりませんでした。ただ単にアメリカという国と戦ったわけではなく、アメリカ以外のも中国、イギリス、オランダ、フランス、オーストラリア、そしてソ連などとも敵対していたのであり、それらの国がみな戦勝国である以上、アメリカが好き勝手にできる、ということではなかったのであります。
そのアメリカが日本を占領し、日本に求めたのは、もう二度とアメリカなどの国に盾突かない、喧嘩を売らないということでした。つまり、牙を抜くといっていい。
ドイツじゃありませんが、第一次世界大戦でコテンパンにやっつけられながら、それに懲りず、再び暴挙に出ましたからねえ。
アドルフ・ヒトラー
して、つまるところは、連合国の中でも、特にアメリカに将来的に有益になるような日本という国になるように導くこと、これがアメリカ、そしてその尖兵ともう言うべき、マッカーサー率いるGHQの考えであったわけです。
仮に、逆の立場であったら、日本だって同じようなことをしたように思います。朝鮮や台湾、満州でもそうしてましたからねえ。
GHQもいろいろと考えたようですが、そのためには憲法を改正することこそが最も効果的だと結論を出します。
そして、日本政府首脳部にそれを伝えるも、日本側としては、ことをそれほど重要なことではないと考えていたようです。
なんせ、初めての敗北ですから、過去にそういった経験もなく、とりあえず出直せばいい(?)とでも思っていたのでしょう。
しかし、GHQが執拗に憲法改正を促してくるので、それこそ不承不承という形で、松本国務相を責任者とする改正委員会を立ち上げます。
これに先立って、マッカーサーの言葉を、自身に都合のいいように解釈し、首相経験もある近衛文麿は自身がそれを任せられたものと解釈し、これを先行させます。
いずれにせよ、これが、基本的な方向性となったわけです。
しかし、近衛公爵がそのために抜擢した憲法学者佐々木惣一にしろ、政府側が同じように委員会のメンバーとした、同じく憲法学者の美濃部達吉にしろ、両者ともに当時の日本の憲法学の大御所的存在であったわけですが、これまでの憲法、つまり大日本帝国憲法(明治憲法)を大きく、いっそ根本的に変える、なんて考えは全く持っていなかったようです。
なるほど、統帥権の独立をめぐる問題により、日本という国は軍部の暴走を止められず、結果として泥沼化した戦争から抜け出せなくなていました。
しかし・・・。
それは、憲法の仕組み、内容に欠陥があったわけではなく、あくまで解釈、運用の問題である、としていたようです。
まして、天皇を頂いた日本の国体(国家体制)なるものは、たとえ戦争に負けたとしても維持継続することができるはずだともしておりました。そもそも、日本がポッダム宣言を受け入れたのは、それが条件だとも考えていたようです。
まあ、この辺り、誰しも自分にとって都合のいいように考えるもので、この考えの、例えばGHQ側の考えとの齟齬、つまり食い違いが、後には大きな亀裂となってしまいます。
また、苦心惨憺たる思いで作り上げた明治憲法ですが、時代の流れ、世の中の動きと、どうしても噛み合わない部分が出ておりました。
国の基礎法とはいいますが、そもそも、その基礎法は、何のため、誰のためのものかと考えるとき、明治憲法はあえていえば、国家のため(天皇のため)、と、それは為政者のためのものであったと考えられます。
為政者が、国民を従え、政治をやりやすくするもの。あえて言えば国家優先主義というものになりますかねえ。
して、これは、例えばソ連や、今のロシア、中国、そして北朝鮮のような国を思い起こさせます。
こと北朝鮮なんかは、為政者は国民の生活のことなんかは二の次、三の次で、ただ為政者の威信のためだけにと暴走(?)しております。
明治憲法には、そういう要素が強かったとも考えられます。
むろん、日本という国が、西洋列強に対抗してゆくためには、まず国家を強くしなくてはいけないということから、そこにウェイトを置いたということもあるのでしょう。
しかし、時代は変わってゆきます。
その国をどのような方向に持って行くかは、いつの間にか知らんうちに勝手にトップに立った限られた人々ではなく、あくまでその国に生きている人々の総意であるべきでしょう。
いつの間にか知らんうちにトップに立った方が、自国の経済状態も考えず、国民の生活の惨状も無視して、面白半分に弾道ミサイルをバンバン発射させては困るのであります。
いつの間にか知らんうちに北朝鮮という国のトップになっている金総書記
憲法変革問題の起因として、GHQからの強い圧力があったのも事実ながら、明治憲法にもまた改正を必要とする内在的な理由が存在していた、と芦田センセは言っております。
ここがポイントなんでしょうねえ。
んで、そこの・・・
一番後ろの席で、呆けたよう顔をして窓の外を見てる、ねずみ男のような奴
お前だ、お前。ちゃんと理解してんのか?
学生時代、法なんてものはまったく勉強もせず、適当に選んだ(?)労働法なんて講義の単位も落としているあっしも、今ではちゃんと、憲法なんかの勉強をして・・・。
でも、うちのカミさんに言わせますと、「資格を取るとか、それで金になるならともかく、あんたのやっている勉強は一銭にもならない」のだとか。
あのなー、古代ギリシアのタレスという哲学者は「あんたのやっている哲学なんて学問はクソの役にもたたん」と非難されて、自らの天文学の知識を元に、オリーブの次の収穫時は豊作であると予想し、この圧縮機械を前もって借り占めておいて、その時になって皆に貸し出し、莫大な利益を手にし、「オレ様だって、その気になればだな」と言ったんだぞ。
「やる時はやるぞ」と言ったタレス
えっ、だったら、あんたも、それをやれば、って。
いや、あの・・・、日本にオリーブの木なんかないし(※ うそです。香川県は小豆島などで作ってます)。
例えばの話であって・・・。